終.世界にただふたつ
石段を抜け、鳥居をくぐる。
砂利の敷き詰められた地面。その先に、ただひとりの少女もとい神は佇んでいた。
「よく来たな。」
優しく微笑む様からは、普段の傲岸さが垣間見えることはない。恐らく終わりが近いと悟っているからだろう。
「さぁ早う妾を倒せ。そして、ヒトシの力で現世に帰るのじゃ。」
「…………はい。」
先生は静かに頷く。
だが、そこで私は口を挟む。
「待って下さい!神様を倒す必要はありません!」
皆の視線が向く。
急速に舌が乾くのを感じながら、伝えるべき言葉を続ける。
「私が神様に『皆』を使います!それで、神様の神力の流れを止めるんです!そうすれば、神様も妖怪になることはないはず!」
これこそ、神を救う手段。そして、私が彼女に恩を返せる方法だ。
何も、神を殺す必要はない。そんな方法が今、ここにあるのだ。皆の表情も明るくなるはずだと、そう思っていた。
しかし、淡い期待は弾ける。
「それは…無理じゃ。」
「ど、どうしてですか!?」
意味が分からなかった。
私の考えに穴があるとは思えない。
首を振る神の代わりに、大里先生が目を伏せて言う。
「良いですか。貴方の『皆』は永久に持続するものではありません。つまり、定期的に術をかけ直す必要がある。……ですが、妖の狭間は既に封印されつつあります。」
つまりは、この機を逃せば神との接触は叶わなくなる、というわけか。
もし、私が一度『皆』を施しても妖の狭間を出てしまえば、再び『皆』をかけ直す術はない。
だからこそ、先生はここで神を殺そうとしているのだろう。
だが、それは駄目だ。
神を殺すことはしたくない。
ならばどうするか。
答えは決まっていた。
「………それなら、私が妖の狭間に残ります。そうすれば、定期的に『皆』の効果が切れる前にまたかけられます。」
「ま、待ってよかえでっち!本気で言ってるの!?それ、どーいうことか、分かってるの!?」
純麗ちゃんが私の肩を揺らす。
少し強い力が、彼女の動揺を伝わせた。
私のことを、想ってくれているのだろう。それが何よりも嬉しかった。だが、決定を曲げることはない。
「うん。わかってるよ。……そうしたら元の世界には戻れない。」
「なのに、残るっていうの!?学校は!?家族は!?しょーらいは、どーするの…!………うちは、やだよ。お別れ、したくないよ。」
「………………。」
純麗ちゃんの掠れた声が耳を打つ。
悲痛なほどの叫び。張り裂けるほどの気持ちが溢れる。
しかし、やはり。決定を覆すことはない。
今、この機会を逃せば、私はきっと後悔する。
神を救えなかったこと、彼女を悲しませること。それは嫌だった。恩を返したかった。
私は自分の意思を、どうにか表現しようと口を開く。しかし、言葉が出る前に千里くんのし静かな声がした。
「それが、楓のやりたいこと?」
感情の起伏が感じられない、ただの問いかけに答える。
「うん。私に出来ることは、したいんだ。」
「……………………そう。」
皆と別れるのは嫌だ。だが、それでもやはり、神を殺してめでたしというのも耐え難かった。
「ねぇ!ちさとっちからもなんか言ってよ!そんな選択やめよってさ!」
「いや。僕は楓が決めたなら、尊重するよ。」
「そんな…。」
千里くんは私の肩を強く掴む純麗ちゃんを引き剥がし、言う。
「後悔はしない?」
「うん。しないよ。」
「そっか。」
彼の手が私の手に触れる。
「楓。僕は君のこと、待ってるから。何年経とうが、待ってるから。だから、必ず戻ってきて。」
「……うん。分かった。」
確証はない。だが、ここで私を忘れろとは言えない。待つと言われたのならば、必ず戻ると、そう返答しなければ彼に申し訳がたたない。
「…………じゃあ、うちも……うちも、待つから、絶対戻ってきてね!戻ってこなきゃ、許さないからね!!」
「うん。勿論。色々、方法を探して戻るよ。約束。」
3人で手のひらを重ねる。
私は本当に幸せ者だ。こんな時に、そんなことを思ってしまう。
「…………そろそろ戻らなければ。私の力でも妖の狭間から出られなくなります。」
大里先生の顔は相変わらず内を読めない。喜びも悲しみも見えない。
「山吹さん。貴方は、私の大切な生徒です。貴方の選択、しかと見届けます。」
「はい。ありがとうございます。」
お辞儀をする。
これで、皆とはさよならだ。
先生が『在』と唱えると、虚空にぽっかりと穴が開く。先は見えずとも、現実世界に繋がっていることが肌で感じられた。
「またね。」
さようなら、ではなくいつかの再会を願い、挨拶をする。
「カエデ。本当に、良いのか。」
神が私の袖を引く。
小さく、不安気に呟いた彼女を安心させるように、笑顔を作る。
「私、貴方に何も返せていなかったんです。だから、恩返しさせて下さい。」
「……………そうか。……ありがとう。」
小さな手を握る。
初めは弱々しかったが、徐々に力を込めて握り返された。
彼女を一人きりにはさせない。共に、ここで生きる。そうしていつの日か、元の世界に戻ってみせる。
誓いを胸に、穴に吸い込まれていく皆を見送った。
皆が去った後の妖の狭間は喧騒ひとつなく、ただただ静かだ。
そこには他の妖怪もおらず、神と人間、ふたつの存在だけがあった。




