epilogue それぞれの終わりと…始まりはつきもの!
大阪で志乃を家に送り届けた後、車は神奈川に向けて走り始めた。
まだ道路の混む時間帯らしい。
阪神高速14号松原線から近畿自動車道で東大阪JCT方面へ。
第二京阪道路を経由して名神へとアクセスする。
その時点で、紘一は休憩することに決めた。
少しの仮眠をとって、車通りの少ない時間帯に動こうと草津PAへと車を入れる。
つくづく狸に縁があるらしい。
軽い食事をとるつもりで売店へと足を踏み入れたところでもう少し後にしようと思ってしまう。
トイレを済ませ、ドリンクだけを買って車に戻るとメールが届いていた。
長浜の旅行記はあれで良かったらしい。
ついでに大阪で取材をして来いと次の指令が書かれていた。
幸いなことに取材は終わっている。
ネットにつないで、ニュースソースとして出ている情報を確認する。
同時に取材メモを整理していく。
奏音が送ってくれた写真に目が留まった。
病院の、奏音の病室の窓から見えた夕焼けだ。
長浜を中心にしたデート紀行を書くだけの仕事だったのに…
思いもよらない出来事に立ち会うことになった。
それを記事にする。
科学的根拠は示されないままに、世間を騒がせた原因不明の集団発症。
隔離病院としての指定、そして、転院に伴うトラブル。
そのうえで病状は快方へ向かい始めている。
しかし、その裏で責任を問われる者たちの存在がある。
今回の騒動は、単なる医療事故とも、自然発生した感染症とも言い切れない側面を残している。
病気が終息に向かったとしても、それで全てが終わるわけではない。
人の欲が引き起こした出来事には、人の社会の中で責任を負う者がいる。
とはいえ、その真相を記事としてまとめることはできない。
テーブルにPCを取り出す。
それを龍騎がまじまじと見ている。
「忙しそうだな」
「まぁ、取材よりも、忙しいかもな」
紘一は苦笑を添えて答えた。
キーを叩く音だけが車の中に広がっていく。
――大阪市内の医療機関で発生した一連の騒動。
当日は病棟の一部で混乱が発生し、関係者が慌ただしく対応に追われていた。
幸いにも大きな被害は確認されず、現在は平穏を取り戻している。
後日、関係機関の調査により、事件の背景が明らかにされることになるだろう。
ただ、現時点では原因不明の熱病に対する対応にあたる病院関係者の労をねぎらう方が先決だ。
残念なことだが、隔離病院指定に伴う転院騒ぎの中、驚くべき事実が発覚した。
それは大小に限らず医療機関として反省すべきことでもあった。
病院関係者による不正行為や不適切な資金の流れが明らかになった。
それは命を賭して患者にあたる心意気を見せる医師や看護師に対する不遜ともいえる行為だった。
すでに様々な情報が公開されている。
小欄は、偶然にもその場に立ち合うことになったが、不適切な発言が火種となったことを悲しく思う。
今回、自社に訪れる取材をしていたことに寄せて寄稿することになる。
人の欲は時に判断を曇らせる。
それは昔話の中だけの話ではない。
歴史ある寺社を巡っていると、人は信仰を語る。
しかしその一方で、人は欲望も抱えている。
竹生島で祀られている弁財天は財福の神として知られている。
だが本来の姿は、それだけではない。
八本の腕に武具を持ち、仏法を守護する存在でもある。
富を与える神でありながら、同時に人の在り方を見ている神。
そんな話を思い出した。
今回の事件に関わった人物もまた、最初から大きな悪意を抱いていたわけではないのかもしれない。
小さな欲。
少しの打算。
ほんのわずかな妬み。
その積み重ねが、気付けば多くの人を巻き込む結果になった。
写真の中で夕焼けは静かに街を染めている。
あの日、病室の窓から見えた景色と変わらない。
何が起きたのか。
何が人を救ったのか。
それを説明する言葉を紘一は持たない。
ただひとつ確かなのは…
あの病棟にいた人たちが、明日を迎えられるということだった。
だからこそ思う。
人が何を残すのか。
何を持ち帰るのか。
旅とは景色を見るだけのものではない。
時に、自分自身を見つめ直す機会なのだろう。
旅先で見た琵琶湖は静かだった。
風に揺れる湖面は、そんな人の営みなど関係ないと言うように穏やかだった――
何が起きたのか。
何が人を救ったのか。
それを説明する言葉を紘一は持たない。
とりあえず、葉月に原稿を送る。
少し暖かいものを食べて仮眠でもしよう。
「来るか?」
「いいのか?」
「おっさんが狸のぬいぐるみ持ってウロウロするのはあれだけど」
紘一は苦笑しながら、龍騎を胸ポケットに押し込んだ。
「痛いぞ!」
「気のせいだろう。絶対」
「絶対じゃないだろう」
龍騎は胸ポケットの中で文句を言った。
車の外へ出ると、夜風が少し冷たかった。
草津PAは思っていたより人が多い。
大型トラックが並び、深夜に向けた準備が始まってると感じさせられる。
「何食うかな」
独り言のように呟きながらフードコートへ向かった。
入口をくぐった瞬間だった。
「ラーメン!」
胸ポケットの中から即答が返ってくる。
「聞いてない」
「ラーメン!」
「だから聞いてない」
「匂いがする!」
龍騎は興奮したように胸ポケットで暴れる。
視線だけが注がれたが、どの視線も紘一を通り過ぎていく。
姿が見えなくて良かったと思う。
見えていたら確実に不審者だった。
食券機の前で立ち止まり、メニューを眺める。
うどん。
カレー。
定食。
ラーメン。
どれも悪くない。
「ラーメン」
「うるさい」
「ラーメン」
「知るか」
「ラーメン」
「お前、さっきからそれしか言ってないぞ」
結局、紘一は醤油ラーメンのボタンを押した。
龍騎が勝ち誇ったように笑う。
「よし」
「お前の飯じゃないからな」
角のテーブルに腰を下ろし、龍騎をテーブルの上に置く。
番号を呼ばれ、トレーを受け取って席に戻ろうとすると人だかりになっている。
テーブルの上でタヌキのぬいぐるみが動いてればそうもなるだろう。
何故か写真撮影に応じているようだ。
ご丁寧にポージングもしている。
絶対にぬいぐるみであるという事実を忘れている気がする。
不意に動きを止め、クルクルと回りながらポテンとテーブルの上で倒れた。
「え」
慌てて紘一が近付くと囲んでいた人たちが唖然としている。
とりあえず…紘一は席に着くことにした。
トレーで龍騎を押してみる。
龍騎の目が輝いた気がした。
「電池切れかな?」
紘一は龍騎を持ち上げ背中のあたりを触ってみる。
ポケットに入っていた携帯バッテリーのUSBポートを差し込んでみる。
潮が引くように人が下がっていく。
「すまん」
ポツリと龍騎がつぶやいた。
ポケットから解放されて、身体を伸ばしていたのを子供に見られたらしい。
楽しませようと動いたら、人が集まってきて嬉しくなった…らしい。
考えてみれば、龍騎を訪ねてくる人は竹生島にはいない。
誰かの願いの欠片が集まって龍騎の魂になったとしても、龍騎は認められていたわけでもない。
「ポートが抜けないように、な」
紘一が言うと、龍騎はすくっと立ち上がった。
湯気が立ち上っている。
その香りに龍騎が静かになった。
珍しい。
「どうした?」
「……」
「龍騎?」
「うまそう」
しみじみと呟いた。
その声に紘一は思わず吹き出す。
「お前、本当に観音か?」
「失礼な」
即答だった。
「俺だって腹は減る」
「狸のくせに」
「観音だ」
「狸だろ」
「観音だ」
同じやり取りを何度したかわからない。
紘一は箸を割る。
窓の外はすでに夜の闇の中。
遠くでエンジン音が響いている。
竹生島は遠い。
大阪も遠い。
病院も、珠姫も、玄李も。
ほんの数時間前の出来事なのに、もう少し昔のことのようだった。
ラーメンを一口すすった。
熱い。
思わず息を吐く。
「うまいな」
「だから言っただろ」
龍騎が得意げに笑った。
紘一は苦笑する。
旅は終わ…らない。
取材は終わったのに。
苦い思い出だけを残して…恋も終わった。
人生なんて案外そんなものかもしれない。
「で?」
「ん?」
「次はどこへ行く?」
龍騎の問いに紘一は少しだけ考えた。
そして笑う。
「さぁな」
その答えで十分だった。
………fin
パンッ!
乾いた音が、編集部の通路に響いた。
数人が顔を上げる。
だが、それだけ。
誰も止めない…どころか立ち上がろうともしない。
「莫迦なの!?」
美里の目には涙がいっぱいになっていた。
興奮冷めやまないまま、美里は背を向けて去っていく。
溜息が一つ漏れ、苛立ったような足音だけが、通路の奥へ遠ざかっていく。
通路の真ん中で、紘一は頬を優しく撫でていた。
一応周囲に目配りをしながら様子を窺う。
その間に少し遅れて頬が熱を持つ。
心地好いリズムを刻むようにジンジンと拡がっていく。
「結構…痛い…」
「鳴海!」
通路の奥から声が飛ぶ。
顔を上げると、デスクの島の向こうで葉月が手招きしていた。
「なぁ、紘一…何した?」
龍騎がポケットの中から囁くように訊く。
「何もしていないと思うけど」
「絶対何かをしたと思うぞ」
「どうして?」
「じゃなければ女は凶暴な生き物であると認識を改める必要がある」
「お前な…」
「おつかれさま」
葉月が苦笑しながら声をかけてくる。
「どうも…」
「で、ごめん」
「?」
「病院内容のコラム…」
「?」
「配信動画の中で騒ぎの真ん中にいたアンタが映っていたの」
「?」
「心配ばかりかけて…ホント莫迦な男だよね」
葉月が苦笑する。
「北陸行ってくれない?」
「脈絡なさすぎだぞ」
「震災復興のいまを…いくつか観光地もお願い」
お読みいただきありがとうございます。
基本的に 不定期更新の のんびり進んでいきます。
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
今回、チャレンジ企画に挑戦!です。
思いのほか長くなりましたが
お付き合いいただいたみなさまありがとうございます。




