第2話 地図にない林
地図にない場所が、現実に存在する。
それはつまり、地図が間違っているか。
あるいは、誰かが意図的に消したかだ。
――どちらにしても、現場では一番まずい異常だ。
日が出る前に目が覚めた。
集会所の壁には隙間がある。
夜明けの冷気が、床の下から這い上がってくる。
俺は毛布を畳み、外へ出た。
昨夜の戦闘跡が、土の上に残っていた。
爪痕。引きずり跡。血の染み。
グレイウルフ三体。
五分で片付いた。
被害はなかった。
だが、それで安心する気にはなれない。
毎晩来る、とバルドは言っていた。
昨夜は三体だった。
明日も三体とは限らない。
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ミルヴァが、壁に背を預けて立っていた。
南を向いている。
「早いですね」
「寝てなかっただけ」
短い返事。
だが、それが答えだった。
ミルヴァも、同じことを考えていた。
「林のことですか」
「夜中に一度、音がした」
「魔物ですか」
「……違う。魔物じゃない」
ミルヴァは目を細めたまま、南を見続けた。
「もっと、小さい音だった。人が、慎重に動くような」
俺も南を見た。
朝もやの中で、林の輪郭が黒く浮かんでいる。
《可視化》を薄く広げてみる。
何も見えない。
だが昨夜、あの方角から歪みを感じた。
気のせいでは、なかったかもしれない。
「調査しに行きます。一緒に来てもらえますか」
「最初からそのつもりで起きてた」
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朝食の前に全員を集めた。
「南の林を調査します。俺とミルヴァで行く」
マユミの目が開いた。
「なんで俺を連れて行かない」
「外周の確認が残っています。バルドさんとアーヴィンさんと一緒に回ってほしい」
「……分かった」
不満そうだったが、すぐに引いた。
こういうとき、マユミは正しい。
感情より判断を優先できる。
「リアさん、索敵は継続でお願いします。コリンさんは村人の状況把握を」
「はい」
「どういった状況を?」
「怪我をしている人。体調が悪い人。食料が足りていない家。
今日中に、おおよそでいいので」
「分かりました」
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林の入口まで、村から歩いて十分だった。
近い。
防衛の観点から見れば、最悪に近い立地だ。
魔物が潜んでいれば、村まで一気に来られる。
入口に立ち、《可視化》を展開した。
木の密度。土の湿り気。空気の流れ。
ただの林なら、情報はシンプルに返ってくる。
だが、ここは違った。
情報が、揃わない。
“欠けている”のではない。
“揃わないようにされている”。
現場で一番厄介なのは、不足じゃない。
意図された不整合だ。
本来ならあ返ってくるはずの感触が、途中で途切れる。
奥に、何かがある。
「先行をお願いできますか。後ろから確認します」
「了解」
ミルヴァは音もなく消えた。
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五分ほどで戻ってきた。
「人だ」
「生きていますか」
「生きてる。動けない状態」
足を速めた。
大きな岩の陰に、男が倒れていた。
四十代。旅人の格好。
右足に深い傷がある。
爪の跡だ。
意識はある。こちらを見て、目を見開いた。
「た……助けて」
「動かないでください。今、手当てをします」
《可視化》で状態を確認する。
体の色がくすんでいる。
出血は続いているが、致命的ではない。
今すぐ死ぬことはない。
ただ、急がないといけない。
「ミルヴァさん、担架を」
「枝で組む。すぐできる」
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コリンに引き渡したのは三十分後だった。
コリンは何も聞かずに回復魔法をかけ始めた。
表情は穏やか。
だが、手は速い。
「この方は?」
「林の中にいました。詳しい話は、落ち着いてから」
「分かりました」
バルドを探した。
ちょうど、アーヴィンとマユミと一緒に東側から戻ってきたところだった。
「怪我人を保護しました。林の中にいました」
バルドの表情が固くなった。
「林に……人が?」
「知っていましたか」
「知らなかった」
嘘ではない。
《可視化》には、そういうことも分かる。
「あの林について教えてもらえますか。いつ頃からあるか。村人が入るかどうか」
バルドは少し間を置いてから言った。
「十年ほど前に突然現れた」
「突然?」
「一晩で、あの規模になった」
静かに、しかし確かにそう言った。
「村人は怖がって近づかない。俺も入ったことはない」
一晩で。
俺は南の方角を見た。
地図にない。
一晩で生えた。
夜中に人の気配。
中に怪我人がいた。
まだ繋がらない。
――だが、繋がっている。
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昼過ぎ、男の意識がはっきりした。
名前はリオン。
隣の区画からの行商人だという。
「この辺りを通るのは初めてですか」
「いえ。何度か。ただ、今回は急いでいて――近道をしようとしました」
「近道?」
「あの林を、抜けようとしたんです。半年前に一度、通れたことがあったので」
俺は聞き返した。
「通れた? あの林の中を?」
「ええ。ただ、今回は入った途端に――」
リオンは眉をひそめた。
「見えない壁のような感覚がありました。視界が歪んで、気づいたら別の場所にいて、景色が、同じなのに違って見えたんです」
半年前は通れた。
今は通れない。
何かが、変わった。
変わったのは林じゃない。
運用だ。
同じ構造でも、使い方が変われば別物になる。
現場では、それを“切り替え”と呼ぶ。
リアを見る。
「魔力による干渉だと思います。空間を歪ませる類の。
自然発生では、おそらくない」
「人工的に、ということですか」
「可能性はあります」
リアは淡々と言った。
だが、その目には確信があった。
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夕方、全員で情報を整理した。
集会所のテーブルに地図を広げる。
今日歩いた範囲に、書き込みを加えていく。
問題が、重なっていた。
地図のズレ。
一晩で生えた林。
魔力による空間干渉。
怪我人の存在。
「誰かが、この領地に先に手を入れている」
全員が黙った。
「仲介業者の残党、という可能性は?」
ミルヴァが静かに言う。
「あります。確証はない」
「魔族の残党も」
「否定できない」
アーヴィンが短く言った。
「調べた方がいい」
「同意します。ただ、今は戦力を分散させたくない。
林の詳細調査は、村の防衛ラインを最低限整えてから」
未知は危険だ。
だが、優先順位を誤る方が、もっと危険だ。
守る基盤がない状態で踏み込めば、
それは調査ではなく、ただの消耗になる。
今日分かったこと。
今日できたこと。
それで十分だ。
急がない。
でも、止まらない。
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夜、バルドが来た。
酒を一本持っていた。
「飲むか」
「ありがとうございます。少しだけ」
並んで外を見る。
星が、綺麗だった。
星見の地、という名前の意味が、少し分かった気がした。
「昔は穏やかだったんだ」
バルドがぽつりと言った。
「十年前まではな。林が出てから、魔物が増えた。
村人が逃げた。
残ったのは、逃げ場のない奴らだけだ」
「あなたは逃げなかった」
「俺が逃げたら、誰が残るんだ」
それだけを言った。
続きはなかった。
「あんたたちが来たとき、最初に思ったことを言っていいか」
「どうぞ」
「また捨てられる前の、最後の挨拶かと思った」
俺は少し間を置いた。
「捨てません。
約束はしません。
守れない約束は、現場を壊すので。
ただ、やるべきことはやります」
「ただ、時間はかかります。段取りが八分で、現場が二分です。
今は、その段取りを作っている最中なので」
バルドは笑わなかった。
ただ、黙って頷いた。
それで十分だった。
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信頼は、言葉では作れない。
行動で積む。
時間で積む。
現場を死なせなければ、信頼はついてくる。
――だからやる。
そう考えたとき。
《可視化》の端が、わずかに揺れた。
昨夜と同じ方角。
南の林の奥。
色ではない。
気配でもない。
何かが、こちらを観ている。
観測ではない。
――判断している。
第2話 地図にない林 了
【次回】
外周の詳細調査が完了する。
東の獣道の一本が、地図と一致しない。
誰かが、最近、道を作った。
そして、調査を終えたマユミが言った。
「ヒコ、あの林――中から、見られてた気がする」
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【領地収支】
・所持金 :金貨87枚(変動なし)
・収入 :なし
・支出 :なし(怪我人の手当て:コリンの回復魔法・材料費なし)
※報奨金 金貨100枚(王都より後日支払い予定)
【発展進捗 第1フェーズ】
・防衛 :0%(外周無防備・夜間手動警戒のみ)
・食料 :20%(備蓄わずか・農地荒廃・村人食料状況の把握を開始)
・水 :30%(井戸一本・汚染リスクあり)
・住居 :40%(建物は存在・修繕が必要)
・インフラ:0%(下水なし・道整備なし)
今日の進捗:南の林の初期調査完了。怪我人保護。空間干渉の確認。外周調査継続中。




