↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
30/83

035⚫️歴史に刻まれた名前:劉邦の「にいちゃん」とシェイクスピアの「幽霊」

歴史とは、常に勝者や後世の都合によって都合よく書き換えられる巨大なフィクションの側面を持つ。その最たる証拠が、歴史に名を残す偉人たちの「名前」そのものに隠されている。


まずは、中国の漢王朝を開いた英雄、劉邦の例から始めよう。現代の我々は彼を当然のように「劉邦」と呼ぶが、彼が天下を統一する前、その名で彼に話しかける者は一人もいなかった。農民の出身であった彼の本名は、ただの「劉季」である。「季」とは末っ子、あるいは四男坊という意味に過ぎない。つまり彼は、近所の人々から「劉家の四男坊」と記号的に呼ばれていたのだ。そんな彼が若者たちを率い、地元の親分として頭角を現したとき、周囲は親しみと敬意を込めて彼を「邦(ほう)」と呼ぶようになった。


当時の俗語で「邦」は「頼れるにいちゃん」を意味した。驚くべきことに、漢の高祖の名は、かつて路地裏で交わされた「劉の兄貴」という泥臭い呼び名が起源だったのだ。


ところが、彼が皇帝に即位した瞬間、この俗称は思わぬ変貌を遂げる。「邦」という字は、もともと「国家」を意味する尊い漢字でもあったのである。「にいちゃん」はそのまま’尊い文字’へと解釈が格上げされた。一人の田舎のフリーターの通称は、国家の最高タブー(避諱)へと変貌を遂げることになる。人々は「邦」という文字を名前として使うことを禁じられ、歴史書は彼を生まれながらの偉人「劉邦」として記録した。彼は「農民」から「天命を受けた皇帝」へと見事に脱皮したのである。


しかし、歴史における「名前のミステリー」は、「身分」の「低い」者が文字を飾って神格化されるケースだけにとどまらない。その全く逆のベクトル、すなわち「現在では知れ渡っている名前」の影に、「本物の天才」が隠されているのではないか、という逆説的な謎も存在する。その代表格が、イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピアである。劉邦が「実態以上の名」を与えられたのだとすれば、シェイクスピアは「名」が一人歩きし「実態」が消失した、と言えるかもしれない。


シェイクスピアは実在する。当時の洗礼記録にも確かにその名はある。しかし、彼が遺した「ハムレット」や「マクベス」といった傑作の数々は、あまりにも高度な知識に満ちていた。当時のイギリス宮廷の緻密なマナー、「一介の庶民」が知り得るはずのない法律の専門知識、そして一度も出国した形跡がないにもかかわらず正確に描写されるイタリアの地理。これらが無学とも言えるストラトフォードの商人上がりの男に書かれたのだろうか。


この素朴な疑問が、世に言う「シェイクスピア別人説」に繋がる。この説を支持する人々は、実在のシェイクスピアを「名義貸しの身代わり(エージェント)」に過ぎなかったと主張する。真の作者は、正体を明かせない高貴な身分の貴族、例えば第17代オックスフォード伯であったというのだ。当時、大衆演劇の台本を書いて金を稼ぐことは貴族として恥であり、宮廷批判を孕む劇を書くことは命がけの行為でもあった。それゆえに、真の天才は自らの名を隠し、ロンドンの劇場にいた「シェイクスピア」という男の名前を、都合のいい盾・ペンネームとして利用したのだという俗説である。


劉邦は権力を正当化するために「にいちゃん(邦)」の名を「国家」という意味に昇華させた。一方でシェイクスピア(あるいは真の作者)は、己の高貴な身分と命を守るために、「シェイクスピア」という凡庸な人物の名を隠れ蓑にした。片や、「市井の兄貴」の名前が皇帝を表し、片や、「国家のエリート」が名前によってその姿を歴史の闇に消す。


これら二つの話は対極にありながら、ある一つの真実を突いている。それは、歴史に刻まれた「名前」とは必ずしもその人間のありのままの姿を示しているわけではなく、時に巨大な政治的意図や、社会のシステムによって要請された「記号」に過ぎないということだ。我々が歴史の教科書で目にする名前の裏には、常に「名前」という仮面をかぶった人間たちの、生々しいドラマが息づいている。



えっ? そうですよ。

わたしがウィリアム・シェイクスピアですが。

って、Who art thou? どこから入ってきたのさ?

部屋の鍵は、確かに閉めてあったよね。

なにこれ?

小さな黒い板を、わたしにくれるっていうの?

一体なにに使うんだよ?

まっ、ありがとう。

あ、もう行くの? はい、さようならって・・・。


なんだか妙な奴だったな。

ぽつんと机に残された、鏡のように滑らかな黒い板。

冷たい。

うわっ!? この板、いきなり光って、しゃべりだしたあ!

「今日はなにから始めましょう」って?

なんでも聞いていいの?

じゃあさ、今ちょうど新しい台本を書いてるんだけど

正直、宮中のマナーなんか知らないし、

法律もさっぱり分からないんだ。

イタリアなんて行ったこともないけど、

物語の舞台としては定番だから使いたくてさ。

え? そんなことまで全部教えてくれるの?

だいじょうぶ?

じゃあさ、この流れでストーリーを展開したいんだけど。

よおーし、頼んだよ、相棒!

Gramercy!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。