アイメリック対オリオン
「オリオン。ゼムは殺れたのか?」
「…………」
ヘリッドの問いに、オリオンは無言で返した。
これに対しヘリッドは、やれやれとばかりに頭をかく。
「その様子じゃあ、逃げられたみたいだな」
ヘリッドの指摘に、ただでさえ不機嫌なオリオンの顔が、さらに不機嫌に歪む。もはや鬼にしか見えない。
「だったら、一つだけいい話が出来る」
ヘリッドはけしてオリオンには向き合わず、独り言のように言葉を続けた。
「今頃ゼムは干からびて死んでいるはずだ」
「……どういうことだ」
「なに、少しばかりいざという時のための保険をかけておいたのさ。お前がしくじったときに作動する罠をな。ゼムは最後に最高の酒を飲んだはずだ。毒入りのな」
「罠だと?」
「奴の鼻は特別製だ。どんな毒も嗅ぎ分けちまう。だが、一つだけ奴の鼻をたらし込める毒があった。酒に混ぜることで始めて毒性を持つ特別なやつだ。ゼムはお前を殺すことに執着していた。まあ、俺がかなり煽った結果ではあるがな。奴は逃げてはいない。お前の五感さえも潜り抜けて、奴はギルドの執務室へ戻ったはずだ。お前の最後を見届けるためにな」
「…………」
「お前にはわからんだろうが、お前と向き合うと、極度の緊張で喉が異様に乾く。お前は対峙するだけで並の相手を脱水症状にまで追い込むんだよ。それはゼムだって例外じゃあない。俺にすら圧力を感じていたんだ。お前と対峙して無事で済むわけがない。乾ききったゼムは、俺が仕掛けた罠で最高に芳しい美酒を口にして死んだのさ。裏切り者には少し甘すぎる罰だったかもしれないがね」
そう言うとヘリッドは嗤った。
「俺たちを裏切っておいて、どうしてゼムまで裏切る?」
「決まっているだろ!! 俺がギルドを牛耳るためだよ!! 現実を見ろ、オリオン。世界はこのまま滅んじまうかもしれねえんだ。古臭い<掟>に縛られたままで、この先を生き残れるわけねえだろ。クロクスに逆らって、ギルド潰して、俺たちに何が残る。盗賊の矜持か? 誇りだけじゃあ腹は膨れねえんだよ!」
初めてオリオンを見返したヘリッドの目は、何かに憑りつかれたかのように血走り、大きく見開いていた。
「なあ、考え直せよ! まだ間に合う。いや、ゼムが死んだ今が始まりなんだよ! 俺たちで新しいギルドを支配しようぜ! 大丈夫。クロクスなんざ、自分の思い通りになっている限り、誰がギルドを仕切ろうが気にとめやしねえ。俺とお前が揃えば敵なしさ! この終わらない冬だって乗り越えられる! だからさ、考え直せって!」
「今のギルドの在り方を許すつもりはない。ギルドを正し、<掟>を取り戻す。その邪魔をするというのなら、クロクスも殺すだけだ」
ヘリッドの狂気を帯びた説得に眉ひとつ動かさず、オリオンは言い放った。
「どこまでも曲げねえ奴だな、お前は! 天使さんと一緒に何を見て来た! 現実を直視し……」
「茶番はいい」
ヘリッドの言葉をアイメリックは無感情にさえぎる。
「この男はお前のように心変わりなどしない。俺の楽しみに水を差すな」
ヘリッドは一瞬アイメリックをにらんだが、すぐに肩をすくめて視線を外した。
「はい、はい。わかしました。それじゃあ大人しく引っ込みますから、その頑固者の始末、頼みますよ。しくじられたら俺も殺されちまうんですからね」
ヘリッドの愚痴ともつかない言葉に、応える声はなかった。
アイメリックの身体が膨れ上がったかと錯覚するほどの気が、アイメリックの中に充満し始めたからだ。
オリオンの中に生まれたヘリッドに対する怒りと、いまだに信じられないという迷いが心の隅に追いやられる。
個人的感情になどかまっていられないほど、今のアイメリックは危険な存在だった。
本気でないことはわかっていた。おそらく気が充実した今でさえ、本気ではないのかもしれない。
もしかすると、アイメリック自身、本気の自分を知らないのかもしれない。
そこまで考えて、ほんの一時前の自分自身も同じだったと気がつく。
あの傭兵二人と対峙するまでは、本気を出したことなどなかったのだ。
そして、あの二人ですら、自分の本気を限界まで引き出したとは言えない。
オリオンの思考から、アイメリック以外のすべてが消える。
倒れたまま生死もわからないカーシュナーやリタのことも、裏切ったヘリッドのことさえも溶けてなくなる。
オリオンは今、純粋な一個の戦士となった。
アイメリックの凄まじい突きが、三連続で繰り出される。
あまりの速さにオリオンの目をもってしても、三本の剣が同時に突きを放ったようにしか見えない。
それでもオリオンは下がらず、三本すべての突きをかわしてみせる。
もはや視覚のみで見るのではなく、五感すべてを使って俯瞰で観ている。
三度目の突きは鋭いだけでなく、深かった。
もし、下がってかわそうとしていたら、オリオンは喉を突き破られていただろう。
だが、かわしてしまえば目の前にはアイメリックの伸びきった身体がある。
間髪入れず短剣をアイメリックの首筋に叩き込もうとしたオリオンだったが、うなじが逆立つのを感じて地面に飛び込むように身を伏せた。
直後にそれまでオリオンの首のあった場所を、アイメリックの長剣が切り裂く。
アイメリックは伸びきった身体を餌にしてオリオンを懐に誘い込み、手首だけを回して斬りつけて来たのだ。カーシュナーもやわらかい関節を武器として立ち回るが、アイメリックのそれはもはや常識の域を超えていた。
オリオンはアイメリックの背後へ転がり、アイメリックも伸びきった態勢を整えるためにオリオンの背後へと回る。それぞれが立ち位置を入れ替えて、両者は再び対峙した。
アイメリックは扱いにくく折れやすい長剣を腕の延長のように使いこなす。
先手を取られると先程のバルブロとカーシュナーのように、一方的に攻められかねない。
オリオンは間を置かず、一気にアイメリックの懐へと飛び込んだ。
今度は長剣による背後からの攻撃への警戒も怠らない。
だが、アイメリックはオリオンのさらに上をいった。
オリオンを攻撃するのではなく、その飛び込んだ先に剣を置いたのだ。
かわさなければ串刺しになる。オリオンは置かれた長剣を短剣で払おうとするが、アイメリックは見事な足さばきで間合いを修正し、ただそれだけでオリオンの短剣をかわてみせる。
長剣は変わらずオリオンの目の前に存在し続け、ただそこにあるというだけで、オリオンの踏み込みを封じてしまったのであった。
そのままではアイメリックの間合いに留まることになる。
やむなくオリオンは後退し、間をあけた。
一瞬の攻防に、アイメリックが満足そうな笑みを浮かべる。
血の臭いが充満する<生贄の間>にはあまりにも似つかわしくない、純粋な喜びの笑みだ。
アイメリックは笑みを浮かべたまま、一気に間合いを詰めた。
再び連続突きを放ってくる。
今度は十連続だ。
もはや長剣は残像すら残さず、光の帯となってオリオンに襲い掛かる。
頬が裂け、こめかみが裂ける。首筋から血が吹き、肩の肉が抉れる。
だが、オリオンは踏み込んでいた。
今度こそオリオンの間合いだ。
斬り上げ、薙ぎ、斬り下げる。
さらにもう一歩踏み込み、かち上げるように肘をみぞおちに打ち込む。
アイメリックの胸が三か所裂け、肘打ちを受けた身体が血の尾を引いて吹き飛ぶ。
軽い!
オリオンは当てた肘の衝撃から、アイメリックが自ら飛んで威力を軽減したことを瞬時に察し、追撃に飛ぶ。
脚の浮いてしまったアイメリックは加速することが出来ず、オリオンに追いつかれる。
腹目掛けて繰り出された短剣にアイメリックは器用に長剣を絡みつかせ、奪い取る。
あまりにも簡単に奪えたことで、アイメリックは己の失策を悟った。
短剣は囮だったのだ。
グスターヴァイス並の手刀がアイメリックに襲い掛かる。
だが、アイメリックは長剣を短剣ごとあっさり捨てると、オリオンの手首を取った。オリオンも即座に手刀による突きから瞬時に肘打ちへと変化し、手首を取るために空いたアイメリックの脇腹へとねじり込む。
アイメリックは空いている方の手でその肘打ちを防いだが、その手をさらにオリオンに取られ、逆の腕による肘打ちを肩口に打ち込まれる。
その打撃により一時的にアイメリックの腕が麻痺し、がっちりとオリオンの肘打ちを抑え込んでいた手がゆるむ。
オリオンは取られていた手首を返すとアイメリックの手首を取り返し、まるで鎖で互いをつなぎ合わせたかのように近距離で向かい合う。
そして、オリオンはアイメリックの腕の痺れが回復する前に、渾身の一撃をアイメリックの顔面に見舞った。鍛えられた拳と顔面では、さすがのアイメリックでも勝負にならない。
互いをつないでいる手で巧みにオリオンの体勢を崩すと、アイメリックはギリギリのところで拳をかわした。
それでもオリオンは止まらない。
かわされた拳を開くと絹のように滑らかなアイメリックの長髪を掴み、頭突きをみまっていく。
地味に見える攻撃だが、頭突きは使い手次第では一撃で相手を戦闘不能にまで追い込む危険極まりない技だ。まともに顔面などで受ければ、鼻骨がグシャグシャに潰れてしまう。
放たれた頭突きに対し、アイメリックも頭突きで迎え撃つ。
ゴスッ! という重く鈍い音が響き、二人の額が割れた。
アイメリックは頭突きを受けたことでわずかに開いた隙間から膝をはね上げ、渾身の頭突きを放ったことで突き出されたオリオンの顎を狙った。
これをオリオンが寸前でかわすと、それを合図としたかのように互いに手を離し、オリオンとアイメリックは距離を取った。
オリオンは素早く懐から薄布を取り出すと、割れた額の傷口を縛り上げた。額は出血の量が多い場所だ。放置すると目に流れ込み、視界を著しく妨げる。いくら視覚頼りに戦っていないとは言え、相手はアイメリックだ。五感をすべて活用しなくてはとらえきれなくなる。
だが、対するアイメリックは額から流れる血はそのままに、ただ立ち尽くしていた。
流れる血はアイメリックの高く通った鼻筋で分かれ、伝い流れ落ちていく。
アイメリックはなめらかで美しい舌を使ってその血をすくい上げると、まるで紅をさすかのように唇を舐め、大きく嗤った。
まとう空気がさらに変わる。
どうやら本気を突き抜け、戦いの狂気を呼び覚ましてしまったらしい。
美しく秀麗なその顔は、血で彩られたことで、この世のものならぬ美しさへと昇華する。
狂気で弧を描く口元とは対照的に、その瞳だけはいまだに少年のように純粋な輝きを放ち、オリオンを見据えている。
オリオンはその純粋さに恐怖した。
それは、この世のすべてを漂泊する、けして濁ることのない純粋さだ。
人の世の営みを醜いと蔑み、すべてを無に帰そうとする、神の使いのような純粋さ――。
濁ることなく、混じることなく、ただひたすらに純粋に狂う。
その存在は、ある意味この世でもっとも尊いものなのかもしれない。
この存在と戦う自分は、神によって罰せられるべき、穢れそのものなのかもしれない。
それでもオリオンは前へ踏み出した。
覚えた恐怖を置き去りにして、ただひたすらに戦いにのめり込んでいく。
二人の身体が交差する。
繰り出される拳、肘、膝、脚。五体のすべてを二人はぶつけ合っていく。
その動きは、戦いを離れて眺めているヘリッドとバルブロにすら、もはやとらえきれない領域へと達していた。
互いの身体を叩きつけ合う音だけが鈍く響き続ける。
戦いの中で両者は成長し、技量を高めあっていく。
この成長が、両者の明暗を明確に分けることになった。
アイメリックの繰り出す攻撃に、オリオンがついていけなくなったのだ。
アイメリックは嗤ったまま殴る。
嗤ったまま殴ったアイメリックがさらに嗤い、速度と威力を増していく。
一発に対して一発返せていた攻撃が二発に一発へと変わり、二発が三発へ、三発が五発へと変わる。そして、ついには防戦一方となる。
打たれているのに皮膚が裂ける。
蹴られているのに肉が抉れる。
それでも逃げず、退くことのないオリオンは、血だるまになってもなお立ち続けていた。
勝機を求めて目まぐるしく思考を巡らせる。
一撃ごとに重くなる攻撃に一歩ずつ押されていく。
押されて下がり続けたオリオンの足が、不意に足元に転がるものをすくい上げた。
瞬時に両の手に短剣とアイメリックの長剣が現れる。
押され続けながらも探し続けた答えが、二本の剣だったのだ。
受けた傷は多いが、どれもまだ表面的なものだ。致命的な一撃はまだ受けていない。
オリオンは二刀を構えて反撃に転じた。
扱いにくいアイメリックの長剣も即座に使いこなしてみせる。
先程まで一方的に攻撃していたアイメリックが、一転回避に回る。
だが、大きく弧を描いたアイメリックの口元が崩れることはない。
一瞬、アイメリックの足が止まる。
その隙を逃すオリオンではない。
長い間合いを持つ長剣を一気に突き入れた。
長剣の先端がアイメリックの胸に吸い込まれる。
そう思われた刹那、アイメリックが振り下ろした手刀が長剣を半ばで折り、即座にその手刀をはね上げ、今度は長剣を根元から折ってしまう。
そしてさらに一歩踏み込み、突き出されたオリオンの腕を巻き取るように外側から拳をオリオンの顔面に叩きつけた。
脳が揺れ、膝が崩れる。
それでもオリオンは本能に突き動かされて短剣を突き出した。
その腕をアイメリックが無造作に払いのける。短剣はオリオンの手を離れると、クルクルと回転してアイメリックの背後へと飛んだ。
戦う意思に反し、三半規管が大反乱を起こしたオリオンは、崩れた膝が力を失い両膝をつく。
立つことは出来ない。だからと言ってうつむいてたまるかという思いから、オリオンはアイメリックをにらみつけた。
アイメリックになぶるつもりも、遊ぶつもりもない。
先程は握りしめた拳を今は解き、まるで神の刃を持つかのように、手刀を振り上げる。
オリオンの視線が自然と手刀を追う。その姿は、まるで神に挑み、そして神に敗れた反逆の使徒のように、バルブロの目には映った。
人の限界を超え、不可能領域を渡ってみせた二人の戦いに決着がつく。
それはバルブロが望んだ結末であった。
だが、それはまるで神に対する人の敗北を見るようで、心は少しも動かなかった。
アイメリックは変わらず狂気に嗤いながら、濁ることのない瞳で<暁>の大将を見下ろしている。
見返す<暁>の大将の顔は無念に歪み、それでも諦めきれない勝利への執着が、瞳の奥でたぎっていた。
敵であるはずの男を、バルブロは心底すごいと感じた。いや、このわずかな時間の間で、惚れ込んだと言ってもいいかもしれない。
自分には従うという選択肢しか現れなかったアイメリックを相手に、死の間際にあっても退こうとしない。おそらく死んでもその魂は屈服することはないだろう。
あまりにも見事であり、それ故に、あとに残るものは深い絶望だった――。
オリオンの瞳にはけして差さない諦めが、バルブロの瞳を翳らせる。
そう。結局誰も、アイメリックには敵わないのだ。敵うどころか並ぶ者無きその存在に、死にたくない者は従い、死にたがりは逆らい、その罪を罰せられるのだ。
明日も、明後日も、バルブロはアイメリックに従い続けるだろう。一年後も、十年後も、命ある限り、従い続ける。せめて死が終わりであればと、バルブロは考えていた。その先などないはずなのだが――。
不意に状況が変わる。
バルブロの目は吸い込まれるように眺めていたオリオンの表情の変化を見逃さなかった。
その変化を見逃さなかったのは、アイメリックも同様だ。
オリオンの目が大きく見開かれる。
アイメリックがクルリと振り向く。
二人の視線の先には、アイメリックによって弾き飛ばされた短剣を空中で受け止め、アイメリック目掛けて急降下するヘリッドの決死の形相があった――。
次は16時ごろの投稿となります。
ってか、まだ書き終わっていない!
ヤバいぞ俺! 頑張れ俺!
ちょっと追い込み過ぎたか?




