第32話 査察官の素性
相手を知ることは、備えの第一歩だ。
名前が分かれば、立場が分かる。
立場が分かれば、目的が読める。
目的が読めれば、対応できる。
――まず、相手を知る。
間違えれば、この領地は終わる。
査察まで一週間になった日の夕方だった。
ミルヴァが戻ってきた。
馬を繋いで、まっすぐ俺のところに来た。
「査察官の名前が分かった」
「何という人ですか」
「エルヴィン・ダウス。王都の行政官だ。
四十代。堅実な仕事をする人間として知られている」
「問題のある人物ですか」
「それ自体は、ない。
ただし、もう一つ分かったことがある」
ミルヴァは少し間を置いた。
「エルヴィン・ダウスは、ヴァルク・レオンハルトの知り合いだ」
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ヴァルク・レオンハルト。
その名前は、初めて聞いた。
「誰ですか」
「辺境統治を担う男爵だ。
この地方の旧来貴族の中では、実務派として知られている。
ただし」
「ただし」
「完成されたものを奪うのが得意な男だ。
しかも、奪われた側はそれに気づかない。
自分では作らない。作られたものを、合法的に手に入れる」
俺は少し考えた。
「ベルン商会と繋がりがありますか」
「直接の繋がりは確認できていない。
ただし、ベルン商会が情報を流す先の貴族として、ヴァルクの名前が候補に挙がっている」
「候補、ですか」
「確証はない。ただし、可能性が高い」
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全員を集めた。
「査察官はエルヴィン・ダウスという行政官です。
仕事は堅実な人物ですが、ヴァルク・レオンハルトという男爵の知り合いです」
「そのヴァルクという男が、ベルン商会と繋がっている可能性がある」
アーヴィンが言った。
「可能性の段階です。ただし、査察官が来る目的が、単純な確認だけではないかもしれない」
「どういうことだ」
「ヴァルクが査察官を通じて、この領地の詳細な情報を集めようとしている可能性があります。
ベルン商会の偵察では把握できなかった部分を、公式の査察で補う」
「合法的な偵察か」
ミルヴァが言った。
「そうなります」
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バルドが腕を組んだ。
「どうする」
「方針は変えません。全部、見せます」
「ヴァルクの手先かもしれない人間にも、か」
「査察官はあくまで王国の行政官です。
こちらが隠せば、後で問題になります。
隠すより、全部見せて、堂々としている方がいい」
「それで、情報が漏れたらどうする」
「漏れることを前提に、準備します」
情報は止められない。
なら、流れる先を決める
全員が俺を見た。
「査察官が持ち帰る情報の中に、こちらが伝えたいものを混ぜます。
この領地は豊かになっているが、防衛は盤石だ。
攻めても得るものがない、と思わせる」
「攻めさせない構造を、情報でも作る」
「そうです」
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ガッツを呼んだ。
「査察官が来るまでに、一つ頼みたいことがあります」
「何だ」
「土塁の一部を、実際より高く見せる細工ができますか。
防衛力を誇示したい」
ガッツは少し考えた。
「高く見せるだけなら、木材で仮の構造物を作れる。
遠くから見れば、本物と区別がつかない。
影の落ち方まで合わせれば、まず見抜けない」
「査察官が近くで確認した場合は」
「近づいてもらわなければいい。
案内する側が、遠くから見せる形にすれば」
「バルドさんに頼みます」
「二日あれば作れる」
「お願いします」
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リアが俺のところに来た。
「施設の説明資料を作りました」
受け取った。
丁寧な字で、整然と書いてあった。
「地脈管理施設の概要。設置時期は推定三百年以上前。
現在は専任の管理者のもと、安全が確保されている。
地上の魔力濃度を安定させる機能を持ち、領地の農業生産に寄与している」
「簡潔でいいですね」
「事実だけを書きました。
ただし、施設の深さと守護者の詳細は省きました」
「それで十分です」
リアは少し間を置いた。
「査察官がベルン商会と繋がった人間の知り合いなら、師匠の件とも無関係ではないかもしれません」
「同じことを考えていました」
「査察の場で、何か引き出せますか」
「急がなくていいです。
今は、査察を無事に終わらせることが優先です」
「分かりました」
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コリンが結界の調整をした。
「査察官が来る間、施設の外部結界を少し弱めます」
「なぜですか」
「強すぎる結界は、かえって目立ちます。
自然な強度に見せた方が、説明がしやすい」
「施設の結界を管理している、という事実は残しますか」
「残します。ただし、軍事用の結界ではなく、管理用の結界として見せます」
「分かりました。コリンさんの判断に任せます」
コリンは少し考えた。
「……ヒコさん、一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「査察官が、問題ありと判断した場合、どうなりますか」
「最悪の場合、領地の統治権に疑義が生じます」
「それは、どういう意味ですか」
「俺がここを追い出される、ということです。
この領地ごと、別の人間に渡る可能性もあります」
コリンは少し黙った。
「……そうならないように、します」
「お願いします」
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前日、サヤが来た。
「査察の件、聞きました」
「ミルヴァさんから聞きましたか」
「はい。私は、どうすればいいですか」
「普通にしていてもらえれば大丈夫です。
ただし、査察官が林の方に近づいた場合、対応をお願いしたいです」
「追い払う、ということですか」
「追い払うのではなく、管理者として対応してください。
林は、地脈管理施設の地上部分です。
無断で立ち入ると、施設の安定に影響する可能性があります。
それを、穏やかに伝えてもらえれば」
「穏やかに、ですか」
「できますか」
サヤは少し間を置いた。
「……努力します」
「十分です」
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査察の前夜。
全員で最終確認をした。
案内の順番。
見せる場所と、見せない場所。
質問された場合の答え方。
バルドが言った。
「村人には、普通にしていれば大丈夫だと伝えてある。
ただし、一つだけ言っておいた」
「何ですか」
「正直に答えろ、と言った。
聞かれたことには、正直に答えろ」
「それで、大丈夫ですか」
「正直に答えて困ることは、何もないだろう」
俺は少し考えた。
「そうですね」
「農地が育っている。水が通った。魔物が来たが、守れた。
これが全部、本当のことだ。
本当のことを言って、困る理由がない」
バルドは腕を組んだ。
「……あんたのやり方は、正直すぎて怖いときがある。
だが、正直にやってきたから、今がある」
「現場仕込みなので」
「その言葉、何度聞いたか分からないな」
「口癖なので」
バルドは短く笑った。
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夜、一人で領地を見渡した。
農地に、月明かりが当たっていた。
芽が、風に揺れていた。
水路の音が、遠くで聞こえた。
土塁の向こうに、星が見えた。
星見の地、という名前の通りだった。
《可視化》を広げた。
全員の色が見えた。
安定していた。
迷いのない色だ。
ガッツの色。
ゾルドの色。
エルナの色。
リクの色。
カインの色。
ルナの色。
そして、林の奥にサヤの色。
全員、ここにいる。
ハンスの色も見えた。
まだ、揺れていた。
答えが出ていない色だ。
――現場は、人の数だけ色がある。
全部の色を見ながら、全体を動かす。
それが、領主の仕事だ。
明日、査察官が来る。
見せられるものを、作ってきた。
それだけだ。
だから、揺れない。
第32話 査察官の素性 了
【次回】
査察官のエルヴィン・ダウスが、村に入ってきた。
最初に見たのは、農地の前の掲示板だった。
しばらく読んで、俺を見た。
「領主自ら、農業をやるのですか」
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【領地収支】
・所持金 :金貨266枚(+196枚)
・収入 :冒険者固定給二ヶ月分 金貨60枚・勲爵士給与二ヶ月分 金貨24枚・報奨金 金貨100枚・魔物素材換金分(累計) 金貨12枚
・支出 :土塁偽装構造物の材料費 金貨2枚・今月の建設班・村人日当(概算) 金貨10枚
※収入は今月ランデルで受取済みとして計上
【発展進捗】
・防衛 :96%(土塁に偽装構造物を追加・遠目には本物と区別がつかない高さに)
・食料 :56%(農地順調・収穫まで秋を待つ)
・水 :83%(変化なし)
・住居 :40%(変化なし)
・インフラ:32%(変化なし)
今日の進捗:査察官がエルヴィン・ダウスと判明。ヴァルク・レオンハルトとの繋がりを確認。査察対応の最終準備完了。施設の説明資料をリアが作成。土塁の偽装構造物をガッツが設置。全員の役割を確認。ハンスの色、まだ揺れている。




