第72話 かわいいと言ってみたくなった
チャイムの音が、午後六時を告げていた。
アリス、まひると別れ、夕暮れの商店街を三人で並んで歩いた。片方の腕を雫と組んで、もう片方の腕を春と組んでいる。
双方、距離が近い。恋人はともかく、なぜ妹までも密着してくるのだろうか。
雫に腕を引っ張られた。ファンシーな服飾店を指さしていた。
「あ、あの服かわいいー、ちょっと見てこうよ」
同時に春にも腕を引っ張られた。個人経営のケーキ屋を見て、匂いを嗅ぐような動きをしていた。
「ね、ね、停戦のお祝いになにか買ってかない? ほらあのザッハトルテ、凄い本格派」
両手がピンッと張った。まるでやじろべえのように左右に振れる。
湿気のまとわりつく顎から、汗が垂れた。ぽたと落ちて、レンガの地面を濡らした。
「行こうよー、夏物選んであげる」
「姉さま、いいでしょ。おせんべいばっかり食べてたら歯が欠けちゃうよ」
「ケーキも素敵だけど、わたしの方が先ね。傷んじゃうし」
「う、普通に正論言われると、わがままな妹じゃいられない。で、でも、保冷剤とかあるし」
なぜこの二人は、微妙に対立しているのだろう。順番に回れば、それでいいのではないか。
そもそも浮ついていられる状況なのか。刺客はいつだって雫を狙っている。めいたんを封じたとはいえ、すぐに次がやってくるかもしれないというのに。
頭が左右に揺れて、脳がシェイクされるような感覚がある。ひとまず帰宅するべきだ、そんな言葉は浮かんでくる。
だからここは――ここは。
「意見を言っても、いいですか」
腕を引っ張る力がなくなって、二人は同時にこちらを向いた。
雫を見た。胸がチクリと痛んだ。帰れというのは簡単だ、簡単すぎる。思えば、そんな正しさばかりを押しつけてきたのかもしれない。
だから言った。
「お洋服、見繕ってくれますか。かわいい服、もっと着てみたいです」
笑顔を向けると、拍子抜けしたように雫は眉を浮かせた。ぽかんと口を開いて、こっちを見ている。
胸の内は静かだ。揺れることも、ざわめくこともない。
今度は春を見た。
「お姉ちゃんと一緒に、ケーキを選ぼうか。ああいうものには疎くて、指南してくれると助かる」
春も雫と同じような顔になった。
「おね……え?」
人の顔を見て、妖怪にでも出会ったような反応をしている。失礼な妹だ、ほんとに。
二人の腕を逆に引っ張った。身体の前に連れてきて、向かい合わせる。
角のない少女の手。二人の繊細な指に触れて、拳を作らせた。どっちも言葉を失っているようで、人形のように指示に従ってくれた。
「順番は公平にじゃんけんで決めましょう。しかし、負けた方も焦らないでください、時間はたっぷりありますから」
自然に笑顔が浮かんだ。張っていた力が全て抜けていくような気がした。
かわいい服にケーキ、上等じゃないか。それは少女らしさだ、いいものだ。
「うふ」
笑い声が漏れると、二人は露骨にのけぞった。
「春ちゃん……お姉さんになにかした?」
「してない、してない、雫さんこそ、また罰ゲームとか、でしょ?」
二人は同時に首を横に振った。
じゃんけんはなかなか始まらなかった。けれど妹と恋人という二人を見ているだけで、なぜか胸に高揚感があった。緩んでいるのは顔だけじゃない、全身あらゆるところに骨抜きになっていた。
結局、じゃんけんは雫が勝った。服飾店……洋服屋さんに入って「ちょっとガーリーすぎるかも、もちろんリンちゃんは何でも似合うけど」と雫が言うようなリボン付きの服を買った。ノースリーブで、とても肌の露出が多いものだった。
かわいい、きっとかわいいのだろうと、思う。
それから今度はケーキ屋さんに入った。ザッハトルテとやらと、買い食い用のシュークリームを買った。
両手で持って、甘くくりーみぃなその味わいを楽しんだ。口の中に幸福が広がるようだ、なぜ急にこんな、味わい方が変わったのだろう。
「食べますか、おいしいですよ。約束していたアイスの代わりです」
「う、うん、ありがと。もらうね」
差し出すと雫はシュークリームにかじりついた。じっくり咀嚼してから、つぶやいた。
「美味しいけど……うん、美味しいよ、ありがと」
途中で言葉が詰まったような、そんな喋り方だった。
店を出たところで、ひとつ大切な話を思い出した。髪留めを触りながら、雫に言った。
「これ、褒められたんです、かわいいって。まんざらでもないかもしれません、うふふ」
返事もしてくれないで、雫と春はまた顔を見合わせていた。
ああ、これでよかったのだ。こうすれば、きっと溶け込める。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
これにて五章は完結となります。
次の六章では、リンちゃんにまた少し変化が出てきます。
周囲も振り回されるかもしれませんが、この作品らしさはそのままにお届けできればと思っています。
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今後ともよろしくお願いします。




