第1話 エビクリームライスとちょっとSFのはじまり ①池尻の坂道と筑前煮
「学校給食 × ちょっとSF × 新卒調理員の青春」
初日の“エビクリームライス大失敗”から、
浅倉椎菜と、うさぎのぬいぐるみ・
ふーぴょんの小さな物語が始まります。
実際の給食室の空気や工程をリアルに描きつつ、
新人が“自分の居場所を見つけていく”過程を、
少しずつ積み上げていきます。
最終話まで執筆済み。毎日更新します。
給食の仕事が好きな方、これから挑戦する方へ。
この物語が、小さなエールになれたらうれしいです。
——私の給食調理員としての一年は、
この“ひと釜”から狂いはじめた。
白衣の袖が、わずかに震える。
回転釜の前で、わたしは立ち尽くしていた。
「おい、何やってんだ!」
怒声と同時に、男が駆け寄り、
わたしの横をすり抜けて釜をのぞき込む。
そのすぐ後ろで、曽野チーフが足を止めた。
眉が、ほんのわずかに動く。
釜の中は、言い逃れできない色をしていた。
「浅倉さん」
名前を呼ばれただけで、背中が強ばる。
「この色、何用か分かる?」
「……ブラウンルウです」
答えた声は、自分でも驚くほど乾いていた。
胸の奥が、すうっと冷える。
この日からしばらく、
わたしは釜の前に立つのが、こわくなる。
——けれど、そのときはまだ知らなかった。
この失敗が、
この先の毎日を、静かに変えていくことを。
◇
——物語は、少しだけ時間を巻き戻す。
◇
六月の朝、池尻大橋駅をおりてすぐの坂道は、
朝の陽ざしがいつもよりまぶしく見えた。
(今日から、わたしの“給食の物語”が始まる。)
アスファルトの照り返しと、
犬を連れた夫婦や、おしゃれな人たち。
その流れに逆らうように、
わたしはスーツ姿で坂を上っていく。
池尻栄養専門学校の就職課。
いつもは学生でにぎやかな部屋も、今日は静かだった。
「じゃあ、“締めの一言”、
もう一回だけ練習しよっか。」
向かいに座るのは、坊主頭の佐藤先生。
授業は厳しいけれど、
普段はよく笑う人だ。
何度も練習したはずなのに、
声に出すと、やっぱり少し震えた。
「……以上です。」
「うん、ちゃんと届いてる。
あとは本番で、“誰に話してるか”だけ意識しな。
子どもたちか、自分の未来のどっちか。」
その言葉に、背中を押された気がした。
校舎を出ると、空が少し高く見えた。
電車に揺られながら、
何度も志望動機を頭の中でなぞる。
(今日は“受かるかどうか”じゃなくて、
最初の一歩まで行ければ、それでいい。)
そう言い聞かせて、会社の入ったビルの前に立つ。
「……ここだ。」
喉の奥が、からからになる。
エントランスの水槽の魚たちは、
不思議なくらい落ち着いていた。
説明会のあと、個別面接を希望し、
わたしは迷わず手を挙げた。
向かいに座るのは、人事研修部長の友部と、
明るい雰囲気の塩崎マネージャー。
「じゃあ、志望動機、聞かせてもらっていい?」
用意してきた言葉を、ひとつずつ拾い上げる。
「父が大工で、“暮らしの土台”をつくる仕事を、
小さい頃から見てきました。
だから、誰かの毎日を支える仕事がしたくて——」
言い終えた瞬間、
手のひらが汗ばんでいることに気づく。
友部は、静かにうなずいた。
「いいね。調理員も大工も、
どっちも暮らしの土台をつくる仕事だ。」
その一言が、胸に残った。
「今日の分は、このあとすぐ選考にかけます。
結果は、今日中に連絡しますね。」
「……よろしくお願いします。」
深く頭を下げて部屋を出る。
ドアが閉まる音が、
世界の空気を少しだけ変えた気がした。
第1話をここまで読んでくださり、
本当にありがとうございます。
この物語は、まだ始まったばかりです。
椎菜も、ふーぴょんも、
給食室の毎日も、
これから少しずつ動き出していきます。
作中に登場する「池尻栄養専門学校」は、
実在校をモデルにした場所です。
池尻大橋の坂は、朝に歩くと独特の静けさがあり、
自分の足音だけが少し大きく響きます。
あの感覚は、栄養士をめざす若者たちの
“これから”に、どこか似ている気がしています。
椎菜が池尻から電車に乗り、
両国へ向かう道のりには、
学生から社会人へ進んでいく
小さな区切りを重ねました。
その時間は、物語より前にある
「もうひとつの青春」でもあります。
今後は最終話まで毎日更新していきます。
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物語の続きを待ってくれる読者さんが増えるほど、
椎菜とふーぴょんのちょっとSFの世界を
より丁寧に描き続けられます。




