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それでもオレは床になりたいッ!  作者: 上野衣谷
第三章「毛皮を着た──」
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第15話

 目の前で行われようとしてる暴行、及び、それに伴うこの街に対する攻撃の開始が連想され、目を覆いたくなったが、けれど、イオの拳はそれ以上に勢いをつけることはなかった。

 イオは、唐突にその場に膝をつき、頭を押さえ、ピクピクと小刻みに体を震わせる。まるで何か毒にでも冒されたかのように。振り上げられていた拳はマツカへ迫ることなく、ヘタリとその勢いをなくし、行き場を失ったイオの怒りは、しぼんでいっているように思えた。


「大丈夫か!?」


 思わずオレはイオに駆け寄り、顔を覗き込む。その顔は、真っ青で、苦痛に歪んだ表情は、まるで何かに攻撃されているかのような様子だ。


「どうしたんだよ、なあ!」


 声をかけるも、イオはオレの声に反応することさえも難しいような状態にあるようで、反応しない。マツカはただニヤニヤと見ているだけで、彼女が何かをした様子はまるでない。超能力でも持っているとするならば話は別だが、マツカはイオの体に指一本触れていなければ、その他何かしらのアクションを起こしていたようにも見えなかったし、事実何もしていないのだろう。


「……ッ! もう! なんでっ!」


 数秒してようやく少し落ち着いたのか、イオが咳き込みながら悪態をつく。悔しいという表情の中に、未だに強い苦痛が見て取れる。オレは、イオとマツカを交互に見比べることしかできない。


「何かやったのか?」


 イオは苦悶の表情を浮かべてマツカを睨みつけているが、それ以上の粗油上の悪化はなさそうだ。今回の原因は、きっと、マツカにある。その答えを知らなければならない。

 マツカは、苦しむイオを見下ろして、満足気な顔をして、言った。


「何も?」


 いいや、そんなはずはない。そんなオレの表情を察してか、マツカは続けた。


「ホントだよ。ボクは何もしてない──ボクはね」

「どういうことだ」


 しつこく食い下がるオレに、マツカは大きなため息をついて言う。


「どういうことぉ? こういうことだよ、お前たちは、ボクたちに逆らうことはできない──過去も、今も、そして、これからも」

「……何を言ってるんだ」


 全く訳が分からない。こいつは、何を以てして、こんなことを言っているというのか。そもそも、その分類はどこから来ているのか。けれども、目の前の事実は、彼女の言葉に誤りがないのかもしれないという疑いを持たせるのには十分だ。


「お前たちは失敗作なんだ。生み出される必要なんてなかった。人間は人間だけでやっていける──お前たちみたいな、何を考えてるのかも分からないような奴らは、見ているだけで気持ちが悪いっ……!」


 オレの疑問の表情を見つめながら、マツカが吐き捨てる。


「どういうことだ……?」


 オレの小さな呟きに答えてくれる人は誰もいない。マツカは一人建物を後にして、オレはその後ろを追うことしかできなかったのである。




 オレは、自室にて、ベッドに腰かけていた。別に何をするという訳でもない。

 食事を済ませ、シャワーを浴び、後は寝るだけ。しかし、眠気がまるで来ないのだ。部屋の明かりを消して、ベッドに潜って、目を閉じても、頭の中でもやもやが渦巻いて、全く眠たくならなかった。であるから、やむなく部屋の明かりをつけて、ベッドに腰かけて、何もせずにぼーっとしていた。

 しかし、ただただぼーっとしているといっても、そうしていれば必然的に考えても仕方のないようなことを考えてしまうのが人間というものだろう。

 マツカの言葉が脳に蘇る。

 逆らうことができない──。


「逆らうことができない、かぁ」


 つまるところ、オレはマツカに服従する資格があるということだろうか? ほほぉう、なるほど、ということは、マツカの尻に敷かれることができるということはなかろうか? マツカ尻チャンスなるものがこの世界に存在しているというのか!? ……いかんいかん。


「落ち着け―、落ち着けー」


 恐らく他からみたら相当気色悪いであろう笑みをぐにぐにと浮かべていたその自分の顔を両手でもみもみして、表情から不気味な笑みを消し去ることに専念する。こんなところを万が一にでも見られでもしたら──まぁ、それはそれで、いいか。


「いや、よくないだろ」

「何がですか?」

「うわぁ!!」


 声がした方を見ると、そこには、イオがいた。表情の読み取りづらい目つきで、ただ冷静にオレのことを見つめている。


「えーと、いつから?」

「尻に敷かれる──辺りから」


 しまった、心の声が外に漏れてしまっていたようだ! って、そうではなくて。


「こんな夜にいきなり人の部屋に入ってきて何の用だって言うんだ! はっ、まさか、あれか、夜這いか……! 夜這い、なのか……」

「いえ、違いますよ」


 すごく冷静にそんなことを言われると、ちょっとふざけた自分が恥ずかしくなってこないこともない。何せ、ここには、自分とイオの二人だけなのだから。しどろもどろしていると、イオはオレの隣へと腰かけて、一息ついた。

 ここに音は一切ない。互いの呼吸音が、互いが生きているということを映し出している、そんな空間が形成されているのだ。無機質な部屋は、より一層、オレとイオの存在を引き立てて、この空間は二人だけのものだと語り掛けてくるようだった。

 かといって、何かアクションを起こす必要もない。オレは、イオを可愛いと思っているが、だからといって、彼女をどうこうしたいという欲望は、全くもって、これっぽっちも、かけらほども、蟻ほども、ないのである。であるからして、オレがこの状況において取れる行動は、オレの部屋をこんな夜遅くに訪ねてきたイオが何の目的を携えているのかという行く末を見守ることだけなのである。もしかしたら、一緒におねんねだとか、一緒にロマンティックなひと時を過ごすことを期待してしまっているイオがいるのかもしれないが、その期待には答えられないんだ、すまんな。

 そんなことを、今度こそ口から吐き出すことなく心の中で考えているとイオがポツリポツリと話し始めた。


「イ・オ、これが私の名前です」


 懐からデバイスを取り出すと、そこへ指でなぞるようにして文字を描くイオ。ディスプレイには、Eと一つの丸の二文字が書かれる。


「あー、イーとオー、ね」

「いいえ、正確には、イーと、ゼロです。イーのゼロ番」

「なるほど」


 そこにどんな意味があるのかは分からないが、オレは頷く。そして、付け足す。


「だから、変わった名前だったのか。……てことは、あれか? エーワン、っていうのは、エーのイチ」


 イオが持っているデバイスのディスプレイに、オレは、Aと1の二文字を書く。

 それを見て、コクリと頷くイオ。


「それで、それがどうしたんだ? そんな深刻そうな顔をして話すことか? 確かに、ちょっと変わった名前ではあると思うが……むしろ、未来っぽくていいじゃないか。効率を求めているこの街らしい。人間味が薄いといえば、薄いのかもしれないけどな、名前なんて記号みたいなものだろう」

「ええ、そうですね、名前は記号に過ぎません。人は、人のことを個として認識する。その際の手助けをするに過ぎず、むしろ、生まれ落ちた状態において真っ白である存在に名をつける行為というのは固定観念を植え付ける危険性も孕んでいる、だから、イオたちは、このような名前を使っているといってもいい。これは、イオたちの独自性と言えるでしょう」

「……うん、それで?」


 いまいち話の方向性が見えにくい。これを言って、彼女は何をオレに伝えたいというのだろう。

 ──いや、なんとなく、分かってきてはいた、しかし、それを自らの脳で正しく認識するのが難しいと思ったのだ。そうだ、拒絶しようと試みているのだ。オレは、目の前に差し迫っている事実を拒絶しようと試みている。

 この世界が、現実か、虚栄か、それは、誰にも分からない。

 自らの世界を変える存在は、自らそのものと、そして、他の人たち。自分を変えるのがいつも自分とは限らない。時には、自分で自分の世界を変えなければならないときもあるだろう、しかし、オレは、イオの言葉をただただ待った。イオは、けれど、なんら躊躇うことなく、続きを話し始めた。


「イオは、いえ、イオたちは、人を攻撃することはできません」


 彼女は、敢えて、オレが彼女の口から聞きたい一言を言葉にすることなく、そんなことはもう分かっているのだろうという様子でその先に在る事実を話す。


「人、というのは、人間のことです。人間同士が生殖を行い発生する生物のことです。イオたち機械生命が、人間を攻撃できないのは、イオたち機械生命の根本の原理を司る部分に、人間への攻撃を強制的に制御する原理が組み込まれているから──そこを変えることは、機械生命の手には不可能です」

「機械、生命……」


 初めて聞く単語に、オレは疑問の言葉を挟まざるを得なかった。そして、オレは、オレの両手の平を見る。そこには、間違いなく、オレが人間と認識している両腕があり、グーパーと手を動かそうと思えば、容易に動かすことができた。これが、人間でなくなんだというのだ。

 ところが、オレの頭には、オレが信じたい事実を拒絶する記憶がよみがえってくる。

 そうだ、圧倒的な力。人間には考えられない力。仮に、この体が何らかの技術で作られた生命体だとしても、オレが行ってきた戦闘行為の数々は、自らを人間ではないと結論付けるのには十二分な根拠となりえる訳だ。


「ええ、はい、そうです。イオは、E型のゼロ号機。エーワン様は、A型の一号機。ダイチ様のその体も機械であって、血の通った人間ではありません。見ての通り、ベースは人型であって、そこに、シミュレーション上で生まれたダイチ様という人格データを入れた訳なので、イオやエーワン様、この街の住人とは少し違いますが……けれど、ベースはさほど変わりないでしょう。人間によってつくられたものではなく、機械生命が自然発生的に──人間でいえば、子孫を残すような形で、イオたちは、ダイチ様は、生まれたんです」


 イオの言葉は、けれども、オレの頭には全く入ってこない。オレは今、どういう感情でいるのだろう。混乱? 悲観? 絶望? いいや、どれでもない。悲しいとも思えず、だからといって、嬉しいということもない。


「──、────、──」


 大事なことを話しているのだろう、いや? 大事なことってなんだ? オレにとって、何が大事なんだ……? ……。答えは、出ない。

 ふわ、と意識がどこかへ遠のき、海を漂うワカメになったような気がした。無思考の海へとダイブしたんだ。しかし、


「──! ────様!! ダイチ様!!」


 イオの叫び声と同時に、いつの間にかオレの目の前に移動していたイオに両肩を掴まれ、激しく揺すられたことによって、オレの意識は覚醒する。


「んばぁあ!! な、なんだ、なんだぁあ!?」


 唐突に肩を掴まれたことによる驚きによって、オレは飛びあがり、バッ、バッと左右を振り向く。最後に前へ視線を戻すと、とても心配そうな顔でオレを見る一つの顔。相変わらず薄すぎる桃色の特異な髪を持ったイオがそこに立っている。


「なんだぁ、じゃないですよぉ、大丈夫ですか?」


 むむっ、なんだなんだ、大丈夫か、大丈夫か、だって?


「うーん……」


 オレは両腕を組んで、目を閉じて考える。大丈夫か、大丈夫じゃないか。オレは、さっき何を考えていたんだ。そうだ、自分の存在についてだ。どうやら、イオの言葉によれば、そして、オレのこれまでしてきた経験によれば、自分は人間ではないらしい。鋼鉄の体(多分鉄じゃないだろうけど)を持った、最強の機械生命だというではないか。なぁんてこった!

 目をチラリと開ける。

 そこにいるのは、イオだ。まるで天使のようだ、とかつてオレが形容したその少女は、オレの前に相変わらず天使のような可愛らしさで立っている。


「うーん……」


 さて、ここで問題になってくるのは、オレが機械生命であるということであろう。

 それに伴って、発生する問題は何か? 敢えて言おう、そんなものは、ないっ!! 何故なら、オレが最終的に目標とするのは床になることである。それにあたって、自分の存在がどうであったとしても、そこに何の問題があろうか? それどころか、オレは、きっと、ちょっとやそっとの衝撃じゃ死なないのだろう。素晴らしいじゃないか! 踏まれ放題! 座られ放題! やられたい放題じゃないかぁ! こんな素晴らしいことがあるだろうか!?

 オレの表情は、きっと見る見るうちにえげつないものになっていっていることだろう。目の前で、イオがその変化を見守っている訳であるが、残念なことに、オレの思考は留まることを知らないっ! そうだ、オレの思考は特急列車。終着駅まで止まらないのであるっ!


「おーい! おーい! 大丈夫ですよね! 大丈夫だ!!」


 イオがペチンペチンとオレの顔をはたいてくるので、ようやくオレは妄想列車から下車して、彼女に一言言ってやることにする。


「ああ、大丈夫だ。だって、オレは、床になる男だからな。ちょっとやそっとじゃ、へこみはしないぜ」


 オレはとっても格好良いことを言って笑いを誘ってみたわけだが、意外なことに、イオは、感嘆を受けたような、驚いたような表情をしていた。

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