その13
「琴葉ちゃん!」
厳かな扉が開くと同時に、マコは叫ぶ。
「あー、真琴! 元気ー」
手を軽く挙げるとマコが駆け寄り、二人は手を合わせた。片手にはワイングラスを持った大介が近寄ってくる。昼間にマコが来てから延々飲み続けていた。かなり気分が良いらしい。
「琴葉、真琴と並ぶと、どっちがどっちなのか判らんなぁ」
上機嫌な口調で笑い飛ばす。
「おじさま、お久しぶりです。お招きありがとうございます」
彼女は深く、頭を下げた。
「いやいや、構わんよ。今日はとても愉快なんだ」
再びニヤけ顔でソファーまで歩いていくが、足元がふらついている。メイドが隣で心配そうに付き添っていた。
「琴葉ちゃん、元気してたかな?」
綾子は大介からグラスを取り上げて、向かって来る。
「おばさま。どうも。とても元気です」
琴葉は綾子にも同様に頭を下げると、彼女は微笑んで頷いた。
「そう言えば、真琴」
メイドが何やらそそくさと持ってくる。彼女はマコの前で、大きな花束を差し出した。
「ちょっと遅くなったけど、結婚、おめでと」
丁度マコの姿が隠れるほどの赤いバラとかすみ草。マコは両手を広げて、それを優しく抱いた。甘い花の香りが匂う。その香りは幸せも乗せて、部屋を満たしていった。
「ありがとう」
彼女は微笑む。
「真琴、今、幸せ?」
「うん。すごく、幸せ」
琴葉は彼女の屈託のない表情に、女の幸せを身近に感じ取った。
「そうなのかなぁ」
マコはその花束を、花瓶に生けるようにメイドに頼んだ。
「それで、旦那様は?」
背伸びして彼女は辺りを見渡す。
「まだ来てないの。今日出掛けていて、連絡はしておいたんだけれど」
少し気落ちするマコだが、直ぐに表情を変えて質問する。
「それで、琴葉ちゃん。どう?」
「どうって……。ちゃんとやってきましたよ。大人しくね」
琴葉は苦笑した。
「その……、芦川先生は……」
聞き辛そうにマコは身を捻る。
「ああ、真琴の絵画の先生だったね」
「うん」
「それが面白かったの」
「面白い? 先生が?」
意外な感想にマコの顔が歪んだ。
確かに、一見馴れ馴れしい感じはある。だが大人の男が初対面で、しかもお見合いの席で畏まっていなかったのか。それとも気が凄く合って内容が良かったのか。
「始まってすぐに、彼の恋人が乗り込んできてね」
思い出しながら吹き出す琴葉は、堪えきれず遂に大笑いする。よほど面白かったのだろう。
「こ、恋人!? そんな! 先生に恋人なんて、聞いたことない!」
「へえ、そうなの」
彼女はマコの顔をちらりと見て、腹部を押さえながら再び笑い始めた。
「それで、ちょっとムカついたから、その恋人の頬ぶっちゃった。私より年下だったわ。そう真琴くらいかも」
「そんな……」
その出来事に理解し難いマコは、未だ返答に困惑していた。
「その恋人って娘、なんていうか美しくて、可愛くて、凄く綺麗でね。ううん、それ以上かも」
「凄く綺麗?」
マコにひっかかる言葉が響く。
「女の私でさえ、見とれて、吸い込まれそうなくらい、大きな瞳、色白の……」
琴葉は思い出すだけで、恍惚な表情になっている。
「でも、おかしいのよ。自分のこと『僕』って言ってるし」
「僕……」
マコは更に訝しげな顔になった。一旦、目を閉じて深呼吸する。
「琴葉ちゃん、一つ聞くけど」
笑い過ぎて目に涙が溜まっている琴葉に、彼女は真剣な眼差しを向けた。
「その凄く綺麗な娘の髪って、細長い艶のあるクリーム色だった?」
「髪? そう言えば頬を引っぱたいた時、そんな色だったっけ。あっそうそう、ロールヘアーのクリーム色」
琴葉は笑いを止め、天井に眼を向け考えて言う。
「あの子……」
身体からエプロンを剥ぎ取って、マコは床に投げ捨てた。
「真琴、どうしたのよ?」
その突然の行動に、彼女は不思議な顔をする。
「何でもない。ちょっと席外すね、琴葉ちゃん」
マコは振り返った。
「あの子の頬っぺ、本当に叩いたの?」
「そうよ。多分女として、その美貌にちょっと嫉妬しちゃったのかな」
軽く舌を出して琴葉は、おどけた薄笑いをする。
「そう、ありがとう」
マコはそう言うと、幾分床を踵で鳴らしながら部屋から出ていった。
「真琴、ありがとうって?」
長い廊下を歩きながら呟く。
きっと、芦川とキノは申し合わせていたに違いない。
「あの男共……」




