第7話 林から出てきた者
交渉には、二種類ある。
力で迫るものと、情報で迫るものだ。
――どちらが怖いかは、言うまでもない。
三日目の朝だった。
外堀の第一区画が、形になり始めていた。
幅二メートル。深さ一メートル。
まだ浅い。
だが、線になった。
線になった瞬間、現場の空気が変わる。
「掘っている」から「作っている」へ。
村人の鍬の動きが、わずかに変わった。
力の入り方が違う。目的が共有された動きだ。
──────────────────────────────────────
ミルヴァが走ってきた。
二度目だ。
ミルヴァが走るとき、話は急ぐ。
「南の林から、人が出てきた。一人。こちらに向かっている」
「武装していますか」
「していない。手を見せて歩いている」
敵意は見せていない。
「攻撃してきましたか」
「ない。ただ――」
「ただ?」
「迷いがない。最初から、ここに来るつもりで歩いている」
俺は鍬を置いた。
「全員に伝えてください。作業は継続。警戒だけ上げる。
騒がないように」
「了解」
──────────────────────────────────────
女だった。
三十代後半。
長い黒髪。装飾の少ない装束。
歩き方に無駄がない。
《可視化》を展開する。
――読めない。
情報が入ってくる。
だが、整理されない。
意図的に、錯乱されている。
そして、もう一つ。
足音と、地面への接触が、わずかにずれている。
――踏んでいるのに、踏んでいない。
「止まってください」
俺は前に出た。
女は素直に止まった。
「ヒコ・フォルティス様ですね」
「そうです。あなたは」
「お話ししたいことがあって参りました」
名乗らない。
「名前を聞かせてもらえますか」
「必要になれば、お伝えします」
穏やかな声。
だが、温度がない。
──────────────────────────────────────
アーヴィンが隣に立った。
無言。
剣に手をかけている。
女はそれを見た。
「抜かなくて結構です。逃げませんし、攻撃もしません」
「信用する理由がない」
「そうですね」
女はあっさりと頷いた。
「では、理由を一つ」
懐から、石を取り出した。
青白い光。
――見覚えがある。
アーヴィンの外套の内側。
レインの遺留品と、同じ色。
──────────────────────────────────────
空気が変わった。
「それを、どこで手に入れた」
アーヴィンの声は低かった。
「持ち主から預かりました」
「名前は」
「レイン」
沈黙。
「あなた方が来ることは、知っていました。
ただ、こちらから接触するタイミングを測っていました」
「準備、ですか」
「はい。そのための準備です」
──────────────────────────────────────
判断を分ける。
今、決められること。
決められないこと。
「話を聞かせてください。場所を変えます」
「構いません」
「ミルヴァさん、同席を。アーヴィンさんとマユミさんは外で」
全員が頷いた。
──────────────────────────────────────
集会所。
女は静かに座った。
姿勢が崩れない。
「何者ですか」
「この林を、十年前から管理している者です」
「管理?」
「魔族の拠点化を防ぐため、先に押さえました。
空間干渉は、私のものです」
繋がる。
林。
歪み。
道。
「東の道は」
「東の道は、魔族が作りました。
私は観察をしていました」
「なぜ、これまで接触しなかったのですか」
「接触する価値のある相手がいなかったためです」
否定できない。事実として言っている。
──────────────────────────────────────
ミルヴァが割り込む。
「一つ聞く。井戸の罠は」
「いいえ。あれは魔族です。
把握はしていましたが。
私が解除する前に、あなた方が先に解除しました」
ミルヴァが俺を見た。
俺も同じことを考えていた。
時間軸が一致する。
「レインについて、教えてもらえますか」
「三年前に会いました。石を預かりました」
石が机に置かれる。
「“次の可視化持ちに渡せ”と」
三年前。
レインが消えたのは、それより前だ。
「レインは今、どこにいますか」
「分かりません。その後、会っていません」
色が揺れない。
嘘ではない。
──────────────────────────────────────
話は一時間ほど続いた。
全部は話してくれなかった。
だが、嘘は言っていないと思う。
《可視化》を通して見ると、色が安定している。
隠している部分はある。
ただ、それは意図的な隠蔽ではなく、まだ話せない事情がある色だ。
「一つだけ聞かせてください」
「はい」
「なぜ、今日ここに来たのですか。
あなたの言う通り、タイミングを測っていたなら、理由があるはずです」
女は少し間を置いた。
「魔族が、動き始めています。
観察だけで済む段階が、終わりに近づいています」
「どれくらいの時間がありますか」
「一週間。長くて、十日です」
──────────────────────────────────────
女は名前を、最後まで名乗らなかった。
立ち上がる。
その瞬間、影が一拍遅れて動いた。
やはり、ずれている。
「また来ます。その時に、もう少し話せます」
「分かりました」
女は林へ戻っていった。
音が、途中で消えた。
──────────────────────────────────────
全員を集めた。
「状況を整理します。
林を管理している人物がいる。
それは魔族を観察している。
一週間から十日で、魔族が動く可能性がある」
「信用するのか」
マユミが聞く。
「完全には、できません。ただ、嘘はついていなかった」
「なら動くのか」
「動きます。ただし、その情報だけを根拠にはしません。
防衛の準備は、元々急いでいます。
理由が増えただけです」
アーヴィンが短く言った。
「レインを知っている」
「はい。それは、確かです」
アーヴィンは何も言わなかった。
ただ、外套の内側に手を当てた。
──────────────────────────────────────
情報は、多ければいいわけじゃない。
整理できない情報は、判断を鈍らせる。
今日入ってきた情報の中で、確かなことは三つだ。
魔族が動き始めている。
一週間から十日。
林には魔族を観察する存在がいる。
それだけを軸に、段取りを組み直す。
――現場が動くなら、こちらも動く。
俺は地図を広げた。
外堀の進捗。残りの距離。必要な人手と日数。
計算した。
一週間では、間に合わない。
だとすれば、間に合わない前提で動くしかない。
――間に合わなくても、死なない現場を作る。
それが、段取りだ。
第1章 領地初視察 了
第7話 林から出てきた者 了
三日目の朝だった。
外堀の第一区画が、形になり始めていた。
幅二メートル。深さ一メートル。
まだ浅い。
だが、線になった。
線になった瞬間、現場の空気が変わる。
「掘っている」から「作っている」へ。
村人の鍬の動きが、わずかに変わった。
力の入り方が違う。目的が共有された動きだ。
──────────────────────────────────────
ミルヴァが走ってきた。
二度目だ。
ミルヴァが走るとき、話は急ぐ。
「南の林から、人が出てきた。一人。こちらに向かっている」
「武装していますか」
「していない。手を見せて歩いている」
敵意は見せていない。
「攻撃してきましたか」
「ない。ただ――」
「ただ?」
「迷いがない。最初から、ここに来るつもりで歩いている」
俺は鍬を置いた。
「全員に伝えてください。作業は継続。警戒だけ上げる。
騒がないように」
「了解」
──────────────────────────────────────
女だった。
三十代後半。
長い黒髪。装飾の少ない装束。
歩き方に無駄がない。
《可視化》を展開する。
――読めない。
情報が入ってくる。
だが、整理されない。
意図的に、錯乱されている。
そして、もう一つ。
足音と、地面への接触が、わずかにずれている。
――踏んでいるのに、踏んでいない。
「止まってください」
俺は前に出た。
女は素直に止まった。
「ヒコ・フォルティス様ですね」
「そうです。あなたは」
「お話ししたいことがあって参りました」
名乗らない。
「名前を聞かせてもらえますか」
「必要になれば、お伝えします」
穏やかな声。
だが、温度がない。
──────────────────────────────────────
アーヴィンが隣に立った。
無言。
剣に手をかけている。
女はそれを見た。
「抜かなくて結構です。逃げませんし、攻撃もしません」
「信用する理由がない」
「そうですね」
女はあっさりと頷いた。
「では、理由を一つ」
懐から、石を取り出した。
青白い光。
――見覚えがある。
アーヴィンの外套の内側。
レインの遺留品と、同じ色。
──────────────────────────────────────
空気が変わった。
「それを、どこで手に入れた」
アーヴィンの声は低かった。
「持ち主から預かりました」
「名前は」
「レイン」
沈黙。
「あなた方が来ることは、知っていました。
ただ、こちらから接触するタイミングを測っていました」
「準備、ですか」
「はい。そのための準備です」
──────────────────────────────────────
判断を分ける。
今、決められること。
決められないこと。
「話を聞かせてください。場所を変えます」
「構いません」
「ミルヴァさん、同席を。アーヴィンさんとマユミさんは外で」
全員が頷いた。
──────────────────────────────────────
集会所。
女は静かに座った。
姿勢が崩れない。
「何者ですか」
「この林を、十年前から管理している者です」
「管理?」
「魔族の拠点化を防ぐため、先に押さえました。
空間干渉は、私のものです」
繋がる。
林。
歪み。
道。
「東の道は」
「東の道は、魔族が作りました。
私は観察をしていました」
「なぜ、これまで接触しなかったのですか」
「接触する価値のある相手がいなかったためです」
否定できない。事実として言っている。
──────────────────────────────────────
ミルヴァが割り込む。
「一つ聞く。井戸の罠は」
「いいえ。あれは魔族です。
把握はしていましたが。
私が解除する前に、あなた方が先に解除しました」
ミルヴァが俺を見た。
俺も同じことを考えていた。
時間軸が一致する。
「レインについて、教えてもらえますか」
「三年前に会いました。石を預かりました」
石が机に置かれる。
「“次の可視化持ちに渡せ”と」
三年前。
レインが消えたのは、それより前だ。
「レインは今、どこにいますか」
「分かりません。その後、会っていません」
色が揺れない。
嘘ではない。
──────────────────────────────────────
話は一時間ほど続いた。
全部は話してくれなかった。
だが、嘘は言っていないと思う。
《可視化》を通して見ると、色が安定している。
隠している部分はある。
ただ、それは意図的な隠蔽ではなく、まだ話せない事情がある色だ。
「一つだけ聞かせてください」
「はい」
「なぜ、今日ここに来たのですか。
あなたの言う通り、タイミングを測っていたなら、理由があるはずです」
女は少し間を置いた。
「魔族が、動き始めています。
観察だけで済む段階が、終わりに近づいています」
「どれくらいの時間がありますか」
「一週間。長くて、十日です」
──────────────────────────────────────
女は名前を、最後まで名乗らなかった。
立ち上がる。
その瞬間、影が一拍遅れて動いた。
やはり、ずれている。
「また来ます。その時に、もう少し話せます」
「分かりました」
女は林へ戻っていった。
音が、途中で消えた。
──────────────────────────────────────
全員を集めた。
「状況を整理します。
林を管理している人物がいる。
それは魔族を観察している。
一週間から十日で、魔族が動く可能性がある」
「信用するのか」
マユミが聞く。
「完全には、できません。ただ、嘘はついていなかった」
「なら動くのか」
「動きます。ただし、その情報だけを根拠にはしません。
防衛の準備は、元々急いでいます。
理由が増えただけです」
アーヴィンが短く言った。
「レインを知っている」
「はい。それは、確かです」
アーヴィンは何も言わなかった。
ただ、外套の内側に手を当てた。
──────────────────────────────────────
情報は、多ければいいわけじゃない。
整理できない情報は、判断を鈍らせる。
今日入ってきた情報の中で、確かなことは三つだ。
魔族が動き始めている。
一週間から十日。
林には魔族を観察する存在がいる。
それだけを軸に、段取りを組み直す。
――現場が動くなら、こちらも動く。
俺は地図を広げた。
外堀の進捗。残りの距離。必要な人手と日数。
計算した。
一週間では、間に合わない。
だとすれば、間に合わない前提で動くしかない。
――間に合わなくても、死なない現場を作る。
それが、段取りだ。
第1章 領地初視察 了
第7話 林から出てきた者 了




