第十四話:迷子
「やべぇ……迷った」
来た道を戻るだけだったはずなのに、気づけば知らない道を歩いていた。
鷲巣中を見つけたことで気分が浮ついていたのかもしれない。
男の子特有の冒険心、とでも言えば聞こえはいい。
「しょうがないよね……男の子だもの」
誰もいない道でひとりボケてみる。
当然、ツッコミは返ってこない。
少しだけ虚しくなった。
帰巣本能が働くほど、まだこの土地に愛着はない。
諦めてポケットからスマートフォンを取り出した。
圏外。
忘れてた。
地図も通信も使えない今となっては、高級な音楽プレーヤーみたいなものだ。
本格的にキャリア変更を考えたほうがいいのかもしれない。
契約は父さん名義のはずだから頼むしかない。
忙しい父さんに頼むのは気が引ける――いや、面倒くさいだけか。
初期設定のままの待受画面に表示された時計は律儀に時を刻み続けていて、時刻は六時を少し過ぎていた。
そろそろ戻らないと、菖蒲さんに心配をかけてしまう。
「……学校までは戻れるか?」
辺りを見回す。
所々に立っている案内標識が辛うじて学校の方向を示している。
ところどころ錆び付いたその姿は、案内人というより遭難者みたいだった。
昨日歩いた駅前と違い、この辺りは田んぼとビニールハウスばかりだ。
とりあえず戻るしかない。
鬱蒼とした森がないだけ、まだ救いだった。
少し風が吹き、水田の冷たい空気を運んでいく。
そのとき、色褪せたいちご狩り農園の看板が目に入った。
そういえば幼い頃、家族で何度か来たことがあった。
甘い苺。
たっぷり付けた練乳。
誰かが口の周りを真っ白にして笑っていたこと。
ぼんやりとした記憶が、朝の空気と一緒に蘇る。
その続きを思い出そうとした瞬間、こめかみの奥がズキリと痛んだ。
思わず看板へ手をつく。
ざらついた木の感触だけが指先に残った。
その感触だけが妙に現実的で、夢から引き戻されたような気分になる。
たぶん。
あの頃みたいな家族の時間は、もう二度と戻ってこない。
胸の奥が少しだけ重くなる。
……考えるな。
考え始めたら、ろくなことにならない。
そういうのはもう嫌というほど知っている。
手を離し、歩き出した。
足を止める理由もない。
朝日を受けた田んぼの水面が静かに揺れていた。
⸻
下り坂で自然と足が速くなる。
どうにか鷲巣中が見えるところまで戻ってきた。
行きには気づかなかったが、学校の周囲には梨園が広がっている。
蝉の合唱が絶え間なく続き、葉の隙間から朝日がこぼれていた。
入学シーズンになれば、きっと白い梨の花が辺り一面を埋め尽くすのだろう。
少しだけ見てみたいと思った。
スマートフォンで時刻を確認する。
七時前。
これなら朝食には十分間に合いそうだ。
ほっと息を吐き、庚申塔の横を通り過ぎる。
朝だというのに日差しは強くなっていて、容赦なく肌を焼いていた。
遠くで山鳩の声が聞こえる。
朝食の匂いが待っている気がして、自然と足が速くなった。
梧桐邸へ続く道は、もう迷わなかった。




