最終話 無口な上司とハッピーエンド
ほんの少し息を切らせながら、制作2課のフロアに飛び込む。すると、真藤課長は相変わらず書類に囲まれてもくもくと仕事をしていた。
しかし、いきなり走りこんで来た私を見て、真藤課長は驚いた表情をしていた。私も、勢いよく駆け出したものの、いざ真藤課長の顔を見ると少し焦ってしまい息がなかなか整わない。
そんな私を心配して何か言おうとした真藤課長だったが、手紙と指輪の箱を、胸の前でぎゅっと両手で握りしめるのを見て、息を飲んだような気がした。
「わたし……、真藤課長が、好きです」
一瞬の隙を逃さずに、私は自分の気持ちを口にした。聞きたい事もいっぱいあったけれど、それよりもまずは自分の気持ちをまっすぐに伝えたかった。ずっと、気が付かない振りをして、押し込めていた大切な想い。
「……好きです」
もう一度、そう言うと急に恥ずかしさが込み上げる。もっと大人の女性らしく、駆け引きとか、気の利いた告白とかあったかもしれない、でも、結局、私にはこんな普通の言葉しか出てこなかった。
真藤課長の沈黙が怖かった。
何か言って欲しいような、何も言ってほしくないような、相反する気持ちがぐるぐると私の心を駆け巡る。胸の前で、握りしめていた手がほんの少し震えていた。すると、真藤課長が私に近づいて、その上から両手でふわりと包み込んでくれた。
「鈴木夕子さん」
初めて下の名前を呼んでくれた。
心臓がトクンと跳ねる。
真藤課長の手の温もりとその優しい声音……それだけで、もう何もかも報われた様な気がした。
「僕と結婚して下さい!」
「……」
「……」
「え?」
「え?」
色々すっ飛ばしたその言葉に、一瞬ついていけなかった。
け、け、結婚? え、まずはお付き合いからとか、でもこの指輪、ってそのまんまの意味? いずれ、そうなったら良いなとは思うけれど、でも、急すぎて……。
ストレートなプロポーズに、正直動揺してしまった。けれど、言った本人も思わず口から出てしまった言葉だったのか、真藤課長は耳まで真っ赤になっていた。
「あの、急にすみません。いえ、その、結婚を前提とした真剣なお付き合いという事を言いたくて、その……」
その姿が、たまらなく愛しく思えた。
「真藤光博さん」
お返しに名前を呼んでみると、弾かれたように顔を上げた彼の瞳に私が映っていた。
びっくりしたけれど、答えは最初から決まっている。
「私でよければ、よろしくお願いします」
「あなたでなければ駄目です。それこそ、本当に僕で良いんですか?」
「私も、真藤課長じゃないと嫌です。好きです。たぶん、バナナを貰ったあの時から、私……」
「僕も、あなたがずっと好きでした。……初めて会った時から」
その言葉に衝撃を受けた。え? 初めてって、もしかして新人研修の時から? だって、それって、7年も前……。
「……そ、その話は、また後日にして貰えませんか? 僕も今はちょっともう色々と……、色々なので」
「わ、分かりました」
「……」
「……」
無事(?)両想いになったものの、29歳にもなって情けないが、このあとどうしたらいいのか分からなかった。しかし、ふとここは会社で、真藤課長が残業中だったのを思い出す。
「あ、あの、お仕事手伝います」
「え、あ、いや、でも……」
「早く終わらせて、その……一緒に帰りたいです」
「……」
「……」
「……それでは」
そう言って、デスクに戻ろうとした時、真藤課長のスマホが鳴った。突然の着信音に飛び上がりそうなほど驚いた。しかし、真藤課長は画面を見て表情が少し険しくなる。そして、そのまま出ることもなく切った。
「あの、出なくていいんですか?」
「……はい。あの、鈴木さん」
さっきの名前呼びが嬉しかったから、いつもの苗字に戻って、ちょっとがっかりしたのは、内緒だ。だけど、私もいきなり課長の名前を呼べと言われても無理かもしれない。
「やはり、今日はもう帰りましょう」
「お仕事は、よろしいんですか?」
「はい。明日の朝、早出にしますので、それで、その、かわりといっては何ですが、その……今夜はこのまま、僕の部屋に来ませんか?」
突然の誘いに驚きと緊張が走った。え、それって、まさか。
「あの、いきなり今夜というのは、心の準備が……」
「! いえ、あの、誤解をさせる言い方になって、すみません。その変な事を考えているわけでは、いえ、少しは考えたりしていますが、今日どうこうというのではなく……」
「……」
課長の言葉に、変な勘違いをしてしまった自分が恥ずかしすぎる。
「変な意味ではなく、ここは会社ですし、とりあえず僕の部屋で少しゆっくり話したいと思いまして、聞きたい事も、話したい事もいっぱいあります」
私もそれは同じだったので、素直に返事をした。
「真藤課長の部屋に、行きたいです」
「っ、では……帰りましょう」
課長にそう言われ二人で、フロアを後にする。途中、出版部に置いていた自分の荷物を取りに行く、そこでずっと握りしめていた手紙と指輪を思い出す。
そういえば、この指輪どうしたらいいんだろう?
「あの、真藤課長……」
「はい。どうしましたか?」
「この、指輪……は、私が持っていてもいいのでしょうか?」
「そ、それは……あの、ちなみにその指輪はどこにありましたか?」
「……え? 手紙と一緒に私の机の上に……もしかして、私へのではなかったのでしょうか……」
「いいえ! それは、いつかあなたに渡そうとずっと……でも、さっき鞄を見た時は紛失したのかと……いや、その、とにかく、後でちゃんとしますので、持っていてください」
真藤課長の言葉に、怪訝に思いながらも、大切に自分のカバンに仕舞った。
「今日は、車ではないのですか」
普通に会社を出て、歩き始め不思議に思ってそう聞いてみた。
「すみません。今は少し動揺していまして、運転は危ないかと」
「そ、そうですか……」
そんな風に言われると、ものすごく照れてしまう。真藤課長がこんなにも動揺してくれているのかと思うと、自分ばかりじゃなくて、同じように相手も想ってくれている感じがして、何だか嬉しくなった。
だかならかな、ちょっとわがままを言ってみたくなった。
「あの、せっかくなので、手を繋いでもいいですか」
「……」クイッ。
すると、真藤課長は赤くなった顔を見られないように、眼鏡を押し上げながらそっぽを向いてしまった。やっぱり可愛い。
けれど、すぐに無言のまま、そっと手を握ってくれた。
普段は無口で冷静沈着で、眉間の皺と鋭い目つきが少し怖いけれど、とびっきり優しいこの人が、今日から私の彼氏。
これから、いろいろ大変かもしれない。けれど今度は、面倒になっても投げ出したりしない。
片方だけが、頑張るんじゃなくて、上手く行かない時は、ちゃんと話し合ってお互いに努力をしよう。
大切にされたい。
大切にしたい。
幸せになりたい。
幸せにしたい。
そうやって二人がお互いに思いやりを持ちながら、歩いていけたら、それはとても素敵なことだと思う。
優しいあなたとなら、大丈夫。
そして私も、あなたのように優しくありたい。
きっと、ずっと大丈夫。




