10 「何かあったら言いなさい」
その言葉を聞いて、どきりとした。女神に訴えても、神託が覆ることはない。それはつまり、女神が人間とは見ている世界が違っていて、話を理解してもらえないってことなのか。
ツェルマ官長はついと俺を見やって、何とも言えない不思議な目をした。
「君も、何か思うところがあるのでは?」
俺に向けられた瞳には、憐みとも同情とも取れる色が浮かんでいた。
ハルキのことを指しているんだろうか。俺が神託を受けたときには、この人も同席していたし。でも、それにしたって――。
「あんたも『そう』なの?」
俺の質問の意図が通じたのか、ツェルマ官長は目を見開いて息をのんだ。あんたも、「普通」に幸せになれなかった人間なの?
ツェルマ官長はゆるく首を振って、いつものすまし顔に戻る。彼は背後に回した腕を組んで、薄い笑みを浮かべて言った。
「私の心配をしてくれるとは、意外と優しいんだな」
「意外は余計」
「他者を慮る心があるなら、我々の仕事を増やすような真似は今後やめてくれ。たとえば、宮殿に侵入するとか」
そのとき、制服が小走りで官長の下へ戻ってきた。
小声で女子の様子を報告している。
「泣き止んで落ち着いてきています。よければ、少し話を聞いてやってください」
「わかった。報告ありがとう。君は持ち場に戻れ、テセル」
官長は一も二もなく請け負って、歩き出す。去り際に、軽く俺の背を叩いて言った。
「何かあったら言いなさい。泣き喚いたっていい。私が話を聞いてやる」
俺はピンと伸ばされた背筋を見ながら、小さく言った。
「それ、あんたの仕事が増えるんじゃないの」
肩越しに振り返った官長は、凛とした声で返してくる。
「言ったろう。日常茶飯事だ。一つ泣き声が増えたところで、大した負担ではない」
男女問わず人気があるってハルキが言ってたのは嘘じゃないんだな。俺はひらりと手を振りながら、だれともなくこぼした。
「あれは惚れるわ」
神様と違って、声が届くんだもんな。
***
その後、俺はまだ仕事を終えないハルキに焦れて、宮殿の裏へ回りこんだ。
――嘘だ。待ちくたびれてってのは言い訳だ。どうしようもなく気になったんだ。女神の心のありかと、俺の幸せのありかが。
俺は裏口の鍵を開けると、まるで自宅に入るかのように宮殿内に体を滑り込ませた。こないだ俺に入られたのに、まだ鍵変えてねぇのかよ。まったく、頼もしい警備だこと。
呆れながら、ふらふらと不真面目な足取りで通路を進み、女神の間へたどり着く。面白いほど人に会わないな。催事のときくらいしか、女神の近くに制服はいないんだろうか。
扉は簡単に開き、俺は誰に見つかることもなく女神の寝室へ潜りこんだ。そっと扉を閉めると、すぐに部屋の中央から楽しげな声が聞こえてくる。
「いらっしゃい、私のかわいい子。今日は何しに来たの?」
「夜這いしに来たんだよ、レディ」
「まだ夜には早いのに、そんなことを企むなんて悪い子ね」
俺は思わず室内を見回した。斜陽差す窓も、文字盤も見当たらない。
俺は祭壇に歩み寄って訊く。
「時間がわかるの?」
「女神ですもの。太陽の動きはわかるわ」
「すっげぇ」
「それに、私の管理をしてる子たちが定期チェックに来るの。それで日付と時間はわかるわ」
「もしかして1日8回くらい?」
「ええ」
詳しく訊くと、時間帯も外の見回りと一緒だった。朝昼夕、そして深夜に2回ずつ。警備ゆるいな。別に、忍びこんで悪さしようってわけじゃないけど。
女神は水槽の中の金魚のようにゆるりと体をひるがえらせて、再度俺を見た。
「それで? 今日はどんなご用事?」
「訊きたいことがあってさ」
俺はしゃがみこんでガラスケースの中を見つめる。
小さくて細い体だ。姉ちゃんが小さい頃好きだった着せ替え人形みたい。借りたときにちょっと雑に振り回して、人形の腕を曲げて泣かれたことを思い出した。
吸いこまれそうな瞳をのぞきこみながら、俺は運命を司る女神に尋ねる。
「ぶっちゃけ、男同士の運命の相手って、そんなにいるの?」




