エピローグ 花の咲く頃に
ロイズ伯爵夫人が主催のパーティーは、話題になるだけあり大勢の客人が訪れていた。豪奢な装飾に飾られた大広間が狭く感じるほどだ。楽団がテンポの速い曲を奏で、それに合わせて男女が密着しすぎなくらいにくっついて、ダンスを踊っている。夫人たちは扇を開いて談笑しており、男性たちはグラスを手に話をしている。乱痴気騒ぎとまでは言わないまでも、今まで出席したどのパーティーよりも賑やかだ。羽目を外したくなるのも、全員がつけている黒い仮面のせいだろう。入場の際に配られたものだ。
(仮面舞踏会なんて聞いてないわよ……)
私は大広間の隅っこで、溜息を吐く。ロイズ伯爵夫人のパーティーが人気な理由がわかった気がする。毎回、何かしらの趣向を凝らしたパーティーで、参加者は当日までどのようなパーティーなのか知らされない。仮面は全て同じものだから、仮面の装飾で特徴を見分けることもできない。いつも気にする身分の上下差も、家柄も気にする必要がないとなれば、気が緩むのも当然だろう。お堅い年配の方々なら、嘆かわしい、風紀が乱れていると、眉を潜めそうだ。けれど、自由な気風のロイズ伯爵夫人のパーティーでは、畏まったルールなんて口にするだけ野暮なのだろう。
なるほど、出会いの機会は多そうだ。私はそう思いながら、葡萄ジュースのグラスに口をつける。思わずむせそうになったのは、お酒の味がしたからだ。グラスを配っている従僕は、ジュースだと言っていたのに!
私は口許を押さえて、深い紫色の液体が入ったグラスを見る。それも、かなり強めなお酒だ。きっと、混ぜてあったのだろう。従僕がうっかり失念していたのでなければ。
メアリーだけでなく、叔母様まで年甲斐もなくはしゃいでいるようで、当分は帰る気はないのだろう。この調子ではパーティーは夜更けまで続きそうだ。私は溜息を吐いて、手持ち無沙汰にグラスを揺らす。
せめて、図書室でも開放されていたら、時間を潰せたのに。そんなことを考えながら大広間を眺めていると、「失礼、お嬢さん」と声をかけられた。ビクッとして振り向けは、数人の男性がニヤニヤしながらお辞儀をしていた。
「このような場所にいないで、私と一緒に踊りませんか?」
「壁の花になっているなど、もったいない。楽しまなければ損ですよ!」
「パートナーをお捜しなのでしょう? まずは私とどうです?」
「い、いいえ、人を待っているのです!! パートナーの方を!!」
私は慌てて断り、その場を離れようとした。見知らぬ相手と踊る気にはなれない。その上、お酒臭くて、酔っ払っているのは見ればわかる。
「どの方です? 一緒に捜しましょう」
「そうですよ。女性一人で立っていると、悪い男が声をかけてくるかもしれない」
逃げ道を塞ぐように囲まれてしまった。どうやら、しつこい相手のようだ。
困ったと、私は視線を周囲に向ける。こちらの様子を伺ってクスクス笑っている女性はいるけれど、とうてい助けてくれるようには思えない。
「心づかいはありがたいのですけれど、私のことはお気になさらず……」
小声で言ってみたけれど、男性たちは聞いていない。「お暇でしょう? 是非、一曲」と強引に手を取ろうとする。私は「あっ!! い、いました。私のパートナー!」と、声を上げて男性たちを押し退けるようにして間を通り抜けた。
小走りに離れると、誰かにぶつかって持っていたグラスが揺れる。ジュースがこぼれ、相手の服にかかるかもしれないと一瞬焦った時、私の手がグラスごとパッとつかまれた。こぼさなかったことにホッとして顔を上げると、相手は蜂蜜色の髪をした男性だった。仮面をしているけれど――その茶目っ気のあるエメラルドグリーンの瞳はよく知っている。
「ウィ………………」
名前を呼びかけた私の唇に、彼が人差し指を当てた。
彼はニコッと微笑むと、私を少し引き寄せて後ろに視線をやる。こっちを見ていた男性たちが、白けたように肩を竦めていた。諦めてくれたのか、他の女性に声をかけている。
「ありがとう……でも、どうしてここに!?」
私はウィリアムの方に顔を戻して、小声で尋ねる。ウィリアムはほとんど社交の場に現れない。パーティーに参加するのは妹の〝アイリーン〟の方だとすっかり知れ渡っている。このパーティーに彼が参加しているとお嬢さま方が知れば、大騒ぎになるだろう。今日のパーティーが仮面舞踏会で幸いだった。
「君が参加するって聞いたからね」
そういえば、図書館でそんな話をしたことを思い出す。
「それだけの理由? でも、どうして……その格好?」
いつもならアイリーンの姿で来るはずだ。
「この格好じゃないと、君をダンスに誘えないから、かな?」
「そ、そのため!?」
呆気に取られる私を見て、ウィリアムはイタズラっぽく笑う。
手が熱く感じられて、ようやく彼の手が私の手とグラスを一緒に握っていることを思い出した。
「あっ、も、もう大丈夫……離して」
周囲の視線が気になって小声で言うと、彼がパッと手を離してくれた。
「それは、お酒?」
「ただのジュースだと思ったのに、お酒が入ってたの」
半分も飲めていないのだ。グラスを回収している従僕を捜してキョロキョロしていると、スッと抜き取られる。ウィリアムはそのグラスの香りを確かめてから、何の躊躇いもなく口をつけていた。
「あっ! そ、それ……私も一口飲んじゃって……るのに…………」
慌てたけれど、すでにジュースは飲み干されていた。
「確かに、酒の味がするね……まあ、それほど強くはないみたいだけど」
平気な顔をしているウィリアムを見て、「あなたって……」と私は額を押さえた。
仮面舞踏会で、みんな人のことなんて少しも気にしていない場所でよかった。そうでなければ、何と噂されていたかわからない。
「もしかして、もうちょっと飲みたかった?」
ひょいっと顔を覗き込んでくるから、ブンブンと顔を左右に振る。「なら、よかった」と、彼は笑っているけれど、私は空のグラスを見て頬を赤く染めた。
(グラスの縁にてんてん口紅がついてしまっているのに。平気で飲むんだもの)
私の方が恥ずかしくなってしまう。もしかして、アイリーンじゃない時の彼って、社交の場に出してはいけない人なのかもしら。そんなことを考えてモゴモゴ口ごもっている間に、彼は従僕にグラスを返していた。
「君がもうすぐ、帰ってしまうから……一緒に楽しみたかったんだ」
私の両手を取ったウィリアムが、そう言って微笑んだ。真っ直ぐ向けられる視線を、私はドキドキしながら受け止める。
「迷惑だった?」
「まさか……色々予想外のことが起こるから、びっくりしているだけ」
手袋をした彼の手を握り返す。今日のような仮面舞踏会でなければ、彼と踊ることなんてできなかっただろう。みんなが踊っている大広間の中央に移動すると、向かい合ってお辞儀をする。
慣れた足取りで踊る彼にリードされて、私も足を運ぶ。普段のワルツよりもテンポが速くて、時々間違えそうになる。途中からはステップも乱れ、もうどんな風に踊ったのかわからなくなっていた。ただ、楽しくて。顔を見合わせて笑い合う。曲が終わると同時に躓いてしまい、彼に受け止められた。
手を握り締められたまま、私は彼の胸に顔を押しつけて笑い続けていた。周囲の賑やかな声の方が大きくって、少しも気にならない。すっかり体温も上がってしまっていて、じんわりと汗を掻いていた。
手を叩く音がして会場にいた全員が注目すると、主催者のロイド伯爵夫人が進み出る。
「では、これよりゲームを始めたいと思います!」
未婚の男女だけで、椅子取りゲームをやるらしい。ロイド伯爵夫人の目的は、このゲームでカップルを作ることだろう。そういうのはいいのになとぼんやり考えていると、ウィリアムが頭を傾ける。
「…………抜け出す?」
「いい考えだと思うわ」
私たちは手を取り合って、盛り上がっている会場をそっと後にした。
******
所領の屋敷に戻った私が公爵邸に送ったのは雪が溶けて、春の温かさを感じられるようになってからだ。馬車を出してもらって駅まで迎えに行くと、ちょうど列車が到着したところだった。黒煙が青空に広がり、汽笛の音が響く。
駅舎の前で待っていると、続々と人が降りてくる。帽子をかぶって、旅行鞄を提げて出てきた相手を見て、私は思わず声をかけ損ねた。彼は私を見つけると、笑顔でやってくる。
「ようやく君に会えた」
「あなたってば……どうして……その格好で来るの!?」
「君の両親にご挨拶するのなら、この方がいいと思ったんだけど……違った?」
ウィリアムはキョトンとした顔で首を傾げる。
「誤解されるでしょう!? 私は友人が来るって伝えているのに!」
ウィリアムを見たお父さまがどんな反応するのか、想像するだけで怖い。
暴れて、クマを狩る時の銃を持ち出してくるかも――。
「友人というのは間違ってないだろ?」
「男の人と女の子の友達じゃ、大違いよ! きっとひどく噂になるわ。村中に噂が広まるわよ。絶対、大騒ぎしてお祝いのお祭りとかし始めるわ……あなたってば、田舎を甘く見すぎよ!」
「お祭りか。それは、楽しそうだ。私たちも参加できるかな?」
暢気に笑っているウィリアムに、私は体から力が抜けるような気がした。
きっと、事の重大さが全然、わかってないのね。ただの友人だなんて説明しても、きっと誰も信じないだろう。
「あなたってば……王都にまで噂が広がったら、どうするのよ……」
「その時は、私の婚約者だって紹介するよ」
「そうね……それしか…………って、い、今…………なんてっ!?」
馬車へと歩いて行く彼を、私は急ぎ足で追い掛ける。
「嫌かい?」
立ち止まったウィリアムの背中に、勢いあまってぶつかってしまう。一歩下がった私を、彼は少しも冗談に思えない瞳で見ていた。
「い、嫌……ではないけれど、釣り合いが取れてないと思うわ」
こんなふうに、いきなり言われるなんて思いもしなかったから、心の準備などできていない。
そもそも、急すぎるし、彼の気持ちだって聞いていない。私の気持ちだって、自分ではまだよくわかっていないのだ。この先も友人同士の関係が続くものだと思いコネいたから。
「そうかな? 十分だと思うんだけど?」
「確かに家柄は古いけれど、うちは田舎の貧乏貴族よ!」
とても、公爵家の跡取りである彼の結婚相手には相応しくない。彼なら、私でなくても引く手あまたのはずだ。絶対、選ぶ相手を間違っていると思うんだけど――。
「結婚してよ、ドリス。君がいいんだ」
私に片腕を差し出しながら、簡単に言う。それがごく自然なことなんだと、言うように。
「どうして、私なの…………」
声が小さくなる。きっと、彼にちゃんと答えられるだけの自信が、まだないからだ。
「それは……なくしたくないから、かな。大切な人を」
そう言って、ウィリアムは少し切ない表情を滲ませて笑っていた。
ああ、そうか――。
それは、私も同じだ。
その言葉は、迷い、尻込みしている私の心に、スッと入ってきた。
友情と、恋愛感情の違いも、まだ少し曖昧だ。けれど、一つだけはっきりしていることは、私はとっくにこの人が好きだということだ。
彼の腕に手を載せて、待っている馬車へと一緒に歩いていく。
「銃を持ったお父様に、追いかけ回されるわよ……きっと」
「それは、覚悟が必要かな?」
「ええ、とってもね」
片目で彼を見ると、ウィリアムは困ったような、それでいて嬉しそうな顔をして笑っていた。
END




