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音速チョコレートに運命の相手はいない。  作者: モノクローマー
音速チョコレート、全力疾走する
48/50

48 「音速チョコレートをなめるなよ!」

アイセンは膝をついた官長の顔をのぞきこんで、ささやきかけた。


「あなたには色々と言いたいことがあるんですが、まずは隠蔽工作をしましょう。後で言う条件は絶対にのんでもらう代わりに、今回のことはお咎めなしです」


「条件、だと?」


訊き返す官長を無視して、アイセンは俺の方へ歩み寄ってきた。


「夕方の定期チェックは、ハルキになんとかごまかしてもらいました。宮殿では、まだ女神の不在に気付かれていないはずです」


俺はアイセンが何を言わんとしているか、すぐにぴんときた。


「夜の定期チェックに間に合えば、女神盗難なんてなかったことになる……!」


俺はコンテナの上に置かれたガラスケースに触れる。女神はガラス越しに、俺に祝福のキスをくれた。俺はガラスの表面を撫でてから、放られていた布で女神をくるむ。


後ろから近付いてきたハルキが、俺の背中を叩く。


「俺たちはここの後始末をしてから追いかけるから。頼むぞ、鈍足」


俺はにやりと口角を持ち上げた。


「音速チョコレートをなめるなよ!」


女神を脇に抱えて、地面を蹴る。


ハルキにやられて折り重なっている制服たちを飛び越えて、開きっぱなしの扉から冷たい宵闇に飛び出した。


街の中心、宮殿のある地区からは外れた場所だ。一度辺りを見回して、方角の検討をつけた。あとはひたすら走るだけだ。


すぐに心臓が早鐘を打ち始める。呼吸がどんどん短くなる。それでも、ただひたすらに、地を駆けた。足を動かせ、足を動かせ。気持ちだけが急いて、足が絡まりそうだ。


何度か女神を滑り落としそうになってひやっとしたけど、何とか無事に済んだ。大事に抱え直すたびに、女神が楽しそうに笑っているのが、布越しに伝わってきた。


必死過ぎて、宮殿近くのことはもう記憶にない。気付いたら宮殿の裏手に回っていた。上がりきった呼吸が苦しい。がくがく震える足と、壊れたみたいに吹き出す汗は、もう自分の体じゃないみたいだ。耳の裏で心臓の音がするなんて、生まれて初めてだ。


何度か無理矢理に深呼吸して、裏口の扉に手をかける。ゆらりと音もなく開いた扉に、まだ鍵変えてないのかよ、と鍵変えないでいてくれてありがとう、の感想が同時に浮かんだ。


扉の隙間から体を滑りこませる。女神を連れてるから、引っかからないように気を付けた。もはや通い慣れたと言っても過言ではない道を忍び足で進み、女神の間へたどり着く。誰にも見られなかったと、思う。もうここまで来たら、見られてもいい。


女神の間へ入ると、布の下から女神が言った。


「私を台座へ置いて。次に台座のロックをして、最後に壁のロックよ」


「うん」


アイセンがチェックしてたやつだよね、と言いたかったけど、荒い呼吸に邪魔されて言葉にし損ねた。


女神のガラスケースを台座にセットして、台座の裏を探る。指先で探り当てたスイッチをかちりと押して、すぐに壁へ。全身を駆け巡る血流がうっとうしいほどやかましい。あと少しだから、我慢して。


壁のスイッチを押すと、台座の辺りでがちゃんと重たい音がした。ばくばくうるさい胸を押さえて台座を見たら、ガラスケースの中で女神はくるりと回って、ピースしてみせた。


長い息を吐いて、俺は台座の傍にへたりこむ。


俺の体が落ち着くのを待ってくれているのか、女神はじっと黙って俺を見ていた。俺はまだ跳ね上がりそうになる全身をあちこち撫でながら、女神に訊いた。


「壊されちゃってもいいと、思ってた?」


「ええ。それを、あなたたち人間が望むなら」


やっぱり。静かに鈍器が振り下ろされるのを見ていた女神を思い出して、俺は渋い顔をした。


そもそも、と女神は語り出す。


「人は誰でも、自分の中に神様を持っているものよ。それをみんな、信念と呼んだり、願いや憧れと呼んだり、正義や夢と呼んだりする」


その感覚は、何となくわかるかもしれない。俺が頷くと、女神は続けた。


「でも、形ないものや声なきものを信じるのは難しいわよね。すぐに諦めたり、心折れそうになったりする」


瞳に星を宿す女神は、その目を輝かせる。


「だから私は生まれたの。あなたたちが信じられる、形と声を持って。だけど、覚えておいて。あなたたちは、誰にも負けない神様を、みんな持てるのよ。あなたの信じるもののために、あなたたちは生きていけるの」


桃色の唇が、幸せそうに弧を描く。


「人間は、私なんていなくても、運命なんて決まっていなくても、生きていけるのよ」


それがあなたの答えなのか、女神様。俺は微苦笑を漏らす。


「それって、自分の存在否定にならない? それでいいのかよ」


「あら、言ったでしょう? 形なきものや声なきものを信じるのが難しいときもあるの。そういうときは、私を頼ればいいのよ。


――ああ、弱くて強い、美しい生き物。私は人間が大好きよ!」


頬をバラ色に染めて、うっそりと笑う女神は無垢な乙女のようだった。俺は降参のポーズをとって、床に大の字になる。


「あんたのことを神様って呼びたがる奴らのこと、初めて理解できたよ!」


その瞬間、部屋の扉が開いて、入ってきた制服と目が合った。このパターン、何回目だっけ。もう、まずいと思う感覚も麻痺してしまった。


制服はひゅっと息をのんで、一拍置いてから大声を出す。


「侵入者だー! 誰か、来てくれー!!」


「もうどうにでもなれ……」


部屋から後ずさって出ていく制服を見つめていたら、女神にからかわれた。


「逃げなくていいの? 音速チョコレート?」


「もう溶けちゃったから無理だよ。でろでろ」


言いながら床の上で手足をばたつかせたら、女神は馬鹿みたいに笑った。


遠く、何人もの足音が近付いてくる振動を床で聞きながら、俺は目を閉じる。


後始末は頼んだぞ、俺の、運命じゃない人よ。

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