第二十一話「お古と、露店と、初めての買い物」
火曜日の朝。
食堂に降りたら、マユミが大きな布袋を持ったていた。
テーブルの上に置いてある。
ごとん、と重い音がした。
「何ですか、それ」
「お前にやる」
マユミは袋を俺の方に押した。
「中を見ろ」
開けた。
革鎧が入っていた。
軽い革鎧だ。胸当てと肩当てが一体になった形。それから革のブーツが一足。手甲が一組。
全部、使い込んだ跡がある。
でも、破れや大きな傷はない。
「マユミさんのですか」
「前に使ってたやつだ。今は新しいのを使ってるから、いらない」
俺は革鎧を手に取った。
軽かった。でも、しっかりしている。
「サイズが合いますか」
「お前より私の方が体が大きいから、少し大きいかもしれない。でも、まあ動けるくらいにはなるはずだ」
俺は胸当てを当ててみた。
確かに少し大きかった。
でも、紐で調整できる仕組みになっていた。
「……ありがとうございます」
「礼はいい。お前、ずっと普通の服で動いてただろ。さすがに心配だった」
「心配していたんですか」
「していた。採取だけならまだいいが、先週から討伐もやってるんだから、最低限の防具は必要だ」
俺は少し考えた。
そうだ。
俺はずっと、普通の服のままで動いていた。
採取のときも、討伐のときも。
スキルのことや収支のことは考えていたが、装備のことは後回しにしていた。
先週のゴブリン討伐のとき、マユミが傷を負った。
俺は何も防具を持っていなかった。
盲点だった。
「すみません。自分で用意すべきでした」
「まあ、お前はそういうところが抜けてるから」
「そういうところ、というのは」
「目の前のことは完璧に段取りを組むのに、自分のことは後回しにする」
俺は少し黙った。
正しかった。
現場でも同じだった。
部下の安全装備は徹底管理していたのに、自分のヘルメットを忘れたことが一度ある。
「……気をつけます」
「気をつけるだけじゃなくて、今日ちゃんとした装備を揃えろ」
「今日ですか」
「今日だ。昨日から管理職の契約も成立した。少し余裕が出てきたはずだろ」
俺は手持ちの銅貨を計算した。
今日の収支で、ある程度手元に残る。
ショートソードの安いやつなら銀貨一枚前後、と武器屋で確認していた。
「わかりました。今日、ショートソードを買いに行きます」
「私も付き合う」
「いいんですか」
「お前一人で行くと、値段だけ確認して帰ってきそうだから」
俺は少し笑った。
「……そうなるかもしれないです」
マルティナが厨房から顔を出した。
「装備を揃えるのか」
「はい。マユミさんからお古をもらって、今日ショートソードを買いに行きます」
「ついでに、定期市も覗いてみな。今日は火曜だから定期市の日だ。いろんなものが揃ってる」
「定期市ですか」
「週一回、大通りに露店が並ぶ。食べ物から道具まで何でもある。一度ちゃんと見ておいた方がいい」
「行ってみます」
「昼飯も外で食べてきな。今日は食堂を昼は休みにする」
マルティナはそれだけ言って、また引っ込んだ。
マユミが俺を見た。
「強制的に外に出されたな」
「そうですね」
「悪くないだろ。たまには街をちゃんと見て回れ」
「そうします」
コルテの定期依頼を午前中に終わらせた。
終わった頃、ちょうど大通りが賑やかになり始めていた。
定期市だった。
露店が並んでいた。
食べ物、道具、布、薬草、魔法道具、古着。
いろんな匂いが混ざっていた。
肉を焼く匂い。パンの匂い。香草の匂い。
「何か食べるか」
マユミが言った。
「昼飯にしましょう」
「何がいい」
「わかりません。どこがおすすめですか」
「あそこの串焼きが安い。銅貨二枚で二本」
マユミが指した方を見た。
露店の前に煙が上がっていた。
肉を焼く匂いがこっちまで来た。
「行きましょう」
串焼きを二本買った。
銅貨二枚。
一口食べた。
脂が滲み出た。塩が効いている。
「美味いな」
マユミが言った。
「美味いです」
二人で歩きながら食べた。
露店を眺めながら歩いた。
野菜を売っている露店。古着を並べた露店。香辛料の露店。
俺は少しずつ見ながら歩いた。
この街の日常が、ここにある。
転生してから二ヶ月近く、ほとんど宿と採取場所と倉庫の往復だった。
街をこうやってゆっくり歩いたのは、初めてかもしれない。
「なんか嬉しそうだな」
マユミが言った。
「街を歩くのが、こんなに楽しいとは思っていなかったです」
「冒険者は案外、街の中をちゃんと知らないことが多い。仕事場は街の外だから」
「それは損ですね」
「なんで」
「街を知っていれば、仕事の幅が広がります。どの露店で何が買えるか、誰がどこにいるか。情報が増えれば判断の精度が上がります」
マユミはしばらく俺を見た。
「……お前、本当にどこでも仕事の話をするな」
「すみません」
「謝るな。楽しそうだから、まあいい」
俺は少し笑った。
確かに、楽しかった。
串焼きを食べながら露店を見て、隣にマユミがいる。
これが普通の十五歳の日常だったのかもしれない。
五十年分の記憶を持っていても、こういう時間は新鮮だった。
道具屋の前で少し止まった。
採取道具を確認した。
鎌が売っていた。銅貨三十枚。
麻袋が五枚で銅貨十枚。
「鎌を買います」
「自前の鎌がなかったのか」
「今まで借り物でした。ガッツさんから借りていた分を返していなくて」
「借りっぱなしだったのか」
「気づいたのが遅くて……」
マユミは少し呆れた顔をした。
「今日全部返して来い」
「はい。今日返しに行きます」
鎌と麻袋五枚を買った。
銅貨四十枚。
地味な出費だが、必要な道具だ。
道具を揃えるのは基本だ。
現場でも、道具のない職人は仕事ができない。
次に、ギルドの裏の通りに向かった。
鍛冶ギルド非公認の武器屋だ。
前に値段だけ確認していた。
扉を開けた。
店主が顔を上げた。
四十代くらい。体格がいい。腕に古い傷跡がある。
「何を探してる」
「ショートソードを一本。安いものでいいです。逆手で持てるサイズで」
「逆手か。珍しいな」
「戦いが専門じゃないので、護身用です」
店主は棚を確認した。
いくつか出してきた。
「この三本だな。安い順に並べた」
一番安いのは銀貨一枚。刃が少し薄い。
真ん中は銀貨一枚と銅貨三十枚。少し厚みがある。
一番高いのは銀貨二枚。しっかりしている。
俺は三本を順番に手に取った。
重さを確認した。バランスを確認した。
一番安いものは少し軽すぎた。
真ん中が、手になじんだ。
「これはどのくらい持ちますか」
「普通に手入れすれば一年は余裕だ。お前みたいに護身用なら、もっと長く使える」
「砥石はありますか」
「ある。銅貨五枚」
「一緒に買います」
真ん中のショートソードと砥石を買った。
銀貨一枚と銅貨三十五枚。
店主がショートソードを布で包んでくれた。
「初めて剣を買うのか」
「はい」
「手入れの仕方は知ってるか」
「知りません。教えてもらえますか」
店主は少し驚いた顔をしたが、簡単に教えてくれた。
砥石の使い方。刃の向き。錆びない保管方法。
俺は聞きながら、頭に入れた。
知らないことは聞く。
それが五十年の癖だ。
店を出ると、マユミが言った。
「手入れの仕方まで聞いたのか」
「知らなかったので」
「素直だな」
「知ったかぶりをしても意味がないので」
マユミは少し笑った。
「それが一番いい」
帰り道、ガッツの仕事場に寄った。
城壁整備班の詰め所だ。
ガッツがいた。
「おう、ヒコ。久しぶりだな」
「ご無沙汰しています。鎌を返しに来ました」
借りていた鎌を出した。
ガッツは受け取りながら、俺を見た。
「返しに来たのか。忘れてたぞ、俺は」
「俺は忘れていませんでした。今日自前の鎌を買ったので、改めて返しに来ました」
ガッツはしばらく鎌を見た。
「手入れがしてあるな」
「借り物は丁寧に扱うようにしているので」
ガッツは少し笑った。
「変わらないな、お前は」
「そうですか」
「冒険者の契約も取ったって聞いたぞ。セリウスから」
「はい。Eランクですが」
「まあ、焦るな。お前のやり方でいい」
ガッツはそう言って、俺の革鎧を見た。
「その鎧、マユミのお古か」
「そうです。今日からつけています」
「少し大きいな。詰め所に革職人の知り合いがいる。調整してやろうか」
「いいんですか」
「一時間もあれば直せる。今日は時間あるか」
「あります」
「ならこっちに来い」
詰め所の中に入った。
革職人の男がいた。
俺の革鎧を見て、少し確認した。
「胸と肩の紐を調整して、腹の部分を少し詰めれば合う。一時間で終わる」
「よろしくお願いします」
革鎧を預けた。
待っている間、ガッツと少し話した。
「管理職の契約が成立しました」
「ドガンから聞いた。月銀貨十枚か。大したもんだ」
「ガッツさんのおかげです。最初に声をかけてもらったから、この街で顔を作れました」
「俺は声をかけただけだ。動いたのはお前だ」
「それでも、感謝しています」
ガッツは少し黙った。
「……いい仕事をしてくれ。それが礼になる」
「はい」
一時間後、革鎧が戻ってきた。
着てみた。
ぴったりだった。
「ありがとうございます」
革職人の男が言った。
「これ、良い鎧だぞ。使い込んであるが、革の質がいい。大事にしろ」
「はい」
「手入れはしてるか」
「これからします。教えてもらえますか」
また教わった。
革の手入れの仕方。乾燥に気をつけること。水に濡れたらちゃんと乾かすこと。
今日、いろいろ教わった。
知らないことが、まだたくさんある。
でも、聞けば教えてもらえる。
それが今日わかったことの一つだった。
宿に戻った。
マルティナに今日の買い物を報告した。
「鎌と麻袋と砥石とショートソードを買いました。革鎧はマユミさんのお古をもらって、ガッツさんのところで調整してもらいました」
マルティナは俺を一瞥した。
「いい買い物をしたな」
「ありがとうございます」
「革鎧の手入れは定期的にしろ。怠ると硬くなって動きにくくなる」
「革職人の方に教わりました」
「そうか。ちゃんとした人間に教わったなら大丈夫だ」
マルティナはそれだけ言って、夕食の準備を始めた。
今日、初めて街をゆっくり歩いた。
定期市で串焼きを食べた。
鎌と砥石とショートソードを買った。
革鎧を調整してもらった。
鎌をガッツさんに返した。
手入れの仕方を二つ覚えた。
銅貨換算で、今日の支出は大きかった。
でも、全部必要なものだった。
装備が揃うと、少し、冒険者らしくなった気がした。
まだEランクだ。
でも、形になってきた。
夕食の時間、マユミが装備を見た。
「革鎧、いい感じになったな」
「ガッツさんのところで調整してもらいました」
「似合ってるぞ」
「そうですか」
「うん。最初のぶかぶかより、ずっといい」
俺は少し笑った。
「ありがとうございます。マユミさんのお古がなければ、今日も普通の服でした」
「普通の服で討伐に行くな、本当に」
「肝に銘じます」
マルティナが夕食を出した。
今日はシチューだった。
久しぶりに肉が入っていた。
「なんですか、今日は」
「お前が初めてちゃんとした装備を揃えた日だろ。それくらいのご褒美はある」
マルティナは短く言って、また厨房に戻った。
マユミが俺を見た。
「マルティナさん、本当にいい人だな」
「そうですね」
「照れてるんだろうな、あの人も」
「たぶん」
三人で食べた。
シチューが美味かった。
肉が柔らかかった。
今日は、いい一日だった。
単純に、そう思った。
目を閉じた。
第二十一話「お古と、露店と、初めての買い物」 了




