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音速チョコレートに運命の相手はいない。  作者: モノクローマー
音速チョコレート、動揺する
12/50

12 「だけど、わざわざ誰かの不自由を作るのもまた、人間だわ」

女神はゆらりと体を揺らして、静かに言う。


「私が怒られない権利はともかく、人間にも怒らずにいる権利はあるわよね。怒ることはとってもエネルギーを使う表現なのに、あなたたち人間は疲れたり落ちこんだりしてエネルギーが足りていないときにしがちだわ。いつも見ていて、はらはらしちゃう」


子供の悪癖に呆れた母親のように笑って、女神は俺に言った。


「昔の人間たちは、自由な恋愛を楽しんでいたわ。誰かを一方的に想うことも自由、一度恋をしても、幻滅して離れることも自由。すでに誰かのものになっている人を奪うことも自由。ただし、自由にした先で、報われるも報われないも、確約されない世界だった。


そんな世界に疲れた誰かが、願ったのよ。『確実に報われて幸せになりたい』『自分が出会えてよかったと思える人にだけ、愛を注ぎたい』って。


だから人間に、人生で最も良く、大きな影響を与える人の存在を教えてあげたの。それが神託の始まり」


「何それ……」


呆然とつぶやくしかなかった。俺たちの知らない昔、不毛な自由を謳歌していた人たちがいたことも、今この社会を作った奴がいたことも、何だか遠い世界のようで現実味がない。


女神は眉尻を下げて、微笑を浮かべて続ける。


「自分に一番良いものをくれる、自分を救ったり、大事にしてくれたりする相手と、共に歩んでいきたいと思うのはおかしい話じゃないわ。私が教えてあげた存在と出会って、愛し愛され、良い影響を与え合って結婚する人はとても多かった。もちろん、良い友人や師弟、相棒として支え会って生きていくだけの人もいたわ。


それがいつしか、女神に言われた相手とは結婚するものだと、それが当たり前だと言われるようになってしまったの」


俺はついに言葉を失った。当然だと信じていたものは。


女神は慈しむように言う。


「あなたたち人間は、いつだって自由よ。いつだって、自由を愛してる。だけど、わざわざ誰かの不自由を作るのもまた、人間だわ」


だから女神は、ずっと、どれもこれも自由だっていうのか。


泣き崩れた彼女の嘆きを聴くべきは、やっぱり女神じゃない。神を全知全能たらしめるのも、極悪非道の悪鬼たらしめるのも、人間の傲慢なんだから。


女神は悲しげに問うてくる。


「リク、あなたが言う『普通』の幸せは、万人にとっての『普通』ではないのよ。それは人間たちが作った多数派のものであるだけ。それを求めるあなたが、魅力的な異性を運命の人として得られなかったことは残念なことだわ。


でも、もし、その『普通』にこだわらないのであれば。あなたは別の幸せを手に入れることもできるはず。悲観することばかりではないと思うのだけど……――どうかしら?」


その言葉には、確かに慈愛がこもっていた。目の前の小さな人形のような神様は、いつだって人間を我が子だと思っているんだ。


俺は意識的に肩の力を抜いて、凝っていた息を吐き出した。


「ごめん、ちょっと、神託に懐疑的になってただけなんだ。あいつのことが嫌いとか、一緒に生きていきたくないとか、そんなんじゃないんだよ」


そりゃ、かわいい同年代の女の子と家庭を持つのは、思い描いていた未来なんだけど。


そのとき思い出したのは、デートのときのハルキの姿だった。あのだっさい私服を着て、心底困ったような顔をする、年上の情けない運命の人。


思わず小さく吹き出して、頬が自然とゆるんだ。


「教えてくれてありがとう、アルメリア。大丈夫だよ。俺はきっと、幸せになれるよ」


そうだ。俺と姉ちゃんだって、家族だけどお互いに努力して、衝突しながらいい関係を作ってきたんだ。運命の相手だけが、女神に与えられさえすれば無条件に幸せになれるなんておかしい。そう、思いがちだけど。


女神に示されてからが始まりだ。そこから幸せを作る努力をするんだ。


女神は少女のようなはにかんだ笑みを見せて、ガラスの中で体をひるがえす。俺はおずおずと視線を部屋の隅に向けて、バインダーとにらめっこしているアイセンにも声をかけた。


「あの、アイセンさんも、ごめんなさい」


アイセンは片眉を上げて、肩をすくめてみせる。俺は何となく申し訳なくて、もごもごと口の中でつぶやく。


「まぎれこんだだけの猫が騒がしくて」


アイセンは小さく笑って、穏やかな調子で返してきた。


「官長の言葉を借りるなら、『泣き声が一つ増えたところで変わらない』ですよ。君のように悩む子は、たくさんここを訪れますから。つい先ほども、広場で女の子が泣いていたそうですよ」


その騒ぎに立ち会ってきたところなんだ、とは言わず、俺は大人しくアイセンの話を聞く子供のふりをしておいた。アイセンはバインダーから顔を上げて、俺に柔らかい視線を向ける。


「疑問を持ってもいいんですよ。悩むことだって自由です。時間が欲しいなら、運命の相手に待ってくれと伝えるのも一つの手ですよ。君を本当に思ってくれる人なら、10年くらい待ってくれますよ、きっと」


おどけた言い方に、俺はつられて笑った。親しさ故の意地悪さが透けて見える。本当に仲がいいんだな。


そこまで考えて、ハルキって俺のことをあれこれアイセンに相談してるんだろうか、と思い至った。俺も正直1人じゃパンクしそうだったから、何人かの友達には話したし、こうして女神にぶちまけてしまったし。


さっきの女神とのやりとりを胸中で反芻する。別に女神は、人間の心がわからないわけでも、言い分を理解してくれないわけでもない。でも、人の歩んでいく道は女神が全部与えてくれるんじゃないんだから、何かを相談するのは、一緒に歩いていきたい人たちの方がいいはずだ。


俺は口角を持ち上げて、アイセンに笑いかける。


「ありがとう、話聞いてくれて」


「これが私たちの仕事ですから。こんなことでよければ、いつでもどうぞ」


「もしかして、それも官長の受け売り?」


「ええ」


その言葉に感心する。はー、とため息とも感嘆ともつかない息を吐いて尋ねた。


「すごいね。本当にあの官長さん、慕われてんだ。アイセンさんもあの人好きなの?」


俺の質問に、アイセンは一瞬だけ表情を消したように見えた。俺が違和感を覚える前に、アイセンは柔和な笑顔を取り戻す。


細められた瞳に、どんな感情が隠されていたのか、付き合いの浅い俺にはわからなかった。アイセンは何とも評しがたい雰囲気で、口を開いた。


「大好きですよ」


返ってきた一言は、これ以上の会話を望んでいないようだった。俺、なんか変なこと訊いたかな。


困惑のために俺の思考が鈍ったところで、アイセンは調子を切り替えるようにしっかりした声音で言った。


「さて、定期チェックも終わったので私は上がりますけど、君はどうします? もう少しここにいますか?」


言われて、俺ははっとする。そうだ、ハルキとの約束まで、と思って忍びこんだんだった。


「ハルキは? 仕事終わるの、同じ時間?」


「ハルキですか? ええ、彼も同じですよ。彼に用事だったんですか?」


「デート! 晩飯おごってもらうんだ」


ひひ、といたずらっぽく笑うと、アイセンは愉快そうに喉を鳴らした。


「なるほど、それで。ハルキも朝から楽しみにしていたみたいですよ。そわそわしてましたから」


ちょっとくすぐったくなって、俺は上下の唇をすり合わせる。そうか、楽しみにしてたのか。またここに忍びこんだ話してやろうかな。あいつ、どんな顔するかな。


俺は1人でにやついているのを間近で見つめる女神様は、宝物を眺める子供のような顔をしていた。

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