第16話
あるいは、この世界もまた仮想シミュレーションなのかもしれない。しかし、仮に、この世界が仮想シミュレーションだったとして、オレの生活の何が変わるだろうか? この世界に疑問を持ったところで、この世界は変質せず、この世界に歯向かったところで、この世界は変質しない。
となるとするならば、目の前の事実を受け入れるということは、実に現実的な選択といえるだろうし、それは、真実を受け入れるということでもあろう。けれども、そうなった場合に一つ、小さな問題点が生じ得る。この現実がオレにとって都合の良いものではないとしたら?
それでもなお、オレは、この現実を、現実として受け入れるべきなのか。それとも、これは現実じゃないと目を背け、いつか死ぬときに、仮想シミュレーションであったことを明かされるということを期待するのか。
かつて、この世界に生まれ落ちる前のオレは、何歳かの頃、そんなことを考えていたはずだった。
その問いの結果、当時のオレが辿り着いた答えは、来世を信じるということだった。その来世の為に徳を積むという行動を選択したのだ。結果としては、その行いはあながち間違ったものではなかったが、これはあくまで結果論に過ぎない。けれども、その結果が間違っていたとしても、死んでしまってその人生を終えてしまった自分には間違っていたという事実さえ認識することができないので、間違っていた世界というのは存在しないものとなっただろう。
今、目の前で知らされた、自分は人間ではなく、機械生命であるという事実は、受け入れがたいものであったかもしれないが、それが受け入れがたいものであるにせよ、自分の望むものであったにせよ、オレが取るべき選択肢はただ一つ、事実を自分にとって都合の良い物として認識することであったといえよう。
イオのその後の説明は、ひどく事務的なものであって、イオ自身は、自身が機械生命であるということに何ら違和感を覚えているということもなければ、悲しみを抱いているということもなった。
曰く──。
E0──イオや、A1──エーワンたちとオレとの根本的な違いは、自意識の生まれ方に在るのだという。オレは、あくまで人間社会をシミュレーションした結果生まれてきた産物であり、イオやエーワンはそうではなく、イチから様々な知識をデータベースから構築して仕上げたものだというのだ。
「分かりやすく言えば、ダイチ様は、天然、イオたちは養殖、といったところでしょうか? あー、でも、アレですねぇ、天然とはいっても擬似天然……そうそう! ニホンで言うところのサイバイギョギョウってやつですよ!」
らしい。栽培漁業についてはさておき、百パーセント天然ではないと言いたかったようだ。ここで疑問が生じる。
「んー、それで、オレは、じゃあ、なんでその擬似天然的な手法で作られたっていうんだ? 作られた、っていっても、全然実感はないしなぁ」
オレはオレ自身の体を見回す。これといった違和感のない体。この体が作られた体かどうかなんてことは、思考の外にあることだ。
「それは、多様性ですよ」
「多様性?」
「はい、多様性です。イオたち機械生命は、何のために生まれたのか、その答えを見つけるのは容易ではありません。そもそも、この星、地球において、何を、どうするのが正しいのか、その明確な答えは、まだ誰も見つけていないでしょう。いえ、そんなものはないのかもしれない。そんな世界で、イオたちは、答えを見つけなければならない。答えを見つける時に、もっとも効率がいい方法が、多様性なんです」
「すまん、難しい」
イオは、嫌な顔一つせずに続ける。
「答えを探索するルートの話です。答えを探す速度をあげるというのも一つの手でしょう。しかし、いくら速度を上げるにしてもそれには限界がある。それなら、探す人を増やせばいい、ということですね」
「なるほど? それで、その一つの手段が、オレってわけか?」
オレは、エーワンに言われた言葉を思い出す。オレが世界を救うだとか、なんとか、そんなことを彼女は言っていた。
「そういうことですね。仮想シミュレーションを行うにしても、その速度には限度がある。資源は有限です。無限に近い速度で仮想シミュレーションを行えるのなら、それに越したことはないですよ。イオたちが現存するこの世界さえもシミュレートすればいいんですから。でも、それは、この街の規模では不可能です」
「……。へぇ、なるほどなぁ」
何となく言いたいことは分かった。
話はさらに続いた。自分たち機械生命が人間を攻撃できないこと──マシンプリンシプルについてだ。
基本原則は至ってシンプル。人型の生命に対して攻撃行為を行うことができない。これは、基本原則として定められているものではなく、自分たち機械が人間を攻撃するという行動を認識すると同時に、自分たちにはそれに伴う相手の苦痛を自動で予知し、何十倍、何百倍もの衝撃を自身に与えてしまうというもの、らしい。単純な禁止を行うことによって、多くの矛盾が生じてしまうという問題を解決するためにとられた制約とのことだ。
その規則は、自分たちの根幹をなすものであり、このルールは自分たちの存在に強く根深く在るものなので、これを除去して自分たちを生産することはできないというのだ。
「だから、あの時イオはしゃがみこんだのか」
あの時とは、勿論、イオがマツカをはたこうとしていたときのことを指している。イオは小さく頷く。
「……あれ? でも、待てよ、それにしたって、そうなると、おかしくないか?」
オレは小さな疑問に気がついた。イオの先を求める視線を受け、オレは疑問を吐き出す。
「だとしたら、人間たちは──人間たち、ってなんか、変な感じするな、はは──人間たちはさ、なんで、この街を攻撃するんだ? いや、それ以前の問題だ。なんで、ネットワークを破壊したんだ? 機械は反乱を起こせない。違うか?」
「それは──」
人類文明が壊滅的な状況になって久しく、そのきっかけについて、この街にもあるデータベースにも完璧な情報は残っていないらしいが、イオの答えはあまりにもあっけなかった。
「知恵を持っている存在というのは、常に不安を抱いてしまうんです。これを、杞憂、といいますね」
人々は恐れたのだ。自分たちと同じような知能を持つ存在を。
「──勿論、イオたちがマシンプリンシプルを脱する日が絶対に来ないとは断言できませんが……」
イオがぼそりと呟き、続ける。
「ただ、イオたちは、在りたい。それは、いわゆる、生物の生存本能というものに近いかもしれませんし、そうじゃない何か得体のしれないものなのかもしれない……これが、未知への探求なのか、あるいは、破滅への追求なのか、それはイオたちには勿論のこと、人間たちにもまた分からないはずなんです」
んもう、長い。大体、そんな真面目なことをオレに延々と言われても一体何になるというのか。オレは、世界を救う勇者でもなければ、超完全機械生命体になったつもりもない。あくまで床になるための経由点、通らなければならなかった道に過ぎないのである。オレの強き心は、オレがこの世界に生まれ落ちたその時に、完全なる覚醒をしているのであるからして、真面目な話を多少おもしろく感じれども、それに対して必要以上の危機感は覚えないのだ。
こんなクソ真面目な話に延々とつき合わされ続けている今の状況に段々と飽きてきたという、オレの悪の心は、ここで一発かませと、強く強く命じる。
「あー、なるほどねー、なるほどなるほど。オレは、オレが取るべき行動がなんとなく見えてきた気がするよ」
オレの前振りに対して、純粋無垢なイオは、
「なんですか!? 何か思うところがありましたか!!」
と飛びついてくれる。なんて良い子なんだ。揺れる淡いピンクの髪の毛から、心なしかふわっといい匂いがしたようなしないような。
「ああ、分かった。この過酷溢れる世界でオレがすべきこと……それはな、床になることなんだ……。いや、違うんだ、だってさぁ、考えてもみてくれよ。オレはそもそも機械生命の体に、人間としてシミュレーションされた中身が入っているんだぜ? そならさぁ、そならだよぉ? オレってばやっぱり人間っぽく生きてみるっていうのも一つの答えかもしれないじゃん?」
「……あ、はい」
なんて淡白な返事だこのやろう。
「やっぱりさ、人間っぽさっての考えた時に、欲ってのは外せない要素だと思うのよね。床になりたい欲ってなかなかのもんでさ、だって、人間以外に床になりたいなーって思う動物って多分いないじゃん?」
「……あ、はい」
「……なんだ! その気の抜けた返事は! よし、イオ、分かった、じゃあ、オレのことを床として扱ってくれ、さぁ、今すぐだ!」
ベッドから立ち上がり、床に寝そべるオレをイオはただただ見守っているだけだった。
気づいたら朝になっていた。いわゆる、朝チュンというやつであるが、鳥の鳴き声はこの街には存在しない。ベッドの中にはオレ──そして、イオ。
「……なんてこった」
いいや、大丈夫、何もしていないはずである。オレは、人間的本能に従い、人肌のぬくもりを求めただけであり、それによって精神的安寧を手に入れようとしたに過ぎないのであるからして、決して、一夜限りのラブソングをイオと二人で奏でてしまったという可能性はゼロに等しいのだ。証拠に、イオはきちんと服を着て──
「ない」
いや、大丈夫、彼女の上にはオレと同じく布団が被っている。そう素肌は今のところ見えていない。
「ん~」
なんていいながら寝返りを打つことで、イオの素肌が見えそうになるが、オレは心の奥底から湧き出る良心と言う言葉に何とか身を任せることに成功し、とっさに布団をかぶせその素肌の露出を防ぐ。
「なんて綺麗な肌だよ……」
思わずポツリとつぶやいてしまうオレ。目の前に眠りこけている少女の肌は、人形のように綺麗で、僅かに呼吸によって動いているからこそようやくそれが人形でないということが分かるほどだ。それでも、
「機械、なんだよな……」
それは、自分だって一緒のことだ。オレの体から流れる血液は、あくまで人の体を模しているから流れるだけの擬似的なもの。人工皮膚を生きさせるためという目的こそあれど、そこが全て消失してしまっても、完全に死ぬことはないと昨日教えてもらった。
ベッドから出て、まだ寝ているイオを後ろに、背伸びする。昔はなっていた、パキ、パキという骨から発せられるはずの音はまるで鳴らない。意識すれば、僅かに気になる自分の体。しかし、まるで違和感はなく、それどころか、心地よ過ぎる目ざめには爽快感さえ覚える。
イオが寝ている姿を眺めているという手もあるが、生憎、オレが求めるのはしゃきしゃきと動きまわっているイオであって、全く無反応である彼女をぼーっと見ているのは、大体一分くらいで飽きる。それでも、せっかくなので、とりあず見といてみるか、と思い三十秒くらいが過ぎたその時、唐突に事は起きた。
「……地震……?」
ガタガタガタと小刻みに揺れるのだ。どこからか、ゴゴゴ、ゴゴゴという地鳴りのような音も聞こえている。しかし、地震大国日本に住んでいたオレからすれば、これくらいのほとんど揺れを感じないような地震で飛びあがって驚くようなことはない。しかし、これは、
「地震じゃ、ないよな……」
地震にしては、あまりに長すぎるのである。
「ん~」
イオが目をこすりながら起き上がり、ハッとして、周りを見渡す。周りを見渡してもオレ以外に何もないというのに、そういうところは非効率的というか、何と言うか。そして、視界にオレを入れて、
「な、なんですか! 何事ですか!」
と、オレこそが聞きたい質問をオレに向けて放ってきたのである。




