第2話 賢者の石板(4)
4
「なにも書かれてない!?」
青影狼たちが驚きの声を発したのは、夜も更けきっての頃である。
広場を取り囲む岩壁の一角に獣人たちの住まいはあった。半球状にくり抜かれたその場所は元来、家畜小屋として使用されたものであるらしい。だが、グノーの研究過程により、やがて家畜は実験動物にとって代わり、今では実験の成果である獣人たちの棲家となっている。大柄な体躯に合わせて天井が高くなり、ヒト並みの知性と器用さは干し草を敷いただけだった床を敷物やベッド、椅子にテーブルが並ぶ快適空間へと変化させた。獣人の数が増えると同時に奥行きも増し、木製ドアで仕切られた個室、採光のための窓、簡単な料理も可能な暖炉に浴室と、グノー庵が粗末に思えるほどの快適装備を充実させていったのだ。
今、彼女たちがいる場所は一番最初に作られた家畜小屋。現在はリビングとして利用されている広間である。四方の壁と天井には緻密な彫刻が。天井から下げられた蛍光石の燭台からの灯が細やかな凹凸を浮かび上がらせ、躍動感のある立体絵画となって見る者を驚かせるのだ。光源方向や入射角度、光の色や強さなどを計算し尽くして誕生した極上の芸術作品なのだが、獣人たちは見飽きているのか見向きもしない。
「そうなのよぅ」
紺色ワンピから乙女色のネグリジェに着替えた双子が床に置かれた大きな球形クッションに埋まりながら応えた。
「わたしも見たけど文字っぽい模様はなんもなし。棚の中に大事そうに並べられた石板のほとんどがつるつるだった」
サフィアヴィルたちが顔を見合わせる。
彼女らの格好もまた光輪狼と同様のネグリジェ姿である。ヒトをもしのぐ巨体とネグリジェの組み合わせは、赤頭巾ちゃんのおばあさんになりすましたオオカミさながら違和感の塊でしかないが、ここは彼女たちの乙女心に免じて許して欲しい。
「ちょっと待って! ほとんどってことは書いてある石板もあったのね?」
紅炎狼が真摯な口調で問いただす。
「棚の下に積まれた石板には模様が刻まれてたよ」
「靴の跡とか付いてたからグノーが踏み台に使ったんだろうねぇ」
「それでそれで、ヒトの男の子は?」
「それが聞いてよぉ」
「あいつひどいんだよぅ」
光月狼の言葉に、待ってましたとばかりに二人が乗っかる。
「大事なことを書き留めたいから新しいウラジロオウギの葉を持ってこいとか命令しやがってさぁ」
「ほんとだよぅ。裏庭と地下室を何度も往復させられてさぁ。もうヘトヘトだよぅ」
「⋯⋯素直に聞き入れたんだな」
緑閃狼が呆れたように呟く。
「でもまぁ、今のところは文字を読めるあの子に従うしかないもんなぁ」
「そうだな。石板に書かれた文字の内容が大筋で判明してることを願って今日はもう休むとしよう。彼ももう寝てるだろうし、我々だけ起きて気を揉んでもしかたがないというものだ」
「だね」
「だな」
「うん」
「うん」
「よし」
おやすみの挨拶を交わしながら、それぞれがそれぞれの個室へと引き下がるのだった。




