第十話「定期依頼と、最初の週締め」
火曜日の朝。
目が覚めた。
今日から定期依頼が始まる。
それだけで、起き上がるのが少し軽かった。
不思議なものだ。
金額が変わるわけじゃない。一回二十枚は昨日までとそう大差ない。
でも「決まっている」というのが、こんなに気持ちを楽にするとは思わなかった。
現場でも同じだった。
単発の仕事より、継続の仕事の方が、体の動きが違う。
見通しがあるから、力の配分ができる。
それだけのことで、人間はこんなに変わる。
食堂に降りた。
マルティナが朝食を出してくれた。
今日はパンの他に、小さなチーズが一切れついていた。
「今日から定期依頼ですね」
「知ってるよ。顔が違う」
「そんなに顔に出てますか」
「出てる。いつもより少し明るい」
俺は少し恥ずかしくなった。
「そうですか」
「いいことだよ。見通しが立つと顔が変わる。生きてる顔になる」
マルティナはそれだけ言って、厨房に戻った。
生きてる顔、か。
俺は来てから九日間、どんな顔をしていたんだろう、と少し思った。
マユミが来た。
今日は早かった。
「今日は定期依頼だな」
「はい。午前にコルテさんのところへ」
「私は午前に採取を一件入れた。午後に合流できるか」
「今日の午後はどうしますか」
「ギルドで確認してから決めようと思ってた」
「わかりました。昼過ぎに一度合流しましょう」
マユミは頷いた。
「それと、昨日のリザードマンの件、ギルドの掲示板に出てたぞ」
「もう出たんですか」
「昨日報告したからな。西草地の東側は当分Dランク以下進入禁止になった」
俺は少し考えた。
「俺たちが入れる範囲が狭くなりましたね」
「まあ仕方ない。安全の方が大事だろ」
「そうですね」
マユミはパンを一口食べた。
「でも、お前が報告したから他の冒険者が助かったかもしれない」
「たまたまです」
「たまたまでも結果は結果だ」
俺は少し黙った。
マユミはこういうことをさらりと言う。
大したことじゃないように言うが、内容はちゃんと正しい。
コルテの倉庫に向かった。
着くと、コルテが入り口で待っていた。
「来たか。今日から頼む」
「よろしくお願いします」
中に入った。
火曜日の倉庫は、先週の大口依頼とは違って、適度な量だった。
一人で十分こなせる量だ。
でも俺一人では重い荷物が運べない。
コルテがそれをわかっていた。
「今日は作業員を一人つける。荷物の移動はそいつに頼め。お前は仕分けと管理をしてくれ」
「わかりました」
作業員は二十代の男だった。ルークといった。
無口で、でも動きは速かった。
俺が指示を出すと、確認せずに動く。
「確認しなくていいですか」
「お前の言ってること、正確だから」
それだけだった。
二時間、淡々と動いた。
終わった頃、コルテが倉庫を見た。
「今日もきれいだな」
「ありがとうございます」
「ルーク、どうだった」
ルークは少し考えた。
「指示が無駄なかった。動きやすかった」
コルテは頷いた。
「報酬だ。二十枚」
受け取った。
安定した二十枚だった。
昨日の採取一件分と同じ額だ。
でも体力の消耗が全然違う。
現場仕事の原価意識というのは、体力も含む。
効率のいい仕事というのは、体力を使わずに稼ぐことでもある。
昼過ぎ、ギルドでマユミと合流した。
マユミは採取を二件こなしていた。
「二件か。すごいですね」
「今日は西草地を避けたから、南草原で二件入れた。計二十枚」
「体力は」
「問題ない」
俺の今日の収入、二十枚。マユミも二十枚。
二人合わせて四十枚。
今日の俺の生活費が五十枚として、マイナス三十枚。
まだ赤字だ。
でも昨日よりは縮んでいる。
「午後はどうしますか」
マユミは掲示板を見た。
「石拾いが一件出てる。川沿い。銅貨八枚」
「川沿いは足場が悪いと聞いていましたが」
「今日は乾いてるはずだ。昨日の天気を見てたら」
天気を見ていた、か。
マユミは直感で動くタイプだと思っていたが、こういう細かい観察もしている。
「行きましょう」
川沿いは、思ったより歩きやすかった。
水量が少ない時期らしく、岸辺の石が露出していた。
マユミが器用に岩の上を移動しながら石を集める。
俺は数を数えながら、周囲を確認した。
水辺の魔物。
地図では白色の未確認域がある。
慎重に動く。
三十分で二十個が揃った。
「早かったですね」
「石は目に見えるから楽だ。薬草みたいに判別しなくていい」
「それはそうですね」
帰り際、川沿いに生えている草を見た。
薬草の絵に似ているものがある。
紙を出して確認した。
合っていた。
「マユミさん、ここに薬草があります」
マユミが来た。
「ほんとだ。川沿いにも生えるのか」
「地図にも川沿いで採れると書いてありました。今日は石の依頼なので取りすぎない方がいいですが、少し覚えておきましょう」
「次に来るときの下見か」
「そうです」
マユミはメモを取り始めた。
俺の真似をしていた。
何も言わなかった。
そういうもんだ。
ギルドに戻って今日の収支を確認した。
定期依頼、銅貨二十枚。
石拾い、銅貨八枚。
合計、銅貨二十八枚。
生活費、約五十枚。
本日赤字、約二十二枚。
累計借金、三百五枚から三百二十七枚に増えた。
……まだ増えている。
でも、来週の火曜と木曜に定期依頼がある。
それに採取や運搬を組み合わせれば、週単位で黒字に近づける。
今週の合計を計算した。
一日目から九日目まで、累計収入が百六十一枚ほど。
累計生活費が約四百五十枚。
差し引き、約二百九十枚の累計赤字。
マルティナへの借金が三百二十七枚。
少しずつ、でも確実に、差が縮まっている。
数字は正直だ。
夕食を終えた頃だった。
マルティナが食堂の片付けをしていた。
客が全員出た後、俺はカウンターに近いところに座って、帳簿の確認をしていた。
マルティナが声をかけてきた。
「少し、話をしようか」
俺は顔を上げた。
マルティナは二つのカップを持っていた。
温かいミルクだった。
テーブルに置いて、向かいに座った。
「子供には酒じゃなくてこっちだろ」
「ありがとうございます」
二人でしばらく黙って、ミルクを飲んだ。
マルティナが口を開いた。
「この宿、十五年やってる」
「そうなんですか」
「最初は夫と二人でやってた」
俺は何も言わなかった。
続きを聞いた。
「十年前に死んだ。魔物にやられた」
静かな声だった。
感情が乗っていない声だった。でも、それが逆に重かった。
「……それからは一人で」
「一人で、ここをやってる」
マルティナはミルクを一口飲んだ。
「なんで話してくれるんですか」
「お前が帳簿を毎日つけてるのを見てたから」
「帳簿を」
「夫もそうだった。毎晩、帳簿を確認して、明日の段取りを考えてた」
俺は少し止まった。
「似てる、と思ったんですか」
「似てるというより……同じ種類だと思った」
俺は少し考えた。
ガッツも同じことを言っていた。
同じ種類の人間。
叩き上げで生きてきた人間は、どこかで通じるものがあるのかもしれない。
「夫は冒険者だったんですか」
「冒険者上がりの商人だった。Cランクまで上がって、引退してここを一緒に始めた」
「いい人だったんですね」
「口が悪くて頑固で、失敗すると黙り込む面倒くさい人間だった」
マルティナはそう言って、少し笑った。
目尻に皺が寄った。
深い皺だった。
「でも、仕事は誰より丁寧だったよ」
「それが一番大事なことですよね」
「そうだ」
二人でまた黙った。
火が揺れていた。
食堂の灯りが、静かに揺れていた。
「お前、ここに根を下ろすつもりはあるか」
マルティナが聞いた。
昨日マユミにも同じことを聞かれた。
「……あるかもしれないです」
「かもしれない、か」
「まだ自信がないので」
「自信がなくていい。あるかもしれない、と思えたなら、それで十分だ」
俺はミルクを一口飲んだ。
温かかった。
「マルティナさん」
「うん」
「借金、必ず全部返します」
「知ってるよ」
「それから、返し終わったら改めてお礼を言います」
「楽しみにしてる」
マルティナは立ち上がって、カップを片付け始めた。
「早く寝な。明日も仕事だろ」
「はい」
俺は立ち上がった。
部屋に向かいながら、一度だけ振り返った。
マルティナは黙々と片付けをしていた。
十五年、一人でこの場所を守ってきた人間の背中だった。
部屋に戻った。
窓の外を見た。
夜のアーゼルタウン。城壁の上に見張りの灯り。
十日目が終わろうとしていた。
今週の収支は、まだ赤字だ。
借金は三百二十七枚ある。
でも、来週から定期依頼が週二回入る。
川沿いの薬草の場所を覚えた。
マルティナの話を聞いた。
ここに根を下ろすかもしれない、と思えた。
数字にならない収穫が、また増えた。
布団に横になった。
目を閉じた。
マルティナの夫が毎晩帳簿をつけていたという話が、頭に残っていた。
俺も同じことをしている。
同じ種類の人間か。
悪くない、と思った。
目を閉じた。
第十話「定期依頼と、最初の週締め」 了




