第二話「隣の新人は俺より危ない」
翌朝、目が覚めた。
天井を見た。
昨日と同じ染みが三つ。
……ああ、夢じゃなかった。
起き上がって、手を見た。小さい手。昨日と同じ手。
慣れるものだな、と思った。
人間の適応力というのは、案外すごい。
食堂に降りると、マルティナが厨房から顔を出した。
「早いね」
「習慣です」
「何の習慣だい」
「朝礼が七時だったので」
マルティナは少し首を傾けたが、それ以上は聞かなかった。
パンと卵のスープが出てきた。昨日より少し豪華だった。
食べながら、今日の段取りを組んだ。
まず昨日と同じ薬草採取。できれば複数こなす。目標は収支をプラスに近づけること。マルティナへの借金を少しずつ返していく。シンプルだ。
シンプルな目標が一番達成しやすい。
食事を終えてギルドに向かった。
掲示板の前に立った。
緑の紙を確認する。昨日と同じ薬草採取。それから新しい紙が一枚増えていた。「草原の東端で薬草と青草を各三束ずつ」。報酬は銅貨十二枚。少し多い。
昨日より距離が遠いからだろう。
俺は少し考えた。
東端まで行ったことがない。距離もわからない。リスクが読めない依頼には手を出さない。今日は昨日と同じ範囲で、件数を増やす方が賢い。
昨日の紙と同じ内容のものを手に取った。
その瞬間。
別の手が、横から同じ紙を掴んだ。
振り返った。
昨日食堂にいた女だった。
革の軽鎧。短剣二本。茶色の髪。
近くで見ると、思ったより幼い顔をしていた。でも目は真剣だった。
俺と目が合った。
向こうは一瞬固まった。それから紙を見て、俺を見て、また紙を見た。
「……あんた、これ取ろうとしてたか」
「はい」
「私も同じ依頼取ろうとしてた」
「そうですね」
沈黙。
女は少し考える顔をした。
「一緒にやるか」
早かった。
ためらいがなかった。
俺は少し考えた。
見知らぬ相手と組むのはリスクがある。でも昨日から宿で顔を見ている。素性は不明だが、行動が荒っぽい感じはしない。それに二人の方が採取効率は上がる。安全面でも単独より増しだ。
「わかりました。よろしくお願いします」
「マユミ。Eランク」
「ヒコ。無登録です」
マユミは俺を頭のてっぺんからつま先まで一度見た。
「無登録って、昨日来たばっかりか」
「はい」
「初心者を連れるのか、私が……」
小声で何か言った。聞こえたが、聞こえなかったふりをした。
社会人の基本スキルだ。
南門を出た。
朝の草原は昨日より明るく見えた。露が光っている。
マユミは俺より少し前を歩いていた。歩くのが速い。
「待ってください」
俺は声をかけた。
「何」
「まず全体を見渡してから動きたいので。どの辺りに薬草が多いか、昨日の場所を教えてもらえますか」
マユミは振り返った。
「……そんなの歩きながら探せばいいじゃないか」
「探しながら歩くより、当たりをつけてから動く方が効率がいいので」
マユミはしばらく俺を見た。
変なやつを見る目だった。
でも否定はしなかった。
「……昨日は中央より少し南に多かった」
「ありがとうございます」
俺は草原全体を見渡した。
南よりの一帯。日当たりが良い。土が柔らかそうだ。薬草が育ちやすい条件に見える。
「そっちから始めましょう」
マユミは小さく頷いた。
採取を始めた。
マユミの動きは速かった。しゃがんで、引き抜いて、また次へ。迷いがない。
俺は遅かった。紙の絵と丁寧に照合する。根が切れないように引き抜く。一束ずつ確認する。
マユミが三束見つける間に、俺は一束だった。
「遅くないか」
「確認を省くと後で手戻りが出るので」
「手戻り?」
「やり直しのことです。雑にやって受け取り拒否されたら、時間が二度かかります」
マユミは少し黙った。
それから少しだけ丁寧に引き抜くようになった。
何も言わなかったが、俺も何も言わなかった。
そういうもんだ。
二人で黙々と動いた。
三十分ほどで、お互いの分が半分ずつ揃ってきた。
マユミが立ち上がって、ふと口を開いた。
「ヒコって、どこから来たんだ」
「遠いところです」
「家族は」
「いないです」
「ひとりで来たのか」
「まあ、そんなところです」
マユミは少し考えた。
「……なんか大人みたいな喋り方するな」
「よく言われます」
嘘だが、否定もできない。
マユミはそれ以上聞かなかった。
俺は少しだけ、彼女を見た。
十七か十八。細い肩。でも動きに無駄がない。鍛えている体だ。短剣の扱いも、素人ではない。
ただ、判断が速すぎる。
良く言えば決断力がある。悪く言えば、考える前に体が動く。
現場で言えば、ベテランの直感で動くタイプだ。若いうちはそれで結果を出す。でも一度大きく失敗すると、立て直しが利かない。
うちの班にもいた。そういう奴が。
四束目を見つけた頃だった。
マユミが草むらに向かって歩き始めた。
少し離れた場所。茂みが深い。
「待ってください」
俺は声をかけた。
「何。あっちにも生えてそうだろ」
「茂みの中は見通しが悪い。何がいるかわからない」
「このあたり、危険な魔物は出ないって聞いたぞ」
「聞いた、というのはいつの情報ですか」
マユミは止まった。
振り返った。
「……昨日」
「誰からですか」
「ギルドの掲示板」
「更新はいつ」
沈黙。
俺は続けた。
「情報には鮮度があります。昨日の掲示板が今日も正確とは限らない。茂みの中で何かと鉢合わせしたとき、逃げ場はありますか」
マユミは茂みを見た。
それから俺を見た。
「……お前、本当に無登録か」
「本当です」
「なんでそんなこと考えられるんだ」
「昔の仕事の癖です」
マユミはしばらくそこに立っていた。
それから、戻ってきた。
「……茂みには入らない」
「ありがとうございます」
俺は礼を言った。
命令じゃない。お願いをして、相手が判断して、動いた。それが正しいやり方だ。
残りの束を探していたとき、草原の奥で音がした。
昨日のリスとは違う音だった。
重い。低い。地面を踏む音。
俺は体ごと止まった。
マユミも止まった。
音の方向を見た。
五十メートルほど先。草が揺れている。大きい。小動物じゃない。
俺には何がいるかわからなかった。
でもマユミの顔が変わった。
血の気が引いた、というほどではない。でも目が鋭くなった。体重が前に移動した。
戦う気だ。
俺はマユミの腕を掴んだ。
「逃げましょう」
「でも、まだ遠い。様子を見れば――」
「今は遠い。近づいてからじゃ遅い」
「私は短剣が――」
「俺が戦えない」
マユミは一瞬、俺を見た。
俺は続けた。
「俺が足手まといになります。あなたが戦っている間、俺は動けない。それは作戦として成立しない」
三秒だった。
マユミは舌打ちした。小さい舌打ちだった。
「……行くぞ」
二人で走った。
門まで走り切った。
振り返った。
何も追ってきていなかった。
草原は静かだった。
俺は息を整えた。どくん、どくん、と心臓が鳴っている。
子供の体は正直だ。
マユミは息一つ乱していなかった。鍛えている。
「何だったんだろうな」
「わかりません。でも今日のところは関係ない」
「報告はしておいた方がいいか」
俺は少し考えた。
「した方がいいですね。ギルドに情報を上げれば、次に同じ場所に行く人間が助かる」
マユミは少し意外そうな顔をした。
「……そういう考え方、するんだな」
「当たり前じゃないですか」
現場では当たり前だった。危険情報は共有する。隠した奴が一番悪い。
ギルドに戻って依頼を完了させた。
二人分、銅貨八枚ずつ。
それとは別に、受付の女性に草原の件を報告した。大きな音と草の揺れ。位置と時間。
女性はメモを取りながら聞いた。
「よく報告してくれた。新人だと見て見ぬふりする奴も多い」
「損ですから、それは」
「損?」
「情報を隠しても自分が得をするわけじゃない。共有すれば全体の安全が上がる。回り回って自分にも返ってくる」
女性はしばらく俺を見た。
「……本当に無登録か、お前」
「本当です」
隣でマユミが小さく笑った。
帰り道、並んで歩いた。
「明日も組むか」
マユミが聞いた。唐突だった。
俺は少し考えた。
彼女と組むメリット。採取効率が上がる。戦闘対応ができる。情報交換ができる。
デメリット。判断のズレが生じることがある。今日のように。
でも今日、マユミは俺の判断に従った。聞く耳はある。
「お願いできますか」
「決まりだ」
それだけだった。
握手もなかった。契約書もなかった。
でも、なんとなく決まった感じがした。
現場のチームというのは、たいていそうやって始まる。
夕方、宿に戻った。
今日の収支を確認した。
収入、銅貨八枚。
マルティナへの借金は続いている。でも昨日より少しだけ状況が良くなった。
マユミという戦闘できる相方ができた。情報を共有するという習慣をギルドに認めてもらった。
数字にならない収穫は、確実にある。
明日もやることは同じだ。
覚えて、確認して、一個ずつ潰す。
借金は必ず返す。
目を閉じた。
第二話「隣の新人は俺より危ない」 了




