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冒険者放浪編 無敵の要塞を築いた男、今度は低ランク冒険者として世界の歪みを視る 第1章 再起動・低ランク潜入  第1話 名前を、捨てる日

 名前とは、不思議なものだ。


 背負っている間は、重さに気づかない。


 ――だが。


 下ろした、瞬間に。


 初めて、その、重さの、正体が、分かる。


 それは、守りでもあり、鎖でもあった。

 王都から、馬車で、半日ほどの、小さな、宿場町。


 フォルテス領を離れてから、既に、数ヶ月が、経っていた。


 ヒコとマユミは、その道中、幾つかの町を巡りながら、静かに旅を続けていた。


 行商人の護衛。


 迷い犬探し。


 井戸の掃除。


 どれも、些細な、依頼だった。


 だが。


 その、些細さが。


 今のヒコには、心地よかった。


──────────────────────────────────────


 宿場町の外れに、王国の出張所があった。


 貴族や、領主に関する、事務手続きを代行する、小さな役所だ。


 ヒコは、その扉を、静かに開けた。


──────────────────────────────────────


 中には、初老の事務官が一人、座っていた。


 名を、レイフォードという。


 王都からの通知を、既に受け取っていたのだろう。


 ヒコの顔を見るなり、僅かに居住まいを正した。


「フォルテス卿、ですね」


「はい」


 ヒコは、頷いた。


「本日、伺ったのは」


「フォルテス領の」


「領主としての、立場を」


「正式に、離れるためです」


──────────────────────────────────────


 レイフォードは、しばらく、ヒコを見つめていた。


「失礼を承知で、伺いますが」


「本当に、よろしいのですか」


「フォルテス卿という、立場は」


「決して、小さなものでは、ありません」


「南方の辺境を、一人で切り開いた功績は」


「王都でも」


「未だに、語り草になっています」


──────────────────────────────────────


 ヒコは、静かに微笑んだ。


「ありがとう、ございます」


「ですが」


「その、功績は」


「もう、私一人のものではありません」


「今は」


「評議会が」


「フォルテス領を、守っています」


 レイフォードが、書類へ目を落とした。


「……すでに、統治権限は評議会へ移譲されています」


「はい」


「バルド様を中心とした、評議会による合議統治」


「現在の体制は、継続されます」


「はい」


「今回の手続きは」


「ヒコ・フォルティス様が、フォルテス領の領主として持つ、残された立場を」


「正式に、整理するものです」


「はい」


 ヒコは、静かに頷いた。


──────────────────────────────────────


 レイフォードは、書類を机の上に広げた。


「フォルテス領の日常統治については」


「これまで通り、評議会が担います」


「領内の防衛や、生活基盤についても」


「現在の体制が、継続されます」


「フォルテス領の名も」


「変更はありません」


 ヒコは、頷いた。


「それなら、安心です」


──────────────────────────────────────


 レイフォードが、最後の書類を差し出した。


「では」


「こちらへ、署名をお願いします」


 ヒコは、ペンを取った。


 そして。


 自分の名前を、記した。


 ヒコ・フォルティス。


 それは、変わらない。


 変わるのは。


 その名前の後ろに、あったものだった。


──────────────────────────────────────


 署名を終えた。


 レイフォードが、書類を確認する。


「これで、正式に受理されました」


「本日をもって」


「フォルテス領の領主としての、立場は終了となります」


「はい」


 ヒコは、短く答えた。


──────────────────────────────────────


 その瞬間。


 ヒコの脳裏に、ある記憶が蘇った。


──────────────────────────────────────


 数ヶ月前。


 フォルテス領の評議会の間。


 権限移譲の手続きを終えた、あの日。


 誰かが、尋ねた。


「爵位は、どうするんですか」


 その時、ヒコは答えた。


「爵位を、手放す、わけでは、ありません」


──────────────────────────────────────


 あの時は。


 まだ、捨てられなかった。


 いや――


 捨てる、必要が、なかった。


 フォルテス領を守るための、最後の盾として。


 まだ、その立場が、必要だった。


 でも。


 今は。


 違う。


──────────────────────────────────────


 脳裏に、ハイム子爵の言葉が蘇る。


 ――あなたが、この地に、留まり続ける限り、狙われ続けます。


 中央評議会からの、視察の噂。


 南方廃址で起きた、防衛機構の暴走。


 そして。


 その裏に残された、正体の分からない痕跡。


 フォルテス卿という名前を残したままでは。


 また、あの地に、余計なものを引き寄せるかもしれない。


 なら。


 自分が、その名前を下ろせばいい。


 領地を守るために。


 もう一度。


 自分が、手放せばいい。


──────────────────────────────────────


 手続きを終え、外へ出ると。


 マユミが、宿の軒先で待っていた。


「終わった?」


「はい」


 ヒコは、頷いた。


 自分でも驚くほど、あっさりとした声が出た。


──────────────────────────────────────


 マユミは、しばらくヒコの顔を見つめていた。


「どんな感じ?」


「不思議です」


 ヒコは、正直に、答えた。


「軽くなったようで」


「でも」


「何かが」


「少しだけ」


「寂しいような」


「両方の気持ちがあります」


──────────────────────────────────────


 マユミは、少し、笑った。


「そういうものなのかもね」


 そして、空を見上げた。


 雲一つない青空だった。


──────────────────────────────────────


「これで」


 マユミは、続けた。


「本当に」


「自由だね」


──────────────────────────────────────


 その一言に。


 ヒコは、しばらく言葉を失っていた。


 やがて、静かに頷く。


「はい」


「本当に」


「自由に、なりました」


──────────────────────────────────────


「王国勲爵士では、あるけどね」


 ヒコは、空を見上げた。


「そうですね」


「でも」


「これからは」


「領主では、ありません」


「一人の冒険者です」


──────────────────────────────────────


 マユミは、ヒコの隣に並んだ。


「じゃあ」


「これから、どこへ行く?」


 ヒコは、少し考えてから答えた。


「南へ」


「行きましょう」


「南方大陸、ヴェルグラードへ」


──────────────────────────────────────


「なんで、その街?」


 マユミが尋ねる。


 ヒコは、遠く南の方角を見つめた。


「分からないことが、多すぎます」


「防衛機構のことも」


「弾劾請求の背後にいる存在も」


「まだ、姿を見せない誰かのことも」


「でも」


「今の私には」


「答えを、決めつけることはできません」


「だから」


「まずは」


「近くで、見てみようと思います」


──────────────────────────────────────


 マユミは、しばらく黙っていた。


 やがて、小さく頷く。


「うん」


「そうしよう」


──────────────────────────────────────


 二人は、荷物を担ぎ直し、歩き出した。


 宿場町の外れの道を、南へ。


 その足取りには、迷いがなかった。


──────────────────────────────────────


 道すがら。


 ヒコは、懐の革袋を確かめた。


 金貨、九十九枚。


 フォルテス領を離れる時に持っていた、所持金、金貨百枚から。


 これまでの宿代や、今日の手続き費用などで、依頼をこなしていても僅かに目減りしていた。


──────────────────────────────────────


「少なく、なってきたね」


 マユミが、覗き込んで言った。


「はい」


 ヒコは、苦笑した。


「これからは」


「稼がないと」


「いけません」


「昔は」


「そんなこと」


「考えなくても」


「良かったのに」


 マユミが、少しからかうように言う。


──────────────────────────────────────


 ヒコも、笑った。


「そうですね」


「でも」


「悪くない感覚です」


「明日の食い扶持を」


「自分で、稼ぐ」


「それも」


「久しぶりです」


──────────────────────────────────────


 名前とは、不思議なものだ。


 背負っている間は、重さに、気づかない。


 だが。


 下ろした瞬間に。


 初めて、その、重さの、正体が、分かる。


──────────────────────────────────────


 ヒコ・フォルティス。


 名前は、残った。


 けれど。


 その名前を縛っていたものは、もうない。


 フォルテス卿という、立場を。


 この日、静かに、下ろした。


 そして。


 一人の冒険者として。


 南へ、歩き出した。


 新しい現場へ。


 新しい世界へ。



 第1話 名前を、捨てる日 了

【次回予告】地面へ、降りる。


 高い場所にいると、見えるものが減る。


 一度、地面に降りる。


──────────────────────────────────────


【路銀・第1話時点】


・所持金:金貨99枚(-金貨1枚:手続き諸費用・宿代等)


──────────────────────────────────────


【装備】


■ ヒコ・フォルティス


・冒険者Bランク・王国勲爵士

・元フォルテス卿

・武器:《魔導銀ミスリルの小剣》

・防具:《測界の外套》

・装備:《現場管理袋》(容量大・即時取り出し最適化)

    《守護の魔石》

・特記事項:《視眼の羅針盤》(現在未使用)


■ マユミ


・冒険者Bランク・王国勲爵士・二刀流剣士

・元近衛隊 隊長

・二つ名:「緋閃」

・武器:《緋閃の双刃》(精霊カグラ・ヒナギが宿る)

・防具:《疾風の軽鎧》

・装備:《守護の魔石》


 ※装備については、初回及び更新時等でのみ記載。


──────────────────────────────────────


「いつも応援ありがとうございます!おかげさまで物語も第三編、無敵の要塞を築いた男、今度は低ランク冒険者として世界の歪みを視るフェーズまで無事に進むことができました。

ここからさらにクオリティを上げ、より多くの方に前田課長ヒコの『現場力』をお届けするため、今後の更新を【毎日1回、19:00固定】に変更します。

より一層、段取りの整った現場をお見せしますので、引き続きよろしくお願いします!」

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