第十二話「月曜日と、最初の手応え」
月曜日の朝。
目が覚めた。
今日からドガンの仕事が始まる。
コルテの倉庫は二時間で終わる仕事だった。
ドガンの仕事は、どのくらいかかるかまだわからない。
わからないことには、備えておく。
午前中いっぱい見ておく。午後は別の依頼を入れない。余裕を持たせる。
初めての現場は、必ず想定外が出る。
食堂に降りた。
マユミがいた。
今日は昨日と顔が違った。
昨日の硬さが、少し取れていた。
「おはよう」
「おはようございます。顔色がいいですね」
「寝たら戻った」
「よかったです」
マユミはスープを一口飲んだ。
「昨日は話を聞いてくれてありがとう」
「たいしたことはしてないですよ」
「座っていてくれたのが、よかった」
俺は少し考えた。
「隣にいるだけで役に立てるなら、楽な仕事です」
マユミはくすりと笑った。
「お前、そういうことをさらっと言うな」
「本当のことですよ」
マルティナが厨房から顔を出した。
「今日は新しい仕事か」
「はい。ドガンさんのところへ行きます」
「ドガンか。あの人、口は悪いが仕事は真面目だよ」
「コルテさんと似てますね」
「似たもの同士が集まるんだろ、お前のまわりには」
マルティナはそれだけ言って、また厨房に戻った。
似たもの同士、か。
俺のまわりに集まる人間は、全員、仕事に対して正直だ。
口が悪くても、無口でも、お喋りでも。
仕事を雑にしない。
それが共通点だと思った。
商人ギルドの西棟に向かった。
コルテの倉庫より、明らかに規模が大きかった。
建物の入り口で名前を告げると、奥の部屋に通された。
ドガンがいた。
それから、三人の商人がいた。
全員四十代から五十代。
俺を見た。
全員、同じ顔をした。
子供が来た、という顔だ。
「こいつがヒコだ」
ドガンが言った。
「……子供じゃないか」
一人が言った。
「体は子供だ。でも仕事は本物だ。俺が保証する」
ドガンは短く言った。
それ以上は何も言わなかった。
俺は三人を見た。
スキルで確認した。
一人目。商人。体の状態、元気。余裕がある。
二人目。商人。体の状態、少し疲れている。昨日か今朝、何かあったか。
三人目。商人。体の状態、消耗している。かなり削られている。
三人の状態が、ぼんやりとわかった。
まだ数字ではない。でも感覚として入ってくる。
三人目が一番消耗している。何か抱えているのかもしれない。
今は関係ない。仕事に集中する。
「よろしくお願いします。ヒコです」
俺は頭を下げた。
深く、丁寧に。
現場でも、初めて会う人間には必ず頭を下げる。
年齢も立場も関係ない。
最初の印象が全てを決める。
三人の顔が、少し変わった。
子供を見る目から、人間を見る目になった。
それだけで十分だった。
仕事の説明を受けた。
商人ギルドの西棟には、複数の商人が在庫を預けている。
それぞれの在庫を週一回確認して、出荷予定と照らし合わせる。
不足があれば報告。過剰があれば整理。ラベルの確認と更新。
内容は理解できた。
でも規模がコルテの倉庫とは違う。
棚が二十列。商品の種類が百以上。
一人でやるのは無理だ。
「作業員はつけてもらえますか」
「いるが、お前が指示を出せるか」
「やってみます。動きながら確認します」
ドガンは少し目を細めた。
「いいだろ」
作業員が二人ついた。
どちらも三十代。無口だが動きが速い。
コルテの倉庫のルークに似たタイプだ。
俺は二人に向き直った。
「今日初めてなので、まず全体の確認から始めます。二人には棚の番号を読み上げてもらいながら、一緒に確認したいです」
「番号を読み上げる?」
「俺がリストと照合します。二人は棚を動きながら確認してほしいです。俺一人では追いつかないので」
二人は顔を見合わせた。
それから頷いた。
「わかった」
作業が始まった。
最初の三十分は、全体を把握することに費やした。
二人が棚を確認して番号と品目を読み上げる。
俺がリストと照合して、ズレを記録する。
現場の墨出しに似ていた。
全体の位置を把握してから、細部に入る。
一時間で全体の確認が終わった。
ズレが七か所あった。
「七か所、在庫のズレがあります」
ドガンに報告した。
「七か所か。多いな」
「先週の出荷記録と照らすと、記録漏れが三か所、場所の間違いが二か所、数量のズレが二か所です」
「原因がわかるのか」
「記録を見れば、だいたい推測できます」
ドガンは少し黙った。
それから、三人の商人の方を見た。
「聞いたか。一時間で七か所のズレを出した」
三人は黙っていた。
三人目の、消耗していた商人が口を開いた。
「……どうすれば直せる」
「記録漏れの三か所は、今日中に訂正できます。場所の間違いは荷物を移動すれば直ります。数量のズレは、実数と記録を突き合わせる必要があります。今日中に全部終わります」
三人目の商人は、少し息を吐いた。
消耗の原因がわかった気がした。
この在庫のズレを、ずっと抱えていたのかもしれない。
「よろしくお願いします」
三人目が言った。
頭を下げた。
俺も頭を下げた。
「任せてください」
午前中いっぱい使って、七か所のズレを全部解消した。
作業員の二人が動きを覚えてきて、後半はほとんど指示を出さなくても動いてくれた。
現場でいう「段取りが染みついた職人」の状態だ。
ドガンが確認に来た。
「終わったか」
「はい。全部解消しました。報告書を作りましたが、書き方はこれでいいですか」
紙を渡した。
ドガンは確認した。
少し長く見ていた。
「……お前、こういうのも書けるのか」
「書類の整理は慣れています」
「ギルドで習ったのか」
「昔の仕事で」
ドガンはまた少し黙った。
「報酬だ。三十枚。それから、来週も同じ曜日に頼む」
「わかりました」
「一つ聞いていいか」
「はい」
「お前、将来どうするつもりだ」
俺は少し考えた。
「まだわからないです。でも、こういう仕事が自分に向いてると思っています」
「冒険者より向いてるな、確かに」
「はい」
「まあ、長く頼めそうで助かる」
ドガンはそれだけ言って、歩いて行った。
昼過ぎに宿に戻った。
マユミが食堂にいた。
午前中に採取を終えて、戻ってきたところらしかった。
「どうだった、新しい仕事」
「手応えがありました」
「手応え?」
「自分のやり方が、ちゃんと機能した感じがして」
マユミは少し首を傾けた。
「どういうこと」
「コルテさんのところは、俺が動きを教えながらやってました。今日は規模が大きくて、作業員に動いてもらいながら俺は管理に集中した。分担がうまく機能しました」
「それって、戦闘パーティと同じだな」
「同じです。前衛が戦って、後衛が支援する。俺は後衛の支援寄りです」
マユミは少し笑った。
「前衛が私で、後衛がお前か」
「そうなりますね」
「悪くない分担だ」
「俺もそう思います」
二人で昼飯を食べた。
マルティナが出してくれたスープとパンだった。
食べながら、今週の収支を頭の中で計算した。
月曜、ドガンの仕事で三十枚。
火曜、コルテで二十枚と採取で十枚前後。
水曜、採取で二十枚前後。
木曜、コルテで二十枚と別依頼で十枚前後。
週合計、百枚から百二十枚の見込み。
週の生活費が約三百五十枚。
まだ赤字だ。
でも先週より大幅に縮んでいる。
……黒字まで、あと一歩だ。
マユミが急に言った。
「今週、もしかしたら週単位で黒字になるかもしれない」
俺は少し止まった。
「計算しましたか」
「採取を増やせば届くかもしれないと思って」
「俺も同じことを考えていました」
マユミは少し目を輝かせた。
「じゃあ今週、全力でやろう」
「無理はしないで、ですよ」
「わかってる。でも全力でやろう」
その顔は、昨日の夜とは全然違った。
前を向いていた。
昨日、話を聞いてよかったと思った。
午後は二人で川沿いの採取に出た。
薬草と石を合わせて採取した。
マユミが前を歩いて、危険の確認をする。
俺が後ろで採取しながら、周囲の状態を確認する。
自然にそういう動きになっていた。
川沿いを歩きながら、マユミが言った。
「なあ、ヒコ」
「はい」
「お前、スキルって今どのくらい見えてる」
「性別と、職業の雰囲気と、体の状態がぼんやりわかります。まだ数字は見えないです」
「今日、ドガンさんのところで使ったか」
「使いました。三人の商人の状態が少しわかりました」
「どうだった」
「一人が消耗していました。たぶん在庫のズレを抱えていたからだと思います。それがわかったので、その人を優先して解決しました」
マユミはしばらく歩きながら考えた。
「それって、すごいことだぞ」
「そうですか」
「相手が何を抱えているか、見えるんだろ。それがわかれば、何を先にやればいいか決められる」
「まだ感覚だけです。正確じゃないかもしれない」
「でも今日、合ってたんだろ」
「……合ってたと思います」
「精度が上がれば、本当に怖いスキルになるな」
ミルヴァと同じことを言った。
俺は少し考えた。
「使い方次第ですよね」
「そうだな。見えすぎても、それはそれで辛そうだ」
マユミのその言葉は、案外深かった。
見えすぎること。
相手の状態が全部わかったとして、それが全部役に立つかどうかはわからない。
むしろ、見えすぎて動けなくなることもあるかもしれない。
情報は多ければいいというものじゃない。
現場でも同じだった。情報が多すぎて判断が遅くなる現場監督がいた。
必要な情報だけを選んで、判断に使う。
それが技術だ。
採取を終えて、ギルドに戻った。
今日の採取分を報告した。
薬草四束と石十五個。
報酬、銅貨十七枚。
今日の合計収入。
ドガンの仕事、三十枚。採取、十七枚。合計、四十七枚。
生活費、約五十枚。
本日赤字、約三枚。
ほぼトントンだ。
先週とは全然違う。
マユミが隣で計算していた。
「今日の私の収入は採取二件で二十二枚。生活費が五十枚だから、まだ赤字だな」
「でも先週より全然いいですよ」
「うん。来週はもっと上げる」
マユミはそう言って、少し前を見た。
昨日の夜とは全然違う顔だった。
前を向いていた。
俺はそれを見て、少し安心した。
夕食の時間、食堂で三人で食べた。
マルティナも今日は少しだけ席に着いた。
珍しかった。
「今日、どうだった」
マルティナが聞いた。
「手応えがありました」
「マユミは」
「採取、頑張った」
「そうか」
マルティナはスープを一口飲んだ。
「今週、二人とも顔が変わってきた」
「そうですか」
「来たばかりの頃と、全然違う。最初はどっちも、何かを探してる顔だった」
「今は違いますか」
マルティナは少し考えた。
「今は……少し、居場所を見つけ始めてる顔だ」
俺はその言葉を、少し反芻した。
居場所。
まだ根を下ろした、とは言えない。
でも、居場所を見つけ始めている。
それが今の俺の状態か。
「マルティナさん」
「うん」
「来週、借金を少し多めに返せそうです」
「急がなくていい」
「急ぎます。でも、無理はしないです」
マルティナは少し笑った。
「バランスが取れてきたな」
「まだまだですよ」
「それでいい」
部屋に戻った。
窓の外を見た。
夜のアーゼルタウン。城壁の上の灯り。
十二日目が終わった。
今日、ドガンの仕事で手応えを感じた。
スキルが仕事の道具として機能し始めた。
マユミが前を向いた。
マルティナに居場所を見つけ始めていると言われた。
借金はまだ三百五十七枚ある。
でも、来週は週単位で黒字に近づく。
来週の終わりには、少し多めに返済できるかもしれない。
少しずつだ。
でも、確実に前に進んでいる。
現場はそういうものだ。
一日一日の積み上げが、いつか全体を作る。
目を閉じた。
第十二話「月曜日と、最初の手応え」 了




