影からの視線
天井の高い教室。長く並べられた机は、階段状に設置されていた。その机に何人もの生徒が教科書やノートを並べている。生徒たちは二人一組がほとんどで、制服にはロングローブ、あるいはショートケープを着ていた。胸元やネクタイ、リボンなどにつけられた灰色のブローチが、窓から差し込む太陽の光に反射している。
教卓に立っていた教師は魔法具の仕組みについて実際に魔法具を持ち出して説明をしていた。一人の女子生徒が教室の隅を見つめている。
「エリス・エンバー・ヴォルド。エリス・エンバー・ヴォルド!! 聞こえていますか?」
エリスと呼ばれた少女はハッと現実に戻されるかのように慌てふためき、その場で立ち上がった。少し声を詰まらせながらも返事をする。薄いピンク色をした髪が、キラキラと反射しながらふわりと舞う。低身長ながら必死に体を伸ばしていた。
「はっ、はい! 聞こえています!」
周囲はクスックスクスッと笑う。エリスは顔を真赤にし、問いかけられた質問に答え、席に座る。教師はため息をつき、手にもった魔法具の説明を再開する。エリスは頬に手をあて、赤くなった顔を冷まそうとしていた。そして小さな声でポツリと呟いた。
「なんでしょう……なにか、誰かに見られているような」
エリスの疑問をかき消すかのように、陰口が聞こえてきた。それがエリスの耳にも入ったのだろう。赤かった顔は、浮かない顔へと変化していた。手を膝の上で組み、親指をこすり合わせていた。
この世界で最も栄誉ある十二の貴族の内の一人。彼女は十二の貴族が引き継ぐべき能力を引き継げなかった落ちこぼれ。さっさと退学になればいいのに。いくら学年で一位の座学成績でも雑魚じゃん。そんな心無い言葉達が聞こえているのだろう。
席順位がすべてのこの学院において、彼女の順位は下から二番目という事実。
エリスはスカートを掴む両手に力が入る。小さな声で、分かってます……とボヤく。チャイムが教室に響き渡る。
「あっ、ごはん……」
立ち上がって、廊下に出ようとした。何かに躓き、顔から床にぶつかるように転んでしまった。
「イッ……」
「どんくさぁー」
「……クローネさん」
クローネと呼ばれた少女が足を引っ掛けたのだ。黒髪のツインテールをなびかせ、エリスを見下しながらすれ違っていく。取り巻きが転んだエリスをすれ違いざまに踏みつけたり蹴りつけたりする。エリスは痛みに耐えながら嵐が過ぎ去るのを待った。そしてただ一人、廊下に取り残される。
ゆっくりと立ち上がる。足首に痛みを感じたのか、片足を引いた。そしてその片足を庇うように食堂へと向かった。
エリスは学生証を食堂の店員に差し出す。
「ジャガイモとバターのサラダと、卵のサンドイッチをください」
「あいよ。千レートね」
エリスは頷いた。そして学生証を受け取る。学生証に描かれた魔法の数字が変化していく。席順位を決めるレートが少なくなったのを見て落胆している。視線は左上に描かれた九百九十九位の文字へ。
「下から二番目……ですか。千位から外れれば……退学」
「あいよお嬢ちゃん! いつものジャガイモとバターのサラダ。そして卵のサンドイッチ。サラダにハムつけといてあげたからね!」
パァーッと顔が明るくなるエリス。にこっと笑い、ありがとうございます! とお礼を伝えた。足を引きずりながらも軽やかな足取りで席を確保する。
スプーンで柔らかいジャガイモを潰す。ハムと一緒に溶けたバターを混ぜ合わせ、口に運んだ。
「ん~……口の中でとろけますぅ」
そしてサンドイッチに手を伸ばそうとした時だった。パシャッ……とサンドイッチが水浸しになる。クローネがコップを置いた。
「あぁごめんね。こぼしちゃった。それからこれ……受けてくれるよね? 拒否権なんてないんだから。今日の放課後。第二決闘場に来なさい」
サンドイッチの上に置かれた決闘を申し込む書類。それを見たエリスの顔が一気に青ざめていく。慌てながら待ってくださいと言った。
「な、なんでですか!? 私はクローネさんよりも順位は下です! 戦って勝ってもクローネさんのレート変動はほとんど……」
「あんたを惨めにしたいから。それだけ。貴族の落ちこぼれのくせにいつまですがりついてんの? さっさと政略結婚のための準備をお家でしたらどう?」
クスックスクスッと取り巻き達が笑う。そのあと、エリスは味のしなくなったサラダとサンドイッチを残さずに食べた。重い足取りで向かった第二決闘場。広い観客席にはほとんど誰も座っていない。最底辺の戦いを見たいものはそう多くはない。いたのはクローネの取り巻きくらいだ。
痛む片足を庇いながらエリスは一人で手をかざす。その手は……震えていた。相手は二人。クローネはペアの子に対し、手出ししなくていいわと口にした。
この順位システムは二人一組が基本。エリスのようにペアを組まないものは稀だった。クローネは歩きながらエリスにこう言った。
「まだぼっちなのね。あの子と組めばいいじゃない。ルームメイトの子。たしか千位だったわよね。それとも貴族でもない子と組むのはプライドが許さないのかしら?」
「約束……したんです。傷の舐め合いなんかじゃなく、順位を上げていこうって」
「退学するほうが先でしょ。第一階梯魔法 ノクト」
黒い魔力の球がエリスへと飛ばされる。エリスは避けたほうが早い。そう判断したのか、詠唱を途中で止め、身をかわそうとした。
――ピシッ
という音がエリスの足首から聞こえる。まるで地面にめり込むような重さが足首にかかっていた。
「足がっ……!!」
エリスは立っていられず、膝をついた。その顔面にノクトが衝突する。所詮は初歩魔法。とはいえ、顔に傷を作り、血を流させることくらいは簡単だった。彼女は苦痛の顔を地面に向けていた。
クローネは勝ち誇っていた。口角はあがり、手をかざしてエリスを見下ろす。次の一撃を準備していた。エリスは俯きながら涙をこらえ、負けを宣言しようとした。
「……クローネさん。私の」
グシャッと顔面を地面に叩きつけられるエリス。クローネは聞こえなかったと、わざとらしく大きな声で言った。エリスを囲うように現れる大量の黒い玉。
言葉も発せないくらいに負傷し、地面へと横たわったままのエリス。取り巻きがエリスの頭を踏みつける。短い苦痛の声だけが漏れていた。
――数時間後。エリスは自分の部屋に居た。ランキング最下位だとしても、さすがは大陸一の魔法学院。二人部屋とは思えない広さ。しかし、家具含め内装は質素だった。誰もいない相方のベッドを眺めていた。
「やっぱり……今日も帰ってきませんか。フランはいつもどこにいるんでしょうね。今日は……都合がいいですけど」
エリスは衣服を脱いだ。そして、レートを使って買った安物のポーション。それから薬草を包帯で巻いていく。時折痛みで目をにじませる。その位置に防水のための魔法を使ったあと、ため息をついた。ボロボロになった制服。傷だらけの体。エリスはカバンから教科書を取り出した。
涙がポタポタと溢れ始め、教科書を閉じた。頭を横に振って、シャワー室へと向かった。地べたに座り込むエリス。温かいシャワーがエリスを洗い流す。肌を伝って床の排水溝へと水は落ちていく。
「どうして……私は、十二の貴族の能力を引き継げなかったんでしょうか……炎の貴族なのにどうして……お母様……ごめんなさい。私は……」
エリスは突然隅の影を見つめる。胸を抑え、息を整えようとしていた。胸を隠し、座ったまま少し後ろへと下がる動作を見せる。つばをごくりと飲み込み、恐る恐る口を開いた。
「……やっぱり、勘違いなんかじゃない。数日前からずっと視線を感じていました」
影が揺らめき、シャワー室の明かりが点滅する。ピチャッ……と影の中で足音がシャワー室に反響する。彼女は立ち上がろうとするも腰が抜けたのかうまくいっていない。視線だけは影を見つめながら、少しでも時間を稼ごうと言葉を続ける。
「何が目的ですか? お金ですか? それとも……体……とかですか? 私なんか、ちっちゃいですしオススメしませんっ! 出てきてください。じゃないと魔法をうちますよ!! 影の中の誰かさん!!」
……影の中の誰か?
私は暗闇の中で口角を上げた。
エリスに見えるように、影の中からゆらりと歩き出す。
――あぁ。彼女は……“私”のことが見えているのね。




