第5話 道中の事件は…何かの知らせですか?
何も考えずにアクセルを踏み込みながらハンドル操作に集中する。
周りの車を追い抜いていくよりは、制限速度でスムーズに走る方が好きだ。
と、そういうときに限って、後ろから勢いよく来た車がパッシングしてくる。
別に避ける必要もないが、面倒を避けるために追い越し車線を開けてみる。
間髪入れずにその空いた隙間に高級車が走りこんでくる。
と、次の瞬間…ガシュッと鈍い音が響いた。
視界にフロントバンパーの破片が降ってくる。
続けざまに前方を走っていたトラックが急ブレーキを踏む。
そして…鈍い音に混ざって、キィキキッ…とタイヤが悲鳴を上げた。
紘一は、トラックと中央分離帯に跳ね返った車のわずかな隙間へ、黒いバンを滑り込ませた。
一瞬でも躊躇すればバランスを崩した二台の車に鋏まれただろう。
って、ただの偶然にすぎない。
トラックが左に避けることが何となく分かったから、トラックの右側へとハンドルを切った。
急ハンドルを切るときの代償、それは制御が犠牲になることだ。
タイヤの悲鳴に「ごめんね」と返しながら紘一はハンドルから手を放す。
車を進めたい先を見つめて、勝手に回転するハンドルを止める。
それだけのことで車の制御はできるようになる。
ただ勇気が必要なだけ。
あとはアクセルを踏み込むだけだった。
曇天の下を黒い弾丸の如く走っていけたらいいのだが…
雲の隙間から少しだけ陽が差したことでふと我に返った。
予定にしていなかった浜名湖SAに車を入れる。
すぐの空きスペースに車を止めて、ベンチへとドスッと座り込んだ。
その瞬間から汗が噴き出した。
一息をつく前にスマホがメッセージの着信を知らせる。
【もう着いた?】
そのメッセージに紘一は苦笑する。
葉月にすれば、すでに竹生島に着いている予定だったのだろう。
それは紘一も同じだった。
ただ予期せぬ出来事に振り回されていた。
苦笑しながら紘一は気持ちを落ち着けるために湖畔の見えるベンチへと足を向けた。
手足が震えている。
思っているよりも身体は緊張をこぼしてくれているようだ。
【いま浜名湖】
【珍しいね、朝から移動?】
【色々とありまして】
何度かメッセージを消して紘一はそれだけを送った。
【まぁ、気を付けて】
意味深な間が空いてからそのメッセージは届いた。
(何してるんだか……)
デスクにスマホを放り投げて、葉月は背もたれへ身体を預けた。
いつもの紘一なら、夜のうちに神奈川を抜けている。
『夜中の方が空いてるから楽なんだよ』
そんなこと言いながら、夜間走行を嗜める葉月に苦笑をするのが紘一だった。
そして懲りもせずに…平然と現地の写真を送ってくる。
それなのに今日は、まだ浜名湖。
珍しい…というよりはイレギュラーか。
葉月はキーボードを叩きながら、ふと手を止めた。
画面の端。
開きっぱなしになっていたPDFデータが目に入る。
他社の竹生島特集。
その参考資料として紘一に押しつけた、古い地方誌の記事だった。
何気なくスクロールする。
昭和の記事。
観光特集。
歴史。
寺。
神社。
そこまでは普通だった。
ただ、最後のページだけ妙だった。
『近年、島周辺で行方不明者が』
ゴシップ雑誌の記事に、不思議現象雑誌の記事。
どちらも信憑性は薄い、というよりもない。
…え…っ……
葉月は眉をひそめる。
さっきまで、そんなページはなかった気がした。
というよりも自分が集めたデーターの中には入っていなかった。
入れていなかったはずだ。
それとも、最初から混ざっていて気付かなかっただけ?
思い出せない?
古いコピー、それをPDFデータ化しているから画質も悪い。
(2)とファイル名のついたPDF。
それにも覚えが無かった。
そのファイルをクリックする。
滲んだ写真には、水辺に立つ人影のようなものが映っている。
葉月は小さく息を吐いた。
「竹生島なの?」
「んー?」
離れた席から気の抜けた返事が返ってくる。
「いや……何か変な情報記事も混ざってる」
「怪談?」
「そういう感じじゃないけど」
葉月はページを拡大した。
そこに写っている女の顔だけが、妙にはっきりしている。
その瞬間。
デスクのスマホが震えた。
紘一からだった。
【事故りかけた】
「は?」
思わず声が漏れる。
直後。
添付された写真が表示された。
速道路。
歪んだガードレール。
そして、黒いタイヤ痕。
葉月の背筋にゾワリとしたものが走った。
一瞬のできごとだった。
走行ラインに飛び出した子供を避けようとした車が縁石にフロントをぶつけた。
その勢いのまま、車体が歩道へ跳ね上がる。
紘一はただ偶然にも子供を庇おうとして車を避けることになった。
もしも子供を助けようと車道に出ていなければ…
そう思うとゾッとするほど紘一の居た場所に車は飛び込んだ。
歩道に描かれた二本の弧を描いたタイヤ跡。
整えられたばかりの花壇の花は無残にも…
とりあえず、車の写真をスマホで撮る。
位置関係も解るように撮ってから子供を抱き上げて歩道の方へと移動させる。
突然のことに泣き出すのも忘れて呆然とする少年を下すと母親らしい女性が駆け寄ってきた。
「すみません。ありがとうございます」
「あ、いえ」
紘一は苦笑しながら手を振った。
女性は半泣きのまま何度も頭を下げて、少年を気にかけている。
その足元で、少年はまだ呆然としていた。
「痛いとこある?」
紘一がしゃがみ込むと、少年は小さく首を横に振る。
「そっか。偉いな」
そう言って頭を軽く撫でる。
そこでようやく、少年の目から涙が溢れた。
張っていたものが切れたみたいに、わぁっと泣き出す。
その声を聞いて、紘一は少しだけ安心した。
大丈夫そうだ。
ホッと胸を撫で下ろすと漸く周りの騒音が届いてくる気がした。
救急車を呼ぶ声。
人が集まる気配。
ざわめき。
ようやく現実が追いついてくる。
その時だった。
「お兄ちゃん、血」
少年が指差す。
「ん?」
紘一は自分の額を触った。
指先に赤がつく。
どうやら飛んできた破片で切ったらしい。
でも、それだけだった。
あの勢いで車が歩道に乗り上げたのに。
立っている。
普通に喋っている。
改めて振り返ると、タイヤ痕は自分のいた場所を綺麗に抉っていた。
「…危な」
思わず漏れた声は、誰にも届かなかった。
事故処理を手伝ってというよりは事情徴収に付き合ってから空を見上げた。
曇天だったのが嘘のように雲一つない。
…厄日か?…
ふとそんな単語が頭に浮かぶ。
非科学的なことはとりあえず否定したい。
とはいえ、事故ひとつが落としていく疲労感は半端ではない。
巻き込まれた人からは笑顔が消えている。
パトカーの赤色灯だけが、まだ路面を淡く照らしている。
溜息ひとつを零し、解放された安堵感から自販機で珈琲を…
「何か飲む?」
壁に凭れかかって詰まらそうに地面を見詰めている少年に声を掛けた。
少年は首を振る。
「そっか…ミックスジュース飲めるか?」
少年は頷き、紘一はそれを買う。
少年に渡してから自分の珈琲を買う。
「なぁ、少年…誰かが言っていたんだけどな…」
「えっ」
「希望は足下に転がってないんだってさ」
「………」
「しっかりと前を、少し上を見て行こうぜ」
紘一は缶コーヒーを片手に空を見上げた。
さっきまで曇天だったとは思えない。
雲一つない青空。
少年が空を見上げたのを確認してから紘一は「じゃあな」と車に足を向けた。
顔から火が出そうなくらいに真っ赤になっていることを自覚しながら…
車で昼寝をしてから紘一は湖畔を眺めるベンチに腰を路した。
厄日だのなんだのって…らしくない。
占いだの運勢だの、これまで気にしたこともない。
良いことだけ信じる人種でもない。
けれど今日は、さすがにできすぎていた。
紘一はポケットからスマホを取り出す。
『今日の運勢』
検索欄に打ち込んでから、自分で少し笑った。
「何やってんだ俺……」
表示された適当な占いサイトを開く。
『本日のあなたの運勢は』
そこまで読んで、紘一は眉をひそめた。
『水辺での出会いが運命を変える日』
読むのを止めた。
他のサイトも確認する。
『引き寄せられる縁に注意』
「………」
『思わぬ水難に気を付けて、流れに逆らわないのが吉』
「…………」
無言で画面を閉じる。
偶然だ。
ただのテンプレート。
そう思いながらも、なぜか指先だけが少し冷えていた。
コホン。咳払いをして、空を見上げる。
何となく雲がニヤッと笑ったような空気を零す。
気を取り直して、湖畔へと視線を向けた。
それにしても…琵琶湖へ向かう途中で、先に別の湖を見るのも妙な話だ。
売店には鰻の写真。
観光案内には 浜名湖 の遊覧船。
湖畔の風景というのは、どこか人を立ち止まらせる力がある。
「湖って、だいたい何かいるんだよな……」
事件記者時代の癖で、綺麗な景色ほど裏を探してしまう。
沈んだ村。
身投げ。
水死体。
そういう単語が、勝手に頭を過る。
湖を起点に旅行記を汲んでおくのも悪くない、と頭を無理や切り替える。
売店をぶらりとしながら資料に目を向ける。
浜松城。
舘山寺温泉。
うなぎ。
三ヶ日みかん。
その中の一冊が、妙に目についた。
弁天島。
思わず苦笑する。
葉月に押し付けられた企画のせいだろう。
最近やたらと、その二文字を見かける気がする。
何となく手に取り、ページをめくる。
赤い鳥居。
湖。
夕景。
その下に、小さくこう書かれていた。
『水の女神が宿る地』
「定番だね」
呟きながらパンフレットを閉じる。
けれど、なぜか捨てる気にはならなかった。
お読みいただきありがとうございます。
基本的に 不定期更新の のんびり進んでいきます。
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
今回、チャレンジ企画に挑戦!です
よろしければお付き合い願えればと思います




