エピローグ ~王都からの敗走~
やっと書き終わった~。
やべ、17時回っちった。誤字脱字の修正間に合わない~!
それではヴォオス戦記・暁、最終話をどうぞ!
「ちゃんと生きてるか?」
背骨と腰骨を折られ、もはや二度と立つことの叶わないヘリッドが、ボロボロのオリオンを見上げて問いかけた。
「ああ、お前のおかげだ」
オリオンは短く答える。
「てめえ! あたしにくらい話してくれたっていいだろ!」
リタが鬼のような形相で怒鳴りつける。
信じていた。裏切られたと思った。そして殺そうとした。
大切な仲間をだ――。
リタの怒りは、ヘリッドを信じ切れなかった自分自身に向けられていた。
それを申し訳なく思っている相手にぶつけることしか出来ない自分に、よけいに腹が立つ。
「悪かったな。でも、お前をだませないようじゃあ、俺は俺自身をだませなかったからな」
「なるほどね」
ヘリッドの言葉に、カーシュナーがニヤリと笑って見せる。
「二人してわかってんじゃねえよ!」
そう言ってリタがカーシュナーを蹴り飛ばす。
つい先ほどまで、その背中を守るために戦っていたとは思えない雑な扱いだ。
「ちょっと、リタ! 俺脇腹切れてんだから!」
「騒ぐんじゃないよ! 文句言うほどの深手じゃないだろ!」
もう一発リタの蹴りが飛ぶ。
「どういうことだ?」
オリオンが先程までカーシュナーとリタが倒れていた場所に目をやる。そこには大きな血溜まりが出来ていた。軽い傷な訳がない。
オリオンの視線の意味を理解したカーシュナーが、説明する。
「あれは俺の血ではあるんだけど、大半は懐に入れていた特製の解毒薬だったんだ。ヘリッドに斬られたのは、解毒薬を入れていた革袋と、致命傷にならないギリギリの範囲の脇腹だったのさ。利いたのは正直<巨人>の蹴りの方だよ。壁にしこたま叩きつけられて、気絶しかけたからね」
「あたしだってヘリッドに思いっきり蹴り飛ばされて壁に叩きつけられたんだ。そのくらいのことで男がグチグチいうんじゃないよ!」
「ヘリッドの蹴りは、俺のところにリタを飛ばすための蹴りだろ! 毒でほとんど動けなくなっていたのを助けるための蹴りだったんだから、悪意がない。バルブロの蹴りは悪意どころか殺意がこもっていたんだから、一緒にしないでくれよ!」
「しょうがない。そういうことにしてやるよ」
「いや、そういうことだから!」
「そういうことか……」
二人の軽口に笑みを浮かべながらオリオンがつぶやく。ほんの数時間前にも耳にしていたはずなのにずいぶん久しぶりに聞くような気がする。
「いや、そういうことなんだけど、そういうことじゃないからね!」
「何回そういうことって言うんだよ。しんどいんだから笑わせるなよ」
ヘリッドがカーシュナーにツッコむ。
「ごめんな。ヘリッド……」
リタは唐突に謝るとそっぽを向いた。今言わなければ一生言えない気がしたのだ。
「謝る必要なんてない。俺はスタインに施された暗示を土台に、裏切りの自己暗示をかけていた。たいがいの連中は疑いつつも最終的には俺の裏切りを信じた。でも、俺が本当にだましたかったのはアイメリックだ。お前がぶち切れてくれたから、俺の裏切りの信憑性が増した。おかげでアイメリックは最後、俺を裏切り者として信じたのではなく、それ以上の、いや、それ以下ってことかな、俺を無価値なものとして思考から切り捨ててくれた。そうでなかったら、奴に一撃ぶち込むことは出来なかったかもしれない」
そう言うとヘリッドは、飾りのない感謝の視線を向けた。
「それより、身体は大丈夫なのか? 手加減なく蹴り飛ばしたからな」
普段けして見せない素直な感情をさらしてしまったことを隠すように、ヘリッドは話題を変えた。
「死ぬよりはましだよ。おかげで解毒薬にありつけて、最後に一働き出来たしね。あんたは最高の仕事をしたよ。ヘリッド」
「最高の仕事をしたのはお前だよ、リタ。お前が独断でここに来てくれなかったら、俺たちは手数が足りなくて負けていたはずだ。お前の選択が、勝ちを引き寄せたんだ」
「やめ、やめ、褒め合いなんか気持ち悪いよ」
「そうだな」
ヘリッドはそう言うと、貴婦人たちをとろけさせるいつもの笑みを浮かべた。
「天使さん。あんたは俺をどこまで読んでた?」
ヘリッドはかたわらに膝をつているカーシュナーに問いかけた。
「そうだね、ヘリッドがオリオンを絶対に裏切らない事と、アイメリックとの戦いが避けられない以上、勝ちの目を少しでも多く出せる流れにしようとしているってことくらいかな」
「全部じゃねえか。まったく、あんたにはかなわねえな」
ヘリッドは苦笑いするしかなかった。
「……そこまでわかっていて、俺に賭けてくれたんだな」
「まあ、俺も似たようなこと考えていたからね。俺が主体になって動くか、他の誰かが動くかの違いでしかないしね」
「その違いに、あんたの命が載っていたんだぜ?」
「載っていたのは俺の命だけじゃないだろ?」
答えてカーシュナーはニヤリと笑う。なかなかに悪い顔だ。
リタがどういうことかと目顔でたずねてくる。
「オリオンは俺たちの魂だ。アイメリックに勝てなくてもかまわない。盗賊ギルドを潰せなくてもかまわない。オリオンを生き残らせるためなら、俺は残りの<暁>全員の命を捨てるつもりでいた」
ヘリッドの答えに、オリオンの表情が厳しくなる。
「人形だった俺たちに、オリオンは自分ってものを与えてくれた。それは俺にとってはまったく新しい人生の始まりだった。生みの親から疎まれ、俺は洗脳され、自分ってものを取り上げられて育った。空っぽのうちは、それがどんなにむなしくて、さみしいことなのか、理解することすら出来なかった。でも、オリオンが取り返してくれた自分が、あらゆる感情を育て、人形だった俺を、本物の人間にしてくれたんだ」
「その気持ち、あたしにはよくわかるよ」
ヘリッドの懺悔のように紡がれる言葉に、リタは胸が締めつけられた。
「俺はさっき、お前を俺たちの魂だと言った。お前の存在が<暁>の魂そのものなんだ。でもな、俺にとって、お前は俺の魂の核なんだよ。理屈じゃない。親がくれなかった人生を、お前がくれた。俺はな、オリオン。お前だけは絶対に死なせたくなかったんだ」
そのために、ヘリッドは仲間すべてを犠牲する覚悟で行動に出たのだ。
アイメリックの隙を衝く。ただそれだけのために、ゼムに取り入り、それを足掛かりにしてアイメリックに近づいた。
アイメリックだけではない。<巨人>バルブロ、<黒騎士>イーフレイム、<紅棍>グスターヴァイスという大陸最強候補として名の挙がる強者たちをも相手に、オリオンを守り切らなければならない。
「オリオン、俺はお前を信じていた。だからこそ、俺はお前がアイメリックに勝てないこと、勝てないという事実に直面しても、最後の瞬間まで勝つことを諦めずに立ち向かうことを疑わなかった。お前が逃げないのなら、その条件下でお前を生かす道を、俺は探したんだ」
その結果、ヘリッドは襲撃作戦をゼムとアイメリックに漏らし、罠を張るという形で地下空間にアイメリックたちを誘い込んだのだ。
その対価として、ヘリッドは<暁>全員の命を囮として差し出した。
もちろんむざむざ死なせるつもりで差し出したわけではない。ギリギリの状況下でも正確な判断が下せれば潜り抜けられるように作戦全体を構築した。
しかし、それはどこまでも机上のものでしかなく、そこには、そうであってほしいという願望が、構築要素として組み込まれていた。
作戦に一歩踏み出した時点で、そこにどんな理由があろうと、ヘリッドは<暁>を裏切っていたのだ。
自分の作戦が功を奏したわけではない。それを土台に、カーシュナーが、リタが奮闘してくれた。何より、オリオン自身が、ヘリッドの予測をはるかに超えた強さを見せてくれた。
自分の浅知恵だけではオリオンを守ることは出来なかっただろう。
それだけに、オリオンを守るだけではなく、オリオンにとってもっとも危険な敵であったアイメリックをも排除出来た今回の結果に、ヘリッドは大きな安堵を感じていた。
良かった。ただそれだけが、ヘリッドの想いだった。
その安堵が過ぎた今、ヘリッドは心を押し潰す罪悪感に苛まれていた。
自分は仲間を裏切ったのだ。一つの命のために、その他すべての命を、アイメリックの前に、皿に載せて差し出したのだ。
死んだ仲間がいる以上、自分は許されない罪を背負ったのだ。
視界がぼやける。喉の奥から嗚咽が漏れる。
止まらない涙と、大きくなる一方の嗚咽を隠すために、ヘリッドはまだ動いてくれる両手で顔を覆った。
「すまん……。みんな、本当にすまん」
嗚咽に震える喉の奥から、どうにかそれだけを絞り出す。
「謝る必要なんてないって言ったのは自分だろ! お前は仲間を裏切ってなんかいない! ……一人で背負ってんじゃねえ!」
叱りつけるように発したリタの言葉も、震える涙声になっていた。
今ならヘリッドの選択の意味がよくわかる。自分も仲間を放り出してここにいるのだ。仲間に対する責任を放棄した時点で、自分も裏切り者と大差ない。
それでも選ばなければならなかったのだ。大勢の仲間と、オリオン一人を――。
「……お前がバルブロたちに追われているとき、俺は傭兵たちの足止めをしていた。でも、そこにイーフレイムが合流し、オリオンの方に向かったとき、俺はお前を見捨てた。お前が<生贄の間>でバルブロたちに追い詰められているときも、俺は出ていかなかった。俺は裏切っていたんだ」
「あんたが助けてくれていたのかい……。だったらなおさら……」
さらに言葉を重ねようとするリタを、カーシュナーが手を挙げて制する。
「ヘリッド。お前は今でも<暁>の一員か?」
「……そう考えることが許されるのなら、俺は死ぬまで<暁>だ」
「なら、お前の行動が裏切りなのかを決める権利はお前にはない」
カーシュナーの予想外の言葉に、ヘリッドは顔を覆っていた両手を下した。
「それを決めるのは、俺たちの頭領であるオリオンだ」
そう言ってカーシュナーはオリオンを見上げた。そこにはいつものふざけた笑みはなかった。
真剣な翠玉の眼差しを受けて、オリオンは一つうなずいた。
「ヘリッドの今回の行動を、俺は、いや、<暁>は、裏切りとしない。これは決定であり、<掟>に従い、誰にも、俺自身にも覆すことは許されない」
オリオンは友人としてではなく、<暁>頭領としての表情を最後まで崩さず宣言した。
「聞いたな?」
カーシュナーがリタに水を向ける。
「ああ、確かに聞いた。一字一句違えることなく復唱したってかまわないよ」
「俺もだ」
カーシュナーが満面の笑みを浮かべて同意する。
「お前も聞いたな、ヘリッド?」
「…………」
「聞いたな?」
答えないヘリッドに、オリオンがダメ押しの確認をする。
「……ああ、聞いたよ」
「なら、お前も<掟>に従え」
オリオンの命令は、ヘリッドに対する想いにあふれていた。
憑き物が落ちたかのように、罪悪感に歪んでいたヘリッドの顔から、まるで深い傷のように刻まれていた苦悩のしわが消える。
冷たく流れていた涙の代わりに、温かい涙が新たにあふれてくる。
ヘリッドはおろしていた手を再び上げ、顔を覆って泣いた。
リタもオリオンも、涙を抑えることが出来なかった。特にカーシュナーは号泣だ。
「なんでお前が一番泣いてんだよ……」
そう言って蹴り飛ばすリタの足さえも、どこか思いやりにあふれていた――。
◆
リタの耳がそれを聞きつけた。
大勢の兵士たちがたてる物音だ。
リタの変化に気づいたヘリッドも耳をそばだてる。そして同じ物音を聞きつける。
カーシュナーとオリオンは、アイメリックの攻撃で鼓膜を破られてしまったため、まだ状況の変化をつかめない。
「思ったよりずいぶんと早かったな。ギルド兵だ」
ヘリッドが普段の皮肉な調子を取り戻して首を振る。
ギルド本部でカーシュナーに撒かれた兵士たちと、オリオンを追跡し、手痛いしっぺ返しを受けて逃げ出した兵士たちが合流して態勢を立て直し、再度追跡してきたのだ。
「お別れだ」
ヘリッドはそう言って笑った。
「つまらんことを言うな」
オリオンはいつもの不機嫌顔に戻って叱りつける。
「まったくだ! お前を置いて行けるわけないだろ!」
「その結果、せっかく守ったオリオンを死なせるのか?」
「そ、それは……」
ヘリッドの指摘に、リタは返す言葉が出てこない。
「格好つけて言ってるんじゃねえ。それが現実なんだ。俺たちは全員ボロボロだ。いくつも奇跡を積み重ねて、ようやく命を拾ったんだ。迷うな。行け!」
「お前を置いて行くくらいなら、残って一緒に死ぬ!」
「ふざけんなっ!! 馬鹿野郎!!」
リタの言葉に、ヘリッドが本気の怒声を張り上げる。
<生贄の間>の空気が揺れるほどの怒鳴り声だった。
「天使さん。この馬鹿連れて行ってくれ!」
説得する時間を無駄と感じたヘリッドが、カーシュナーに頼む。
「馬鹿はお前だ」
帰って来たのは予想外の言葉だった。
この四人の中で、最も現実的で、厳しい判断の出来る人間がカーシュナーである。今、自分たちが置かれている状況を理解出来ていないわけがない。
カーシュナーは立ち上がると、倒れている傭兵たちから鎧をいくつか剥ぎ取り始めた。
「何考えてんだ、天使さん! 俺はもう二度と立つことも歩くことも叶わない身体だ! 今だけじゃない。これから先もずっと、俺は足手まといにしかならねえ! 置いて行ってくれ!」
ヘリッドの懸命な訴えを、カーシュナーは取るに足らないたわごとのように聞き流す。
「おい! 聞け、天使さん! って、おい! カーシュ!!」
「やっと名前で呼んだな。ジョルジュ」
「!!!!」
「なんで、その名前を……」
呆気に取られるヘリッドに、カーシュナーは片目を閉じてみせた。
「……マジかよ。本当にあんたには敵わねえぜ」
ジョルジュとは、ヘリッドの本名だった。この名を知る者は、この地上にはもはや自分一人のはずだ。早くに死んだ母親以外に知る者は、その手にかけた実の父親であるギルドマスターゼムだけだ。ゼムが自分の個人的な話を他人にするはずがない。いったいどうやって、いつ知ったのか?
そこまで考えて、ヘリッドは自分で回答にたどり着いた。
始めから知っていたのだ。
そこまで踏まえたうえで、カーシュナーはヘリッドを信じ、命を預けてくれていたのだ。
「なんだよ……。カーシュ、お前さんが一番現実離れしていたのかよ」
ヘリッドは諦めのため息とともにこぼした。
誰よりも冷徹で、現実的感覚の持ち主だと思っていたカーシュナーは、実はとんでもない夢想家だったのだ。頭の中で描いた理想を実現させるための手段として、現実的行動をとっていたにすぎないのだ。
そんな途方もない馬鹿を説得するだけの言葉を、ヘリッドは持ち合わせていなかった。
ようやく黙ったヘリッドの身体を、カーシュナーは剥ぎ取って来た鎧でがんじがらめにし、即席のコルセットにする。
準備が整うと、カーシュナーは190センチを超えるヘリッドの巨体を担ぎ上げた。
途端に脇腹からの出血が増す。
「やっぱり無理だぜ、カーシュ。血だけじゃなくて内臓まで出て来ちまうぞ」
「腸なんて、ちっとばかし出たところで死にゃしないよ。後で適当に詰めておけば勝手に元の位置に収まるしね」
ヘリッドの心配を、カーシュナーは軽く受け流した。
その時、リタが再び新たな兵士の気配を察知する。
それは先程のギルド兵などおよびもつかないほどの数だった。
「どういうことだ……」
同じく気配を察知したヘリッドが、愕然となる。
その気配はどう見積もっても千の単位では利かない。万単位の兵士で地下水路があふれかえっているのだ。
「カーシュナー様!!」
そこへ、返り血にまみれたダーンが駆け込んで来る。
「何があったんだ、ダーン!」
鼓膜が破れていて聞こえなかったカーシュナーの代わりにヘリッドが問い返す。
それだけで状況を察したダーンは、無駄な口を叩かず四人の元に駆け寄った。
「クロクスがヴォオス軍を動かしました。王都の全治安部隊を動員しています」
「二万近くいるな。もしかしなくても、ギルド兵との間に挟まれたか?」
ようやく状況を理解したカーシュナーがたずねる。
「挟まれただけではありません。地上も治安兵であふれています」
「頭まで抑えられたか……」
カーシュナーが眉間にしわを寄せる。
「密偵たちはどうした?」
「もはや王都に身を隠せる場所はないと判断し、王都脱出の手段を講じるため、先に行かせました」
「いい判断だ! お前を残しておいて正解だったよ」
「正解かどうかは、この状況を打破してから判断してください」
「それもそうだな。さて、どうしたものか……」
オリオンは完全に限界だ。むしろ、今も意識を保っていることの方が不思議なくらいだ。その体を支えているリタも同様だ。体力的にはもっともすり減っているに違いない。背骨を折られたヘリッドは言うに及ばず、それを抱えるカーシュナーも、ヘラヘラしてこそいるが常人であれば三回は死んでいてもおかしくないだけの攻撃を受けている。
「カーシュ! ギルドだ! 盗賊ギルドへ行け!」
担がれた肩の上からヘリッドが叫ぶ。
「地下競売場の方へ抜ければ、最初に用意しておいた脱出路がある。そこへ入れば何万人いようが追ってはこれない。追跡妨害のために仕掛けた罠はまだ健在だ」
「向かうべきギルドの方向からギルド兵が来ているのではないのですか?」
ダーンが問い返す。
「水路は一本じゃない。広げた網をすぼめるように追跡して来ているはずだ。隠し扉を駆使すれば、わずかな兵士を倒すだけで、突破出来るかもしれない」
「そうだな。他に手段はないだろう。包囲網が縮みきるまでが勝負だ。急ごう」
カーシュナーの判断に、全員うなずく。
「カーシュ、もうひと働きするよ」
リタがギラリと目を光らせる。限界だろうが何だろうがやるしか生き残る道はないのだ。
「その必要はないかと思います。リタ様」
その時、不意に影がグニャリと伸び、一人の男が現れた。
「あっ! あんたは……」
まったくその接近を気づかせなかった男の正体に、リタは思わず声を上げた。
「来ていたのか」
カーシュナーも驚いている。予想外の人物の登場だったのだ。
「クロクスが大胆に動きましたので、こちらも、でございます」
男はそういうと、暗殺者の装束によく似た衣服に身を包んだまま、装束がまるで似合わない優雅な仕草で一礼した。
クライツベルヘン家の王都における別邸を取り仕切る執事長、バルトアルトである。
普段は品よく整えられている白い髭と頭髪が、この時ばかりは闇に溶け込むために黒く染められているため別人のように見える。
「私とダーン様で道を開きます。カーシュナー様。リタ様。お辛いでしょうが今少しご辛抱くださいませ」
「少しだろうが、何か月だろうが、耐えてみせるさ。背負ってる命の価値が違うからね」
そう言ってリタはニヤリと笑った。
「確かに。この重さは折れそうになる心を支えてくれる重みだね」
カーシュナーもそう言うとニヤリと笑った。
そんな二人を見て、バルトアルトとダーンは力強くうなずいて見せた。
◆
網の目のように走る地下水路を、まるで自分の庭のようにバルトアルトが進んでいく。
その五感は鋭く、リタやオリオンにも引けを取らない。
はるか先の兵士の気配を察知し、ヘリッドですら知らなかった隠し扉を駆使して包囲網を突破していく。
だが、それでも戦闘は避けられなかった。
そのことがオリオンたちにとって不幸であったのか、ギルド兵にとって不幸であったのかは、バルトアルトとダーンによって一瞬にして肉の塊に変えられてしまった兵士たちの亡骸が物語っている。
都合五回の遭遇戦で、約百人が地下水路を赤く染める染料の原料と化した。
そして、バルトアルトとダーンの二人がこの戦闘で受けた手傷は皆無であった。
「やっぱり化け物だったね」
リタが苦笑と共に感想を口にする。
「味方でよかったぜ」
ヘリッドもため息をつくように言った。
「ギルド本部区画へと入ります。兵士が出払っているとはいえ、御油断なさいませんように」
バルトアルトが警告してくる。
潜入した時のように貴族に変装しているような余裕はない。
オリオンたちは神経を尖らせながら進んだ。
だが、幹部たちは全員殺され、ギルドマスターであるゼムも行方不明という状況の盗賊ギルドは、指揮系統の麻痺により、完全に機能停止状態に陥っていた。
カーシュナーは堂々と地下競売場の舞台裏へと向かい、誰何してくる人間すべてを一喝して退け、まんまとギルド本部区画を抜け、地下競売場区画へと抜けてみせた。
そのあまりの豪胆さに、<暁>の三人は呆れかえり、付き合いの長いクライツベルヘン家の二人は襲い掛かって来た頭痛と懸命に戦った。その戦いは、先程までのギルド兵相手の戦いより、はるかに困難な戦いだった。
地下競売場区画をもうすぐ抜けるという頃になって、一度突破したギルド兵が追いついて来た。
だが、カーシュナーは慌てず、騒がず、走らずに、殺到する兵士たちの手が届く寸前で脱出路へと入った。
当然ギルド兵たちもそのあとを追う。
そして、カーシュナーの背中に手を伸ばせば届くほどの距離で罠を作動させ、その餌食となって死んでいった。
罠の存在に足踏みする兵士たちをあざ笑いながら、カーシュナーはわざとゆっくり歩く。
激昂した兵士があとを追うが、<暁>の盗賊たちが仕掛けていった無数の罠に捕まり、次々と倒れていく。
歯ぎしりして悔しがるギルド兵たちに見送られながら、カーシュナーたちは堂々と脱出したのであった。
◆
地上は寒風が吹き荒れる最悪の天候だった。
叩きつけるように振り続ける雪に、治安兵たちはまともに目も空けられないまま王都を駆けずり回らされていた。
その脇を隊商の列が通り過ぎていく。
「王都の空気がずいぶんと物々しいですが、何かあったのですか?」
橇の御者台に腰かけた商人、プレタのフロリスが、王都第四城壁の城門に立つ警備隊の隊長に声を掛ける。掛けつつさりげなく袖の下を渡す。
隊長もなじみの商人が相手なので、金子を素早く受け取ると、フロリスに状況を説明した。
「なんでも地下水路を根城に大規模な犯罪組織が出来ていたらしい。それが、長年の調査のおかげでようやくそのアジトが判明したとかで、緊急動員が掛かってみんなピリピリしているのさ」
「地下水路ですか。こんなことを言っては不謹慎だと怒られてしまいますが、まるで盗賊ギルドみたいですな」
「まったくだ。おとぎ話でも真似たんだろうが、王都に悪の栄えたためしなしってな。そんな馬鹿な真似をする連中も、今日中に一網打尽だろうさ」
隊長はそう言うとのんきそうな顔をして笑った。
「あんたもこんな天気の日に大変だね」
「大口の仕事が入りましてね。こんなご時世です。機会を逃したくないんですよ」
隊長は第四城壁の外に広がる貧民街に目をやると、嫌そうにうなずいた。
「このご時世、一度の失敗で人生を転がり落ちかねない。気をつけていきな」
隊長はそう言うと、さっと手を上げ、フロリスの商隊を通した。
フロリスは寒さに首をすくめるように頭を下げると、橇を出した。その後を何台もの橇が続く。
すべての橇が城門を潜り、王都が遠くに霞みだしたころ、橇の荷台から絶世の美女が顔を出した。
「相変わらず上手く化けるもんだね。本当に勉強になるよ」
そう言いながらフロリスの頭に積もった雪を払いのけてやったのはリタであった。
クライツベルヘンの商人、プレタのフロリスを演じていたのは、もちろんカーシュナーだ。
オリオンたち<暁>は、一部の戦力だけを残し、王都を脱出したのであった。
荷台の中にはオリオンも横たわっている。
地下水路から脱出したところで、リタもオリオンも意識を失って倒れたのだ。
倒れた二人をダーンとバルトアルトが運び、その後の段取りをカーシュナーたちがつけたのだ。
襲撃からここまで、不休で働き続けるカーシュナーを、リタは心配そうに見つめた。
その視線の意味を誤解したカーシュナーが、困ったような顔をする。
「ヘリッドの事ならバルトアルトに任せておけば大丈夫さ。前に話したと思うけど、魔神ラタトスと戦った英雄王ウィレアム一世とその仲間の五人の戦士は、それぞれ神々から託された偉大な<力>を持っていた。うちのクライツベルヘン家の初代様が魔術師だったのに対して、シュタッツベーレン家の初代様は、回復術師だったんだ。<力>を神々に返還した後も、初代様たちにはわずかながらその<力>の片鱗が残された。シュタッツベーレン家は、今でもヴォオス一どころか、大陸一の医療先進領なんだ。それにシュタッツベーレン家の現当主であるヘルダロイダ様は女性だ。きっとヘリッドの事を快く引き受けてくれるよ」
ヘリッドの受けた傷はあまりにも深かった。一命をとりとめても、二度と立つことは叶わない。
それは現在の医学が百年の歳月を積み重ねたとしても、どうすることも出来ないことだった。
そこでカーシュナーは提案したのだ。同じ五大家で、回復術師の家系であるシュタッツベーレン家を頼ることを。
ヘリッドは即座に了承し、一人離れてシュタッツベーレン家を目指している。
付き添いにはバルトアルトがついてくれている。オリオンたちが出来ることは何もなかった。
「そうだね。そのヘルダロイダって人をあいつがたらしこまないかが心配だけどね」
「大丈夫。五大家の当主を務めるほどの女傑だからね。さすがのヘリッドも手も足も出ないと思うよ」
「そんなにすごいのかい?」
「そんなに、だね」
「……あんたがそこまで言うってことは相当だね」
リタはヘルダロイダという女性を想像し、ため息をついた。
「それにしても、やっぱり腹立つねえ」
「もう何回目だよ。その話」
カーシュナーがうんざりした声を上げる。
「十五回だよ! まだたったの十五回目だよ!」
リタがカーシュナーをにらみつける。
「あたしらは勝ったんだ! なのに、どうしてあたしらが王都から逃げ出さなきゃならないのさ!」
「アイメリックには勝った。でも、クロクスの権力には及ばなかったってことさ」
「あああああっ!! 腹立つぅ!」
そう言ってリタは、再びカーシュナーの頭に降り積もった雪を殴り落とした。
「声が大きいよ、リタ。オリオンにはまだ睡眠が必要なんだ。大声出すなら別の橇に移すよ」
カーシュナーに叱られて、リタがむくれる。
「……っていうか、クロクスの追っ手は本当に気にしなくてもいいのかい?」
このままでは分が悪いので、リタは話を変えた。
「何の心配もいらないよ。クロクスには、僕たちがクライツベルヘンへ向かっているって情報を流しておいたからね」
「おいっ! ふざけんな!!」
そう言うとリタはカーシュナーの首を後ろから締め上げた。
「やめて! 死ぬ! 死んじゃうから!」
「ここまで来て何裏切ってんだよ!」
「この場合はいいんだよ!」
「どういいんだよ!」
答えようとしてカーシュナーは何度も咳込んだ。
「クロクスにとって<暁>は、犯罪結社だ。それも、虎の子だったアイメリックを返り討ちにするほどのね。その<暁>がクライツベルヘン領に入ったら何をすると思う?」
「クライツベルヘン領で暴れる?」
「その通り! 五大家の力を少しでも削ぎたいクロクスは、俺たちを捕らえるんじゃなくて、むしろクライツベルヘン領へ追いやりたいと考える。自分たちから進んで敵対勢力へと向かってくれる犯罪者たちを、わざわざ追いかけたりするような無駄なことを、クロクスはしないさ」
「そう言うことか。納得は出来たけど、この腹の虫はどうにも収まりようがないよ!」
「帰って来るさ。必ず」
それまでのふざけた空気が一変する。
「絶対に帰って来る。そして、ぶっ潰す」
「珍しく過激だね」
そんなカーシュナーをリタが茶化す。だが、思いは同じか、それ以上だ。
「俺はいつでも過激だよ」
「それじゃあ、ただのやばい奴だろ!」
リタのツッコミが入る。
「俺たちは必ず帰る。絶対だ……」
二人の背後から、オリオンの声がそう宣言する。
カーシュナーとリタは振り返り、オリオンの言葉にうなずいた――。
この後<暁>はクライツベルヘン領で猛威を振るう。
その被害者たちが、法の網をかいくぐって私腹を肥やす役人や商人であったり、クロクスの放った密偵であったことは、世間的には単なる偶然として処理され、クライツベルヘン家は大いに被害者面するのであった。
そして、<暁>とヴォオスの歴史のつながりは、ヴォオス戦記へと続くのであった――。
ちゃんとしたあとがきは、この後投稿するヴォオス戦記・暁語録の方に掲載したいと思います。
とにかく早く投稿しないとやばいので(笑)
とりあえず一言。
ヴォオス戦記・暁に最後までお付き合いくださってありがとうございました。
以上!




