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10話 永遠の誓いと、幸福な未来


 あの日、世界が黄金の光に包まれた公開プロポーズから、数年の月日が流れた。

 ガルディア王国は今や「大陸の庭園」と呼ばれている。かつての荒々しい軍事大国の面影は、エリンがもたらした豊かな緑と清らかな水、そしてそれによって発展した農業と商業によって、優雅で平和な大国へと変貌を遂げていた。


 王城「アイゼンフェルス」の広大な庭園には、今日も柔らかな陽光が降り注いでいる。


「お母様! 見て、お花が笑ってるわ!」


 鈴を転がすような愛らしい声。琥珀色の髪をなびかせて走ってきたのは、カイルとエリンの第一王女、リリアナだった。彼女の指先が触れた蕾は、エリンの力を受け継いだのか、瞬く間に美しい白百合へと開花する。


「ええ、本当に綺麗ね、リリアナ。お花たちも、あなたが大好きみたい」


 エリンは、以前にも増して穏やかで、慈愛に満ちた表情で娘を抱き上げた。王妃としての公務をこなしながらも、彼女は毎日この庭園に立ち、自らの手で土を慈しむことを忘れていない。


「おーい、二人とも。あまり遠くへ行くなと言っただろう」


 そこへ、政務を終えたカイルが歩み寄ってきた。威厳ある王としての顔は、妻と娘の前では跡形もなく崩れ、とろけるような甘い父親の顔になっている。彼はリリアナをひょいと肩車すると、もう片方の腕でエリンの腰を優しく抱き寄せた。


「エリン、今日も君は世界で一番美しい。この光景を見るたびに、あの日、雨の中の君を見つけ出した自分を褒めてやりたくなるよ」

「カイル様、またそんなことを……。でも、私もあの日、あなたに手を引いてもらえて、本当に幸せです」


 二人は見つめ合い、自然と微笑みがこぼれる。エリンの胸には、かつて自分を縛り付けていた「無能」という呪縛も、「孤独」という冷たさも、もう一欠片も残っていなかった。


 一方その頃。

 かつてバトラー王国と呼ばれていた地は、今や「忘却の荒野」と呼ばれていた。


 かつての王都。豪華絢爛を極めた王宮は、数年前の反乱と魔物の襲撃によって崩れ落ち、今は黒く焦げた石柱が墓標のように並んでいる。水は毒を孕み、大地からは一切の作物が育たない呪われた地。そこに、二人の影があった。


「……あ、ああ……。水、水をくれ……」


 ボロ布のような服を纏い、泥水を啜ろうとしている男。かつての第一王子、レオナルドだ。

 彼はカイル王によって、死ぬことすら許されない「魔力供給源」としての刑期を終えた後、この廃墟へと解き放たれた。エリンに魔力回路を焼かれた彼は、今は魔法を使うことも、重い荷物を持つこともできないほど衰弱している。


「うるさいわね、この役立たず! あなたがエリンを追い出したりしなきゃ、私は今頃王妃様だったのに!」


 彼を罵り、背中を蹴り飛ばしたのは、かつての「真の聖女」ミナだった。

 彼女もまた、自業自得の末路を辿っていた。贅沢に溺れ、他人の生命力を吸い取って咲かせていた「まやかしの花」の報いにより、彼女の肌は老婆のように萎び、若々しさは永遠に失われた。


 二人は毎日、この荒れ果てた地で、かつてエリンが一人でこなしていた「雑用」を強いられていた。

 泥を掻き出し、石を運び、毒に汚れた土を素手で耕す。だが、どれほど時間をかけても、エリンがいた頃のように水が澄むことはなく、花が咲くこともない。


「……エリン。頼む、戻ってきてくれ……。お前が磨いていた石畳、お前が洗っていたグラス……あれがどれほど、尊いものだったか分かったんだ……。お願いだ、もう一度だけ……」


 レオナルドは、かつてエリンを捨てたあの夜会の広場跡で、地面に額を擦り付けて泣き叫んだ。

 だが、彼の声を拾うのは冷たい風だけだ。


 彼は思い出す。自分を慕い、健気に尽くしてくれていた頃のエリンの瞳を。

 もし、あの日彼女の手を取っていたら。もし、彼女の「地味な仕事」を称賛し、共に歩んでいたら。今頃自分は、緑豊かな国で、世界一美しい妻の隣で笑っていたはずなのだ。


 しかし、失ったものは二度と戻らない。

 彼らに残されたのは、かつて自分たちが笑い飛ばした「地味な労働」の重みを噛み締めながら、一生をかけて後悔の中で朽ちていくという、最も残酷な結末だった。


・・・


 ガルディアの王城では、晩餐の時間が近づいていた。


「お母様、今夜はカイルお父様と一緒に、星を見に行く約束よ!」

「ええ、そうね。今夜はきっと、綺麗な星空が見えるはずだ」


 カイルはエリンを愛おしげに見つめ、その指先にそっと口づけをした。


「エリン。君を捨てた者たちは、今、自分たちが何を失ったのかを骨の髄まで思い知っているだろう。だが私は……君を得た喜びを、一日たりとも忘れたことはない」


「カイル様……。私を、私にしてくれてありがとうございます」


 エリンは、カイルの胸に優しく頭を預けた。

 かつて「いらない」と言われた少女は、今、一国の王に、そしてこの世界のすべてに「必要」とされ、愛されている。


 庭園に咲き誇る花々は、主人の幸福を祝うように一際強く香り、風は祝福の歌を運んでくる。

 

 愛を知り、価値を知り、居場所を見つけた聖女の物語。

 そのページは、これからも永遠に続く幸福な日々で綴られていくことになる。


 ――地味で無能な聖女?

 いいえ、彼女は世界で最も愛され、世界を最も愛した、唯一無二の王妃様。


 空に輝く一番星が、そんな彼女の笑顔を優しく照らしていた。




(完)

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