第十五話「ヒコの週黒字と、初めての夜」
月曜日の朝。
目が覚めた。
今週こそだ、と思った。
先週は四十八枚足りなかった。
今週は同じ轍を踏まない。
昨日の夜、段取りを組んだ。
定期依頼は変わらない。月曜と水曜のドガン、火曜と木曜のコルテ。
問題は採取だ。
先週の採取収入が一日平均十八枚前後だった。
これを二十五枚以上に上げる。
川沿いの採取ルートをもう少し伸ばす。先週は安全を優先して短めに切り上げていた。今週は少し奥まで入ってみる。
それに加えて、日曜も動く。先週は休んだが、今週は採取一件だけ入れる。
無理ではない。一件だけだ。
ただし、リザードマンの出没域には近づかない。
それだけだ。
食堂に降りた。
マユミがいた。
今週も表情が明るかった。
「おはよう。今週もやるか」
「やります。今週こそ黒字にします」
「私は先週黒字だったから、今週は黒字を維持しながらもう少し上積みする」
「上積みですか」
「黒字になったら終わりじゃない。もっと稼げれば、もっと早く借金が返せる」
俺は少し止まった。
「マユミさん、借金があるんですか」
「ない。でもお前の借金が減れば、マルティナさんが楽になる」
俺は言葉に詰まった。
マユミは続けた。
「マルティナさん、お前のために立て替えてくれてる。それはあの人の善意だ。早く楽にしてあげたい」
「それは俺が返すべきものです」
「わかってる。でも、二人で稼いで、お前の収支が早く黒字になれば、返済が早まる。そういう話だ」
俺はしばらくマユミを見た。
こういうことをさらっと言う。
「……ありがとうございます」
「お礼はいい。飯食うぞ」
マルティナが厨房から顔を出した。
「今週も気合いが入ってるな」
「今週こそ黒字にします」
「達成したら肉を出す。約束だ」
「楽しみにしています」
マルティナは少し笑って、また引っ込んだ。
月曜のドガンの仕事をこなした。
今週はルークが月曜と水曜の両方に入ることになっていた。
先週提案した変更だ。
動きを覚えた人間が続けて入る方が、説明の時間が減る。
一時間半で終わった。先週より三十分早い。
午後の採取。
川沿いを少し奥まで入った。
スキルで周囲を確認した。
大きな気配はない。
五十メートルまで入った。
薬草が先週より密度が高かった。
一時間で薬草八束。三十枚。
先週の同じ場所で二十八枚だったから、少し上がった。
月曜の合計、六十五枚。
火曜日。
コルテの定期依頼と、川沿りの奥の採取。
マユミと一緒に川沿いを歩いた。
マユミが前。俺が後ろ。
「今日は何もいない」
「俺のスキルでも同じです」
「じゃあ進もう」
六十メートルまで入った。
薬草が豊富だった。
川沿いの奥は、ローテーションが効いていた。
先週入らなかった分、また育っていた。
十四束が揃った。
「先週より多いな」
「ローテーションの効果が出てきました」
「場所を分けるのが正解だったな」
「今のところは、ですが」
コルテの定期二十枚と採取三十五枚。合計五十五枚。
水曜日。
ドガンの仕事。
ルークが月曜に続いて来ていた。
動きの説明がほぼ要らなかった。
一時間で終わった。
「早くなったな」
ドガンが言った。
「ルークが動きを完全に覚えてくれました」
「先週提案した薬草の管理方法、幹部に評判が良かった」
「うまく機能してよかったです」
「また何か気づいたことがあれば言ってくれ」
「わかりました」
ドガンは報酬を渡しながら、少し間を置いた。
「お前、この街に長くいるつもりか」
「……あるかもしれないです」
「そうか」
ドガンは短く頷いた。
「なら、もう少し大きい話を持ってくるかもしれない。そのときはまた話す」
「はい」
大きい話、か。
今は深追いしない。来たときに考えればいい。
午後の採取と合わせて、六十枚。
木曜日。
コルテの定期と、西草地の採取。
マユミと合流して西草地に入った。
スキルで周囲を確認しながら進んだ。
リザードマンの気配はなかった。
でも、草むらの奥に何かがいた。
止まった。
マユミも止まった。
「何かいるか」
「います。でも……小さい。元気がない」
マユミがゆっくり近づいた。
草の陰を確認した。
「ヒコ、来い」
行くと、草の陰に小動物がいた。
リスに似た生き物だ。転生初日に草原で見たのと同じ種類だった。
体が小さく、毛並みが悪かった。
「子供か」
「たぶん。親とはぐれたのかもしれない」
マユミはしばらく見ていた。
それから、革袋から干し肉を一切れ出した。
地面に置いた。
小動物は警戒しながら、少しずつ近づいた。
干し肉を匂って、食べ始めた。
「腹が減ってたんだな」
「マユミさん、干し肉を持ち歩いてるんですか」
「行動食だ。いつも少し持ってる」
小動物は食べ終わると、草むらに消えた。
マユミは少し目を細めて、その後を見ていた。
「生きろよ」
小さい声だった。
俺は何も言わなかった。
マユミにはこういう部分がある。
直感で動いて、感情を表に出さないようにしているが、こういうところで滲み出る。
「行きましょう」
「うん」
二人で採取を再開した。
今日の西草地は当たりだった。
いつもより薬草の群生が多かった。
一時間半で二十五枚分を超えた。
コルテの定期二十枚と採取四十五枚。合計六十五枚。
金曜日。
ギルドの補助依頼と、川沿いの採取。
川沿いは先週より薬草の量が回復していた。
ローテーションの効果だ。
報酬、五十枚。
土曜日。
採取を二件。
南草原と川沿いを組み合わせた。
今週は体が慣れてきていた。
無理をせず、でも確実に動いた。
報酬、四十五枚。
日曜日。
本来なら休む日だ。
でも今週は一件だけ入れると決めていた。
南草原の薬草採取、一件。
二時間で終わらせる。午後は休む。
それだけだ。
報酬、二十五枚。
体が少し重かった。
でも、無理ではなかった。
帰り道、空が橙色に染まっていた。
一週間、動き続けた。
今週は段取り通りだった。
数字を確認するのは宿に戻ってからだ。
日曜日の夕方。
宿に戻って、帳簿を開いた。
今週の収支を計算した。
月曜、六十五枚。
火曜、五十五枚。
水曜、六十枚。
木曜、六十五枚。
金曜、五十枚。
土曜、四十五枚。
日曜、二十五枚。
合計、三百六十五枚。
……少し止まった。
もう一度足した。
六十五、五十五、六十、六十五、五十、四十五、二十五。
三百六十五枚。
週生活費、約三百五十枚。
差し引き、プラス十五枚。
……届いた。
俺は帳簿を閉じた。
少し、天井を見た。
十五枚の黒字だ。
大きな数字じゃない。
でも、プラスはプラスだ。
先週は四十八枚足りなかった。
今週は川沿いの奥を開拓して、日曜も動いた。
その分が積み重なった。
深く息を吸った。
吐いた。
段取りを組んで、一個ずつ潰した。
その結果が出た。
それだけのことだ。
でも、それが一番気持ちいい。
食堂に降りると、マユミがいた。
俺の顔を見て、すぐわかったらしかった。
「どうだった」
「十五枚の黒字でした」
マユミは少し間を置いた。
「……黒字か」
「はい。初めてです」
「そうか」
マユミは少し目を細めた。
「私も今週は四十枚プラスだった」
「それはよかったです」
「二人とも黒字だな」
マユミはしばらく俺を見た。
それから、椅子を引いて座った。
「来週はどうする」
「採取の効率をもう少し上げる方法を考えます。川沿いの奥をもう少し開拓できるかもしれない」
「私も手伝う」
「ありがとうございます」
「お礼はいい」
マルティナが厨房から顔を出した。
俺の顔を見た。
マユミの顔を見た。
何も言わなかった。
でも、しばらくして戻ってきた。
テーブルにミルクを二つ置いた。
「飲め」
それだけだった。
また厨房に戻った。
俺はミルクを一口飲んだ。
温かかった。
マユミも飲んだ。
「マルティナさん、何も言わないけど、全部わかってるんだな」
「そうですね」
「すごい人だ」
「本当に」
二人でしばらく黙って飲んだ。
悔しさが、少し落ち着いた。
感情は体の中に入れておくものじゃない。
出して、整理して、次に使う。
それが俺のやり方だ。
しばらくして、マユミが口を開いた。
「ヒコ」
「はい」
「先週、昔の知り合いに会った話、覚えてるか」
「はい」
「その後、少し考えてた」
「うん」
「帰るかどうか、ということじゃなくて……なんで冒険者になりたかったのか、ということを」
俺は黙って聞いた。
「小さい頃、街に冒険者が来たことがあった。Bランクの二人組だった。魔物を倒して、みんなに感謝されて、かっこよかった」
「それで憧れたんですね」
「うん。でも今の私は、採取をして、逃げて、ギルドに報告して。あの人たちとは全然違う」
マユミは少し下を向いた。
「かっこよくない」
俺は少し考えた。
「マユミさん」
「うん」
「先週、西草地で小動物に干し肉をあげていましたよね」
マユミは顔を上げた。
「……それと関係あるか」
「あります。俺が見ているマユミさんは、かっこよくないとは思わない」
「干し肉をあげるのが、かっこいいのか」
「それだけじゃないです。採取中に周囲の安全を確認してくれる。俺が疲れたら仕事を代わってくれる。昨日今日知り合った俺の収支を心配して、一緒に稼ごうとしてくれる」
マユミは何も言わなかった。
「Bランクの冒険者を見てかっこいいと思ったのは、結果だけ見たからじゃないですか。でもその人たちも、最初は採取から始めたはずです」
「……そうかもしれない」
「かっこいいかどうかは、結果じゃなくて、どう動いてるかだと思います。マユミさんは、俺から見てかっこいいです」
沈黙が来た。
長い沈黙だった。
マユミは俯いていた。
顔が見えなかった。
しばらくして、マユミが顔を上げた。
目が少し赤かった。
でも、泣いてはいなかった。
「……お前、そういうことをさらっと言うな」
「本当のことを言っただけです」
「本当のことでも、さらっと言うな」
「すみません」
「謝るな」
マユミは少し笑った。
笑いながら、目元を袖で拭った。
「泣いてないからな」
「見てないです」
「嘘つくな」
「見てないです」
マユミはまた笑った。
今度は少し長く笑った。
俺も少し笑った。
食堂に笑い声が広がった。
マルティナが厨房から顔を出した。
二人を見た。
何も言わなかった。
でも、口元が少し動いた。
しばらくして、マユミが言った。
「ヒコ」
「はい」
「ありがとう」
「お礼はいいです」
「いや、言う」
短い声だった。
でも、重さがあった。
俺は黙って頷いた。
マユミが立ち上がった。
「部屋に戻る」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
マユミは扉に向かった。
一度だけ、振り返った。
「来週も、よろしくな」
「こちらこそ」
扉が閉まった。
俺は少し、そのまま座っていた。
灯りが揺れていた。
食堂に一人になった。
静かだった。
今週、届いた。
十五枚の黒字だった。
それから、マユミの話を聞いた。
マルティナがミルクを出してくれた。
借金の返済を、初めて黒字から始められる。
数字にも、数字にならない部分にも、今日は収穫があった。
立ち上がって、部屋に向かった。
廊下を歩きながら、窓の外を一瞬見た。
夜のアーゼルタウン。
城壁の上の灯り。
変わらない景色だった。
でも今日は、少しだけ、自分の景色に見えた。
部屋に入った。
来週も、この景色を見よう。
目を閉じた。
第十五話「ヒコの週黒字と、初めての夜」 了




