水も滴る良い学友
「わわ! 伽堂さん大丈夫!?」
「お、泳げますから……も、問題……ないです、の」
「言わんこっちゃない。水泳部と水中バレーなんて端から勝ち目がないんだ」
伽堂だって愚かではない。水泳部と泳ぎの速さを競うような真似はしなかったが水中バレーは泳ぐ速さがボールを捉える力に直結しているのだから互いにバレーが素人とするならより多くボールに触れた方が有利になる。当たり前の話を彼女は忘れていた。伽堂は愚かだったのだ。
「二対一が成立するくらいだしな。浮き輪にでも入っておけよ」
「わ、私は浮き輪なんて軟弱な代物は……」
「お嬢様~浮き輪を投げておきますねえ」
端からこの事態を予測していたであろう舞子さんはもう浮き輪や遊具を膨らませて幾らか俺達に向かって投げてくれた。これだと救命活動かもしくは輪投げをしているみたいだが、俺も浮き輪があれば楽が出来る。周りが水着姿だと忘れてしまいそうになるが一人だけ着衣泳のままバレーに付き合ったのだ。
残念ながら浮き輪は伽堂のサイズに合わせられていたので、仕方なくゴムボートに乗って体力を回復させる。
「私なんかより、神坂守命君が凄くない? 服着て、そんなに動けるの? 重たくない?」
「重いけど、こういうのは慣れだよ。別に俺だって水着があれば着替えたけど、ないから仕方ない」
「せめて上は脱がない? それとも裸になるのも恥ずかしいタイプ?」
それも一部合っているが、気恥ずかしさから俺は話を逸らした。
「上を脱がなくても泳げるから脱いでないだけだ。お前こそ、私服の下に水着を着用してるのはどういう理屈だ? 水着が私服の人間か?」
「それは、簡単な話。今日は部活じゃないけど皆で泳ぐつもりだったの。学校のプールは水泳部が管理してるから、暇さえあれば泳げるってだけ。アンタが校舎の鍵を持ってるみたいにね」
「……キャンセルしたのか?」
「だ、だって彼氏に呼び出されたら……い、行かない? どうしても大切な用事があるって……ふ、普通だよね? おかしくないよね?」
無事話を逸らすのには成功したようで、花影は顔を赤らめながら自分の行動はおかしくない筈と慌てふためいている。これまで恋人の居なかった俺に正誤は判断出来ない。そもそも学校のプールで泳ぐ用事さえ知らなかったのだから。
「…………成程。神坂君の彼女とは花影さんでしたのね」
「え? 今更?」
「伽堂は学校に来てなかったんだ、情報源が俺のラジオだけって考えたら分かるだろ。確か明言はしてない」
下手に名前を出して惚気て、そこまで織り込み済みの演技だったなんて言い張れるものか。俺達の関係は彼女の安全が確認でき次第自然消滅する。そういう風にしないと、いつまでも花影の人生に迷惑をかけてしまう。
「…………て、って言っても本当の彼女じゃないよ!? なんかその、訳アリっていうか、あ! これ言っていいんだっけ……」
「まあ、大丈夫だろ。伽堂に色恋沙汰を吹聴する趣味はないと思ってるし、透明人間がここに潜伏してるなら榊麻の一件は起こってないんだから。起こった事にも気づかないって方が正しいけど」
「信用してくれていますのね。しかしその関係はまるで私が架空の許嫁を用意している現状に近く親近感が沸きますの」
「え、許嫁居ないの!? あ、まさかそっちも神坂守命君―――」
「俺、結婚詐欺師みたいになってないか?」
「ふふふ。こちらは全くの架空です。神坂君は単にその真実を知る一人ですの。花影さんも同じですの?」
「え?」
「神坂君の事、何とも思っていませんかと尋ねていますの」
「わ、私は…………」
自分で言いたくはないが、感謝される謂れはある。花影を助けたのは俺と一魅だから、恩人と考えていてくれるならそれで十分。伽堂の聞き方は少し意地悪だ、何とも思わない人間と遊ぶ訳ないのに。その問いを否定したら俺に恋愛感情があるように結論づけられるなんて。
「伽堂、久しぶりに友達が出来たからって距離感間違えてるぞ。あんまり花影を困らせないでくれないか?」
「神坂君に聞いていませんのよ?」
「バレーの腹いせはやめてやれっての。名家の淑女がはしたない、そういう質問は野暮とか愚問とか……まあ要するに口に出すまでもない話なんだ」
「神坂君! 聞き捨てなりませんわ! 私が一時の遊びにまるで本気で取り組んでいたかのような……余暇です! ただ私は、花影さんが貴方に視線を送る回数が不自然に偏っていたのが気になって!」
「あーはいはい。負けず嫌い負けず嫌い。一魅もそうなんだよな、熱が入ったら食い下がって、しかも自分の熱意を認めたがらないんだからぉぅああああ!?」
食ってかかられても余裕をこいていたら痛い目に遭うとたった今学習した。ゴムボートをひっくり返すなんて、何処にそんな力があったのだ!
「暴力に訴えるなんて、引きこもり過ぎて順法意識も忘れたか!」
「神坂君! 貴方を許しませんの!」
「うわああああああああ!」
「…………………………私は、その」
「すみませんね。びしょ濡れのまま帰ったら家でなんて言われるか分からないもんで」
「構いませんよぉ、お嬢様も随分楽しんでいらっしゃいましたし。あ、肌が触れないように離れておきますねぇ」
「ありがとうございます」
伽堂と舞子さんには既に事情を話してあるから、気が楽だ。尤も伽堂に関しては触れても問題ない。でないとついさっきまで水中で胸ぐらを掴まれていた説明がつかなくなってしまう。今は三人共がびしょ濡れになったので、俺は譲られる形で先にシャワーへ。女子二人は待機している。
普段なら俺が喜んで待つのだが、私服で水中に飛び込んだのがまずかった。譲られる理由としても厚意を受ける理由にしてもそれ以上はない。すぐに出ようと思っても今度は着替えがないから意図的に長時間のシャワーを浴びてみたのだが、それでも全然服は乾かない。
流石に全裸徘徊はと気を利かせてくれた舞子さんの手で何とか下着とズボンだけでも乾かしてもらったのが現状だが、プールに居た時は服を着て地上では半裸を強いられているなんて何もかも間違えているとは思わないか。俺は何をしているんだ。
「女性に触れない……お嬢様を除いた例外は弓水様だけなんて不思議ですねぇ。何か共通点でもあるのでしょうか」
「それがさっぱりでね。俺もまさか一魅以外に例外が居るなんて思ってなくてほんと……驚きました。でも女性を生理的に嫌ってるとかではないんです。本当にただこれは、条件反射で」
「分かっておりますとも。さ、リビングへお戻りください。お次はお嬢様の番ですからぁ」
本音を言えば仮にも女性である舞子さんに下着を乾かしてもらうのは気が引けるどころかあまりにも選びたくない選択肢だったが、人の家の洗濯機だか乾燥機だかを無断で借りるのもやはりどうかと思うという葛藤があったのをどうか忘れないでもらいたい。これで図々しいと思われたら心外だ。
「二人共。シャワー空いたぞ」
「待ちくたびれましたの」
「え、なんでこっちでは服脱いでんの?」
「びしょ濡れだからだよ。雨でも降ってたら開き直って着たかもな」
まだ昼過ぎだが天気を見れば実に快晴、雨の降る余地など全くない青々とした空が広がっている。これから夏が近づくにつれて雨は増えるかもしれないがそれは今日じゃない。天気が俺に配慮してくれる道理はないのだ。
「…………」
「花影さん?」
「あ、え? ち、違うよ、違うから! 別に裸とか見慣れてるし! 中学校で何度もプールの授業やったもんね! ね!」
「何の話ですか? シャワーを浴びに行きましょう?」
「……あ、うん。いこ、っか」
プールの授業か。中学校も小学校も正直一魅の水着姿しか見ていなかった気がする。記憶を掘り起こしても出てくる景色がそればかりで、なんというか自分でもこんな事は言いたくないが一魅に『思春期』をぶつけすぎて変態の領域に片足を突っ込んでいるような。
勿論、仕方ない。性嗜好として女性は好きなのにまるでアレルギーのように接触を避けてきたのだ。これまで唯一の例外だった彼女にそれが集中するのは自然な流れだし、何より一魅自身それを受け入れてくれる。
だから悪いのは一魅……と転嫁しようとは思わないが、小学校はともかく中学は男女別にレーンが別れていた。そんな決まりなど知った事かとばかりに隣にぴったりくっついて授業に付き合ってくれる彼女に何の責任もないかと言われたら……誰かに糾弾は頼みたくなる。
―――この理屈も、今は違うんだよな。
今は例外が二人に増えた。それなら俺の『思春期』は伽堂に向けられるのかと思ったら、別にそんな事はない。全くのゼロとも言わないが自分で自分を後々殴りたくなるような衝動には駆られない。これは接触例外以前に一魅の事が好きだから……自分の状況にかこつけていたり、するのだろうか。
ふと何かに反応して視線を下げると、伽堂の携帯が目に入ってしまった。起動画面にはロックがかかっているから当然俺には開けられないが、ポップアップ通知なら解除するまでもなく覗けてしまう。身体が反応したのは通知のバイブ音で、それは絶え間なく音をかき鳴らし持ち主にメッセージの通達を伝えている。
相手の名前は『敷茂』。どうやってかは分からないが、伽堂と連絡先を交換していたようだ。
「…………なんだこいつ」
思わず独り言が出てしまうくらい、嫌悪感を隠せないでいる。通知は全てSNSのチャットであり、滝の様に流れてくる通知は全て命令形。『服を脱いだ写真を送れ』だの『下着の色を見せろ』だの『脱ぐ瞬間を動画で』だの……極めつけはありのままの姿を見せたまま……いや、これ以上は言うまい。頭の中で読むだけでも口が腐りそうだ。
こいつは伽堂との個人チャットをアダルトサイトか何かと勘違いしているのか?
「………………」
花影は要求を呑んだりしていないだろうか。たとえ一度でもこんな指示に従ったら人生は終わりだ。最初に助けた被害者だからだろうか、それとも嘘を吐き続けている負い目からか……ずっと不安だ。飛び級でも何でもいいから今すぐ卒業させられたら、こんな面倒とはおさらばなのに。
ついでに遠距離恋愛は破局しやすいらしいから、それで俺との関係も解消出来る。ところでそれはいつの話だ? いつになったら俺は要らなくなる?
『守命君なんて大っ嫌い!』
あの子みたいに、いつかそんな風に言われてしまうのだろうか。
嫌われるのは、嫌だな。




