その12
パーカーを取り戻すと男たちを手で追い払い、パラソルの陰に座り込んでキノはそそくさと羽織る。
「全く、あの男どもに見られたなんて、最悪」
呟く唇は苦虫を噛み潰したように歪んだ。
「何故こうも二人きりになれない。そうするために、知らない土地に来たというのに」
またしてもマコとの間に分け入ろうとする輩に腹が立てている。と考えている最中、パーカーの上から何度も位置を変えているが、生地に直接触れる胸先が妙な刺激になっていた。
「何も着けていないと、窮屈じゃない。気持ちいいかも」
「そんなのダメよ」
マコが覗き込んで言う。
「もとは君が僕のを取っちゃうからだぞ」
上目使いに口を尖らせた。
「あれは不可抗力よ。私はちゃんと持ってたのに、波がねえ」
舌を出してマコは笑う。
「おんなキノが可哀想じゃん」
「まあ、うん。ごめん」
申し訳ない顔つきとなった。
「でもマコのが取れなくてよかったよ。だから身代わりを許す」
「ありがと」
「にしても、あいつら、本当に邪魔!」
怒りは再び宮島たちに向けられた。
「鼻の下を伸ばして、いったい何を考えてるんだか」
歯ぎしりしながら、拳をつくる。
「まあまあ、そんなに害はなさそうだし」
宥める彼女は微笑んだ。
「害なんて、大ありだよ。あいつら、人の服の匂い嗅いでたし、確実に変態どもだ。マコを危険な目に合わせられない」
パーカーのジッパーを摘んで、胸元の辺りまで引き上げる。
「優しいね。でも、あなたもよ」
澄んだ瞳がキノを襲い、肩を抱いた。
「どういう意味?」
「キノも危険か、キノが危険か、どっちもよ」
パラソルに隠れてマコは口を尖らせ、すばやくキノの唇に触れる。そしてマコはキノを優しく押し戻した。
「マコ。君も十分、危険だ」
「な、可愛いだろ二人とも」
そう言って宮島は呆然と立っている男に相槌を打たせる。屋敷はキノと目が合うと、気を失い掛けたように蹌踉となった。
互いを紹介し合った後で昼食を取ることになり、屋敷が得意料理を振る舞い好評を得る。その後ドライブに誘う宮島の提案は却下され、尻を蹴飛ばしてキノは追い出した。
黒いリムジンはその建物の駐車場から大きくはみ出して駐車している。
「誠に、今年の花火大会は誠に盛大になります」
汗を顔から頭頂までを拭きあげて、町長の米重は畏まって言った。止め度もなく汗が滴り落ちている。隣には逞しい茶褐色の肉体美を兼ね備えた中年の花火大会大会長の古田も、法被姿で頭を下げた。
「そうか」
茶色の古びたソファーに凭れて、若干肩を落とすその男は返事する。
「どうかなされましたか?」
米重が声を掛けると男の隣にいる初老の男が小声で耳打ちした。
「今日は体調不良ゆえ、心持ち落ち込んでおられます」
「余計な事は言わんでいい」
その男は少し苛ついて呟く。ことの詳細がわからない米重はフォローが出来ずに焦った。額から流れ落ちる汗が止まらない。
「き、今日のご挨拶はよろしいでしょうか?」
「米重様、心配ご無用です。労務には支障ございません。旦那様は大丈夫でございます。私情は持ち込まないお方ですから」
「私情……、ですか」
花宗院大介は手を振って静止させた。執事の平井は細笑む。米田は少々膨れた様子の横顔を見ると、なんだか拗ねている子供がいるような錯覚を覚えた。
「大企業の会長ですか、本当に?」
花火大会会長の古田は小さい声で確認する。平井は目配せした。
二人とも同じ事を考えていると思った平井は身を乗り出して、咳払いをした。
「花宗院は、世界の著名な富豪たちと肩を並べ、各国の政治家とも密な関係をとっております。またグループは世界最大企業のトップに名を列ねる存在でございます。まさに世界の一部はここで動いていると言っていいでしょう。その……」
大介はもう一度手を挙げて、平井の演説を止めさせた。町長と大会長は畏まったまま唾をひと飲みする。平井の熱弁するスケールの話についていけていない。ただただ真剣な眼差しに圧倒されていただけだった。
テーブル越しにいる仕立ての良いスーツの男は息を吐く。
「今夜の花火大会は、グループの余興だ」
「余興……、ですか」
町長は言葉を繰り返した。滴る汗を拭う。
「余興にしては、大幅に予算が膨らみましたが」
「結構。この市中、最大級でとお願いしたはず」
隣の平井は頷いた。
「もちろんです。有名大会に引けなどとりません」
大会長の古田は鼻息荒く胸を張る。そして指を立てて質問した。
「なぜこんな地方の町で?」
「ご説明とコンセプトは申し上げたはずですが」
眼鏡を掛けて、平井はアタッシュケースを持ち上げる。それを古田は手で遮った。
「もちろん聞いております。しかし、今、花宗院殿から余興と伺い、いささか気を悪くした次第です」
「こ、こら、古田くん!」
町長の声が上がる。
「小さいとは言え、この大会は歴史あるもの。皆の願いをひとつにする厳かな祭りであり、妥協などせんつもりです。それを余興とは心外ですな」
静かな音を立てて、スーツの男は大会長と対峙した。
「私の意見には賛同し兼ねるということですかな」
苛立った声色に、思わず町長は立ち上がる。
「こ、これは失礼いたしました! ふ、古田くん!」
「万が一でも、あなたの私情で事柄が上手くいかないのであれば、これは宜しくない」
古田の鋭い眼光は目前の男を見つめた。町長は汗を拭くことも忘れて立ち竦む。そして苛立った顔が、突然大笑いした。
「うん。すまん。余興ではない。この町の一大イベントだ。皆を元気にさせよう」
すると法被男も笑い出す。平井はアタッシュケースを机から降ろした。
「私情はひとつだけだ。娘と見たかったのだ。しかし大玉が飛ぶのか」
「最大級です」
古田は自信を持って応える。
「ならば、きっとどこからでも見えるに違いないな。それを打つのに一役買ったと思えば気持ちが良かろう」
「では、娘さんにも届くように、最高に打ち上げますよ」
「よろしく頼む」
二人はニンマリとしながら握手する。
「訳がわからん」
どっぷりと汗を掻き、ようやく町長は座り込んだ。