第三話「情報は金で買え、判断はタダじゃない」
朝、ギルドに向かう途中だった。
後ろから声がかかった。
「ねえ、ちょっといい?」
振り返った。
女が立っていた。
三十代くらい。背が高い。緩く巻いた赤みがかった髪が肩に落ちている。服は商人風だが、腰に小さなナイフが一本。目が笑っているが、笑っていない。
見た目は派手だが、足音がしなかった。
俺は少し警戒した。
「昨日、草原で何か見たでしょ。教えてくれない? タダでいいから」
タダより高いものはない。
これは社会人一年目で学んだことだ。
「どなたですか」
「ミルヴァ。情報ギルドの者」
にこりと笑った。
愛想がいい。愛想が良すぎる人間には気をつける。これも社会人一年目で学んだことだ。
隣でマユミが口を開いた。
「情報ギルド? あそこ、結構いい値段取るんじゃないか」
「今日はサービス。昨日草原で何かを見た子たちに、お礼がしたくて」
「お礼?」
「そう。あなたたちがギルドに報告してくれた情報、うちも使わせてもらったの。だから等価交換」
俺は少し考えた。
情報を提供した。それが使われた。その対価として情報が返ってくる。
筋は通っている。
でも「タダ」というのが引っかかる。情報屋がタダで情報を出すとき、たいてい別の目的がある。
「何が目的ですか」
ミルヴァは少し目を細めた。
笑いが、本物になった気がした。
「顔を売っておきたいの。あなたたちに」
「俺たちに?」
「昨日無登録で来て、翌日には情報を共有してギルドに上げた子がいるって聞いてね。珍しいから」
俺は少し黙った。
マユミが横で「そんなに珍しいのか」と呟いていた。
「話を聞きましょう」
三人でギルドの端の席に座った。
ミルヴァはテーブルに地図を広げた。
草原の地図だった。かなり詳細だ。
「昨日あなたたちが報告した場所、ここ」
指で示した。
「このあたり、実は三日前から大型魔物の痕跡が出てた。足跡と、食い荒らされた草の跡」
「なぜギルドの掲示板に出なかったんですか」
「確認が取れなかったから。痕跡だけじゃ掲示できない、ってのがギルドのルール」
俺は地図を見た。
痕跡の場所と、昨日俺たちがいた場所。距離は約三十メートル。
近かった。
マユミが小さく息を吞んだ。
「何の魔物ですか」
「たぶんグラストア。草原に生息する中型の草食魔物。普段は人を襲わないけど、縄張りに入ると突進してくる」
「レベルは」
「だいたい8から12の間。Dランク推奨」
俺とマユミは、どちらもEランクだ。いや、俺は無登録だ。
昨日逃げて正解だった。
「情報、ありがとうございます」
「こっちこそ。ところで」
ミルヴァは俺を見た。
「あなた、面白い目をしてるね」
「面白い?」
「なんていうか……慣れた目。子供の目じゃない」
俺は少し間を置いた。
「よく言われます」
「どこから来たの」
「遠いところです」
「ふうん」
ミルヴァは笑った。追わなかった。
この人は、聞いてもムダだと判断したら引く。
賢い人間だ、と思った。
別れ際、ミルヴァが小さな紙を渡してきた。
「情報ギルドの場所。何か知りたいことがあれば来て。最初の一件は半額にするから」
「半額、というのはいくらですか」
「内容による。でも高くはしない」
俺は紙を受け取った。
「ありがとうございます」
「お礼はまだ早い。役に立ってから言って」
そう言って、ミルヴァは人混みの中に消えた。
足音がしなかった。
マユミが隣で腕を組んでいた。
「信用できそうか?」
「わかりません。でも情報の質は悪くなかった」
「タダで教えてくれたのは本当だったし」
「タダだったから来たんだと思います。最初の一件は顔を売るための投資だ」
マユミはしばらく考えた。
「……商人みたいな考え方するな」
「褒め言葉として受け取ります」
その日の採取は、草原の西側に切り替えた。
グラストアの痕跡から遠い方。ミルヴァの地図で確認した範囲。
効率は落ちたが、安全の方が優先だ。
マユミは文句を言わなかった。
昨日より少し、距離の取り方が変わった気がした。
採取をしながら、マユミが口を開いた。
「なあ、ヒコ」
「はい」
「なんで冒険者になろうと思ったんだ」
俺は手を止めなかった。薬草を一本引き抜きながら答えた。
「なろうと思ったわけじゃないです。ここに来たら、これしかなかった」
「他の仕事は考えなかったのか」
「考えました。でも今の俺にできることで、今すぐ金になることが採取だった」
「今すぐ、か」
「食えなかったら何もできないので」
マユミはしゃがんで薬草を探しながら、少し黙っていた。
「私も似たようなもんだ」
「そうですか」
「家を出て、金が要って、体しか使えることがなくて。気づいたら冒険者になってた」
俺は何も言わなかった。
聞き役に回った方がいいときと、言葉を返した方がいいときがある。
今は聞く方だ。
「別に、かっこいい理由なんてないんだよな、たいていの場合」
「そうですね」
「あんたも?」
「俺も、かっこいい理由はないです」
マユミはふっと笑った。
「正直だな」
「嘘をつくのが面倒なので」
昼を少し過ぎた頃、今日の分が揃った。
二人分。銅貨十六枚。
昨日と同じだ。でも今日は安全な範囲で動いた。それに情報も得た。
収穫は数字だけじゃない。
ギルドに戻って受け取りを済ませた。
帰り際、受付の女性に声をかけた。
「グラストアの情報、掲示板に出ましたか」
「ああ、今朝上げた。昨日の君たちの報告があったから動けた」
「ありがとうございます。確認だけしたかったので」
女性は少し目を細めた。
「君、名前は」
「ヒコです」
「覚えておくよ」
夕方、宿への帰り道。
マユミが急に立ち止まった。
「ヒコ」
「はい」
「今日のミルヴァの情報、お前はいつから警戒してた」
「声をかけられた瞬間からです」
「なんで。あの人、愛想よかったじゃないか」
「愛想が良すぎたので」
マユミは眉を寄せた。
「それって、愛想がいい人は信用できない、ってことか」
「そうじゃないです。愛想が目的になっている人と、愛想が手段になっている人の違いがある」
「どう違う」
「目的の人は愛想だけで終わる。手段の人は、その先に何かを持っている。ミルヴァさんは後者だと思います」
マユミはしばらく歩きながら考えていた。
「……難しいな」
「慣れます」
「何に慣れたらそういう考え方ができるようになるんだ」
俺は少し考えた。
「人を、たくさん見ることですかね」
嘘ではなかった。
三十年で、たくさんの人間を見てきた。良い人間も、悪い人間も、その中間も。
マユミはじっと俺を見た。
「あんた、ほんとに十五か」
「体は十五です」
マユミは何か言いかけて、やめた。
それ以上は聞かなかった。
夕食後、部屋に戻る前にマルティナに声をかけた。
「少し聞いてもいいですか」
「何だい」
「この街で、情報を集めるなら、どこが信用できますか」
マルティナはカウンターを拭きながら、少し考えた。
「情報ギルドは精度が高い。ただ、値段もそれなりだ」
「他には」
「ここ。この宿に来る冒険者たちが一番生の情報を持ってる。ただでね」
俺は頷いた。
「ありがとうございます」
「あんた、昨日今日来たばかりにしては、いろいろ考えてるね」
「生き延びたいので」
マルティナは少し笑った。
目尻に皺が寄った。
「それが一番賢い答えだよ」
部屋に戻って、今日の収支を確認した。
収入、銅貨十六枚。支出、銅貨五十枚。
まだ赤字だ。
でも今日は情報ルートを二本作った。ミルヴァと、マルティナ。お金では買えない資産だ。
現場でも同じだった。最初の一ヶ月は人間関係への投資期間だ。すぐ結果を求めない。でも怠けない。
布団に横になった。
今日も死ななかった。
マユミも死ななかった。
ミルヴァという人間と顔を繋いだ。マルティナとも少し話せた。
赤字だが、確実に前に進んでいる。
目を閉じた。
第三話「情報は金で買え、判断はタダじゃない」 了




