第91話 魔王、潜入
ついにオレは魔界へと帰って来た。
やはり魔界の空気は違う。
飛行魔法で空を飛びながら、オレは実感した。
大きく息を吸えば、身体に魔力を吸収されてゆくのを感じる。
魔界の空気には魔力が満ちているからだ。
人間界で魔法を使うと、何日もぐっすり寝てやっと回復できるのだが、魔界なら呼吸をするだけでどんどんと全身に魔力が満ちてくるのを感じる。
オレの魔力の回復速度は、魔族の中でも特別早い。そのため飛行魔法で魔力を消費しながらも、回復してゆく魔力の方が多い。人間界で弱体化していた魔力も、すぐに魔王としてのオレ本来の魔力を取り戻すことができた。
倒さねばならない敵、神人エィスがこの先にいるのだとしたら、魔界という土地で戦えるのはオレにとって好都合だ。
オレはヴァレンシュタイン王国から引き連れて来たカインたち人間の兵隊を置いて、超高速の飛行魔法でエィスたちがいると思われる砦へと向かった。
飛行魔法は便利な反面、発見されやすいと言う欠点もある。
魔法の矢などの、遠距離攻撃魔法にとっては格好の的だ。
オレはまず高高度から戦場全体を俯瞰する。
ミルス平原にはまだ軍隊は集結していないようだ。
平原を挟んで南側、人間たちの砦となっている町にはたくさんの人影が見える。まだ出陣していないようだ。
道中急いできたおかげで、間に合ったようだ。
このまま人間と魔族が無益に殺し合う前に、エィスの首を獲らねばならない。
オレは人間たちの見張りに発見されないように地上へ降下し、慎重に砦へと近づいて行った。
魔界には魔物が多い。
それは大気に満ちている魔力のせいで、獣が強力化しやすいためだ。
同じ魔物でも人間界のものより魔界にいるものの方が強力な力を持っているのだ。
そのためほぼ全ての魔界の町には、町を囲うように魔物除けの高い塀がある。
人間たちに落とされる前は魔族が住んでいたこの町も、占領されると攻略困難な人間たちの砦となる。
大規模攻撃魔法を使えば奪回は容易なのかもしれないが、その場合、住むのに困難は廃墟しか残らない。
それでは奪い返す意味もないし、無駄な死傷者が増えるだけだ。
まったく戦争とは不毛でしかない。
ともかく、そんな元々は魔族が作った城壁に囲まれた町にオレは潜入をする。
物陰に隠れながら城壁に近づくと、見張りの死角を縫って飛行魔法で城壁を越える。
城壁を越えてしまえば怪しまれる可能性は低い。なぜなら今のオレの身体は人間だからだ。
≪周辺捜索≫を使えばどこに何人の人間がいるかすぐに分かるのだが、この魔法の欠点はそこに魔法使いがいれば、魔法を使われた事を察知されてしまうという点だ。
侵入者がいると感づかれれば、警備が厳重になってしまう恐れがある。
そんな事にならないように、オレは慎重に行動をした。
目指すは町の中央にある、小高い丘の頂上にある立派な洋館だ。
元々はこの町の領主が住んでいたあの建物が、この町で一番大きな建物であり、町を占拠した司令官が居住するのであればあそこであろう。
だとしたら、大司祭ザズーも神人エィスもあの建物にいる可能性が高い。
シオンもそこに囚われているかどうかは分からないが、もしそこにいなければ先にエィスを倒してから探してもいいだろう。
オレは気配を消して、建物の裏口までやってきた。
人の気配がない。
たしかにこの町の中まで敵が入り込むなんて考えにくいだろうが、それにしてもこんなに警備が手薄でいいのだろうか?
町に入ってからここに潜入するまでも順調だった。
あまり上手くいきすぎるのも不安になるものだ。
だが例え罠だったとしても進むしか選択肢はあるまい。
オレは静かに建物の中へと潜入した。
恐らくエィスらがいるとしたら上の階だろうが、上へと続く階段があるであろう正面ロビーに行く前に、廊下に兵が一人立っていた。
オレは何食わぬ顔をしてその男に近づいてゆく。
顔を知らないオレが歩いて来るのを不思議そうに見ている兵は、近づいたところでオレに話しかけて来た。
「おい、どこへ行くんだ?」
「ああ……」
オレはその兵の正面まで歩いてゆくと、首筋に手刀を打ち込む。
大きな音を立てないよう、一瞬で失神したその兵が倒れる前に支え、静かに床へと寝かせる。
≪催眠≫などの魔法で行動不能にするのは簡単だが、それで倒れた時の物音で騒ぎを起こしてはいけない。密かに潜入していのだから、大きな音を立てるのはご法度だ。
兵が完全に意識を失っているのを確認した後、なんでこんな場所にいたのかを考える。
そこは、地下室へと続く下り階段の前だった。
「地下に何かあるのか……」
オレは神人エィスを探しに上の階へ向かうつもりだったが、この見張りの男が守っていたものも気になる。まさか地下に隠れているはずがないだろうが、オレは確認するためにその階段を下に降りて行った。
屋敷は木造だが、地下室の壁は石を積み上げてできていた。階段を降りた先にあった扉に近づき、扉の向こうの物音を探る。わずかに人の気配がするが、ほとんど物音はしない。
恐らく侵入者がやってくるなどと警戒はしていないはず。先程の見張りの男と同じように、何食わぬ顔をして入って行けば、すぐに騒がれることはないだろう。
オレはゆっくりとドアノブを回した。
ギィ……
さびたドアの金具の音が鳴る。
扉の向こうには、照明石のぼんやりとした灯りに照らされていた。
照明石とは、魔力によって自動的に発光する石で、魔界では照明装置として一般的なものだ。
扉を開けてすぐのところには、簡易的な休憩スペースがあったが、その椅子には誰も座っていなかった。
壁には鉄製の大きな鍵がぶら下げられていた。
真っすぐ続く廊下には扉がある。倉庫か何かだろうか?
オレは廊下を静かに歩く。
扉には目線のところに四角い窓が開いており、オレはそっとその窓を覗いてみた。
壁際にある椅子に座る二人の男の影があった。
オレはその二人の男の事を知っていた。
「シオン!マグマ!」
それは、オレの副官であり、魔界において政務全般を統括している男シオン。そして常にオレの傍で剣を振るっていた直属の部下マグマだった。
オレはさきほど見つけた鍵を取りに行き、その扉を開ける。
「二人とも静かに。オレだ。人間の姿になってしまって驚かせてしまうが、魔王ヴォルテージだ。大丈夫か二人とも?」
扉を開けて二人に声を掛ける。だが、なんだか様子がおかしい。椅子に座ったままぼんやりとこちらを見ていて、立ち上がろうとしない。
「どうした二人とも?助けに来たぞ」
すると、マグマがゆっくりと立ち上がる。
「さあ、シオンも。まずは脱出しよう。何か問題があるか?敵の情報があったら教えてくれ」
シオンはぼんやりとしている。何か魔法で精神を操作されてしまったのだろうか?だとしたら状態を確認して治療をする必要がある。
「大丈夫かシオン?」
その時オレはシオンに意識が集中していて、マグマが横で何をしているのか気にしていなかった。
何か気配を感じ振り返った瞬間、オレの頭部に激痛が走る。
オレは身体ごと壁に吹き飛ぶ。
オレは何が起きたか理解できずにいた。
転倒し、上下の感覚がおかしい。頭に受けた衝撃のせいで起こる吐き気。
頭部から流れる血液と激痛。
事態を確認するためにオレが振り返ったそこには、追撃のため剣を振りかぶるマグマの姿があった。




