031⚫️入学試験の論述提出 by ミサヨ
ホワイティのエンジェラム王立大学へ提出しなくっちゃ。
『ヒトは権威に従う傾向があるかどうかを、あなたの母国の例を挙げながら1200文字程度で論述しなさい』かあ。 よお〜し!!
ヒトは権威を重視し、それに従いやすい傾向があると言える。
日本史における戦国大名たちの「氏(本姓)」の変更は、実力至上主義の時代を生き抜くための高度な政治戦術であった。当時は、ただ勝手に名乗るだけでなく、朝廷への根回しや家系図の偽造が行われていた。困窮していた朝廷に多額の寄付を贈り、公認を得るのが通例である。家系図作成のプロに依頼し、過去の源平の血筋と強引に繋ぎ合わせる「仮冒」も横行した。周囲の大名も、圧倒的な武力を持つ権力者に異を唱えることはできなかった。
その最たる例が豊臣秀吉である。足軽から這い上がった彼は、木下、羽柴と名字を変え、さらに信長の後継者たる平氏、関白就任のための藤原氏を経て、最終的には朝廷に「豊臣」という新たな氏を創設させた。
これに続いた徳川家康もまた、血筋のロンダリングを最大限に利用した政治家であった。秀吉が新姓を作ったのに対し、家康は伝統的な「源氏」のブランドにこだわった。征夷大将軍のポストは清和源氏でなければ就けないという、武社会の暗黙の格付けがあったからである。家康はまず朝廷へ働きかけて藤原氏を自称して官位を獲得した。次に、関ヶ原の戦いに勝利すると、幕府を開くため、今度は源氏の末裔であると家系図を書き換えた。
信長が平氏、秀吉が豊臣氏、そして家康が源氏へと乗り換えたことで、武家政権が源氏と平氏で交互に入れ替わるという「源平交代思想」のサイクルは、江戸幕府の開府によって見事に完結した。先祖の来歴までも実力で書き換えたのだ。戦国時代の「氏」とは、自らの権力を天下に正当化するための、最高級の政治的ブランドだったのである。
もちろん、平安時代初期の征夷大将軍である坂上田村麻呂が源氏ではないことを、歴史に精通した徳川家康が知らなかったはずはない。それにもかかわらず家康が源氏の血筋に固執したのは、鎌倉時代以降に定着した「武家の暗黙のルール」に従うことで人々を納得させ、求心力を得る必要があったからだ。
平安時代の将軍は、天皇から征伐を命じられた期間限定の軍司令官に過ぎず、血筋は問われなかった。しかし、源頼朝が鎌倉幕府を開いて以降、征夷大将軍は「すべての武士の棟梁」という意味へと変質する。さらに室町幕府の足利氏により、「将軍は清和源氏に限る」という格付けが少しずつ形を成していく。
家康は常識を破壊する革新者ではなく、前例を徹底的に踏襲して政権の安定を図る堅実派であった。古い例外を持ち出すよりも、頼朝や尊氏の正統な後継者を演じる方が、全国の武士を統制する上で最も合理的だったのである。家康は歴史を知らぬどころか、中世の源氏神話を完璧に熟知し掌中に収めた政治家であった。
天下人たちがこれほどまでに「由緒」の捏造に狂奔したのは、裏を返せば、大衆や臣下たちが「由緒」や「権威」という記号に対して極めて脆弱であり、それに従う強い傾向を持っていたからに他ならない。圧倒的な武力を持つ強者でさえも、人々を従わさせるためには、目に見えない権威の衣を纏う必要があったのだ。
この構造は、現代の情報社会、あるいは極端に言えば詐欺の手口においても全く変わっていない。有名人の過度の露出や、もっともらしい来歴が殊更に強調される場合、わたしたちの脳は今も容易にハッキングされる。だからこそ、提示された権威を鵜呑みにせず、その本質を疑う慎重さが、いつの時代も私たちに求められているのである。
どうかな? あっ、文字数オーバーかあ!
う〜ん、締切までにしっかり推敲しなくっちゃ!




