49 「あれ何だったの?」
太陽の陽を浴びて、緑の隙間からキラキラと光が溢れている。風が吹く度に葉と葉がこすれ合う音が、誰かが楽しそうに笑う声に似ていた。
ハルキの家はまさかの庭付き一軒家で、俺は見るなり叫んでしまった。
「官吏ってマジで高給取りなんだな!」
「まあ、それなりにな」
「俺も官吏になる!」
「ぶっちゃけると、これは実家なので、この家建てたのはうちの親父だ」
言うだけ言ってさっさと家に入ろうとするハルキに、俺は慌てて駆け寄る。
「実家暮らし?!」
「言ってなかったっけ?」
「俺に泊まる用意して来いって言ったの、どこのどいつだコラ!」
俺は大き目のボストンバッグでハルキの腰を叩いた。ハルキは情けない声を上げて、よろめく。
「そんな怒るなよ」
「ご挨拶の菓子折持ってきてない! 買ってくるから、昼過ぎに出直す!」
「人ん家の庭先でその家の息子叩いといて、菓子折もクソもないだろ」
ハルキは半眼で俺の文句を受け流して、家を背に笑った。
「安心しろよ。姉貴はもう嫁に行ったし、両親は旅行中。今日は家に誰もいない。俺とおまえだけ」
ハルキの落ち着いた声に、俺の心臓が跳ね上がる。
覚悟はしてきたつもりだけど。つもりなんだけど。
まんまと嵌められてるのが悔しくて、俺はそのことは拾ってやらなかった。
「……おまえも上に姉ちゃんいる、弟か」
「そこは可愛く照れとけよなあ」
ハルキは俺を抱き込むようにして、髪をぐしゃぐしゃとかき回した。誰がそんなバレバレの誘導に乗ってやるか。
引きずられるようにして家の中に入ってしまったら、そんなちっぽけな意地はどうでもよくなったけど。
例の騒ぎの一連の収拾がつく頃、ハルキに「家デートをするから、親御さんに外泊許可をもらってこい。何なら俺が、挨拶がてら許可をもらいに行きます」と口の端に緊張をにじませながら言われた。
騒ぎの後始末は、案外あっさり終わった。実行犯の3人や、官長の手下の制服どもは、「北方送りにしない代わりに今回の件は無かったことに」ということで口止めができたそうだ。官長に付き従った制服どもは刑罰のことは知っていたけど、そもそも官長が手を回してくれるのに計画が失敗するとは思っていなかったらしく、現実的に自分たちの終身刑がちらついただけで委縮してしまったらしい。
官長は少々手を焼いたそうだが、アイセンが「一度だけ私に付き合ってくれたら、あなたの出世街道に傷はつけません」と上手い駆け引きをしたことにより、黙らされているようだ。今度アイセンに会ったら、首尾を聞きたいと思う。俺が見た限り、脈はあると思うんだよなあ。
アイセンを女神誘拐の主犯だと睨んでいたハルキだが、俺が拉致された時に、女神と俺が消えたことを馬鹿正直に伝えにきてくれたこと、更に官長を無罪放免にすることを条件に官長が出入りしていた倉庫の場所を教えるといわれたことで、強制的に信用せざるをえなかったらしい。総合して見ると、全部アイセンの掌の上で踊らされていた感じがしなくもないが、まあよしとしよう。
そういえば、と俺はバッグをリビングに置かせてもらいながら、ハルキに訊ねる。
「おまえ、あれ何だったの?」
「あれって何?」
「俺のこと助けにきてくれたときの! 裏路地でギャングの頭目張ってたの?」
ハルキの家は俺の家より広かった。ハルキってまあまあ金持ちなのでは、と思ったけど、官吏をやるような人間が、そんな貧困層出身ということもないだろう。多分裏路地で不良を束ねるようなお育ちではないとわかっている。
俺の質問に、ハルキは小さく笑った。
「品行方正な俺を捕まえて、ギャングって何だよ」
「親御さんがいない隙を狙って恋人を家に連れ込むような奴が、品行方正とか」
ぷす、と笑ってやれば、ハルキに軽く頭を叩かれた。ハルキは大変不服そうな顔をして、言い訳のように言い募る。
「小さい頃から武道は一通り叩きこまれてるんだよ。親父は警備部にいるから」
「あ、宮殿の別部署?!」
親子揃って宮殿勤めかよ。エリートみたいなもんじゃん。ツェルマ官長には敵わないのかもしれないけど。
ハルキは若干苦い顔をして、つぶやく。
「親父には警備部に入れって言われたけど、俺なんか弱い方なんだよ。どうにか記憶力で、記録官として宮殿にねじ込んでもらったけど」
ああ、そういうこと。ようやくハルキの人となりが少し知れて、俺はひとりで満足した。
ハルキは楽しそうな俺の手をすくい上げて、俺を促した。ゆるく手を引かれるままに、リビングを出て、廊下を進む。一緒に階段を上るけど、ハルキはいつかみたいに無理に俺の腕を引っ張ったりしなかった。待ってくれることに安心しながらついていったら、奥まった部屋に案内される。
俺はちらりと視線をやって訊ねる。
「ハルキの部屋?」
「さすがに、嫁にいった姉貴の部屋には連れてかないだろ」
そっとのぞきこんだら、予想通りの部屋の様子が広がっていた。
本棚に収まりきらずに横倒しに積まれた本。蓋のしまってない箱が壁際に押しやられている。立派な勉強机なのに、机の上は整頓された小物で埋め尽くされていて作業するスペースもない。
ベッドと部屋の中央辺りは整えられているところを見るに、今日俺が来て困らないためだけに片付けたんだろう。
ぴったりと閉じられたクローゼットはお察し。開けたら酷いことになるから、賢い俺は絶対に開けないぞ。
「予想してたけど」
「キレイだろ?」
「おまえ絶対生活力無いよな……」
「何だと?」
これで聞き捨てならないというような反応をするんだから、マジで生活力がない。俺は天を仰いだ。
「はあ……アルメリア、俺選ぶ奴間違えたかなあ?」
「言いたいことは言えって言ったのはおまえだったろ? ほら、どこが駄目なのか言えよ、聞いてやるから」
「俺の頬をつねりながらそんな風に言うとこが駄目!」
ぎゃあぎゃあ言いつつ部屋の中に踏み込む。絡まり合うようにしてお互いの顔を、頬を、目元を触りながら、ベッドの傍まで行った。
俺より一回り大きな手で、両頬をはさまれる。大してカッコ良くもない顔を見ていたら、ハルキが目を閉じた。
キスは、意外と好きかもしれない。この、一瞬の無防備な顔を、独り占めできるのが。
熱い唇が重なって、俺はまばたきをした。ついばむようなキスを繰り返されて、何だかもどかしかった。
ハルキの首に手を回して、背伸びをする。どうするのが正しいのかわからないまま、自分の唇をぎゅうと押し付けた。ハルキは片手を俺の頭の後ろに回して、更に口づけを深くしてくる。
半開きのままの唇の隙間からぬめったものが忍び込んできて、反射的に体を離そうとした。だけど、俺の頭を抱きこんだハルキはそれを許してくれない。
舌先にぬるりと何かが触れて、ようやくそれがハルキの舌だとわかる。ぞろりと歯列を舐められて、体をすくめた。
「ん、ふっ……」
舌を絡めとられて、鼻にかかった声が漏れるのが恥ずかしかった。口内にハルキの唾液が染み込んでくると思ったら、居ても立ってもいられない気持ちになる。
とろりと内側から溶かされるような感覚に、背伸びしていたつま先から力が抜けていく。
俺の体に力が入らなくなってきていることを察したらしいハルキが、体重をかけてきた。
「ぁ、うわっ……!」
踏みとどまれなかった俺は、勢いよくベッドに倒れ込む。俺の上に乗り上げてきたハルキは、へらりと笑う。
「案外、可愛い声」
「驚かせるのとくすぐるのは、反則じゃない?」
悔し紛れに口をとがらせると、ハルキはその文句を笑って流した。




