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アオハルファクトリー ―高卒作業者と大卒エリート、ふたりの不器用な再会―  作者: yazuya


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一章 七話

夜勤の終盤に差し掛かった頃、俺は少し変な癖がついていた。

夜勤前に早めに来て、松本から話を聞く。

それだけじゃ足りなくなっていた。

足りない、という言葉が正確かどうかはわからない。ただ、夜勤が終わっても、すぐに帰る気になれなかった。それだけのことだ。

夜勤が終わった。五時半。

空が白み始めていた。

更衣室で作業着を脱いでいると、後ろから声がかかった。

「先輩、帰らないんですか?」

陽菜だった。

作業着姿のまま、心配そうな顔でこちらを見ている。

「ちょっと松本班長に用があるから残るわ」

「ほんとですか。今週ずっと早く来てるじゃないですか」

「仕事だ」

「夜勤前に昼勤の仕事手伝うのは先輩の仕事じゃないと思いますけど」

正論だった。言い返せない。

「無理しないでくださいよ」

陽菜の声が少しだけ真面目になった。

「先輩が倒れたら困るんで」

「倒れない」

「倒れる人はみんなそう言うんですよ」

「ほっとけ」

「はーい」

いつもの返事だった。でも、いつもより少しだけ間があった。

「……高坂さんのこと、気になってるんですよね」

「仕事だ」

「毎回それ言いますよね、先輩」

陽菜は少し間を置いた。

「……そんなに気にしてもらえるの、ちょっと羨ましいですね」

声のトーンが、いつもと少し違った。

からかいとも、本音とも取れる言い方だった。

俺が何も言わないでいると、陽菜はすぐに「なんてね」と笑った。

いつもの笑顔だった。

でも一瞬だけ、目が笑っていなかった。でも、更衣室を出る時に「ちゃんと寝てください」とだけ言い残した。

更衣室で作業着を脱ぎながら、時計を見た。

昼勤の開始は八時半。あと三時間ある。

普通ならそのまま帰る。

でも今日は、なんとなく帰る気になれなかった。

休憩室に移動して、自販機でコーヒーを買った。椅子に座って、ぼんやりと飲む。

夜勤明けの体は重い。眠気も来ている。

でも、帰れなかった。

六時を過ぎた頃、早出の作業員が来始めた。おはようございます、と声をかけると、夜勤明けか、と返ってくる。いつもの流れだ。

七時半。

ゲートの前に見慣れた姿が見えた。

真昼だった。

他の実習生より少し早い。一人で来ていた。

正門を入って、更衣室の方へ向かっていく。

足取りは普通だ。でも、どこか重い。

気のせいかもしれない。

でも一週間前と比べると、後ろ姿が違う気がした。最初工場に来た日、真昼はもっと背筋が伸びていた。今も伸びていないわけじゃない。ただ、少しだけ違う。

八時半になって昼勤が始まった。

俺は休憩室の端から現場の入口を見ていた。

実習生たちが入ってくる。

田中と木下が並んでいた。二人で何か話しながら歩いている。笑い声も聞こえた。

真昼はその後ろだった。

二人から少し遅れて、一人で歩いている。

田中が何か言いながら振り返った。真昼の方を見て、一瞬間があって、また木下の方に向き直った。

声はかけなかった。

声をかけるかかけないかの、あの一瞬。

田中が悪いわけじゃない。ただ、どうしていいかわからないんだろう。真昼に近づきにくい何かが、もうできてしまっている。

松本が来たのはそのタイミングだった。

「まだいたのか」

「少し残ってました」

「夜勤明けなのに」

「たまたまです」

松本は少し俺を見てから、現場に目を向けた。

「高坂はどうですか」

俺が聞くより先に、松本が口を開いた。

「やっぱりその件か」

「……」

「正直、あまり良くないな」

松本が少し声を落とした。

「仕事はちゃんとやってる。それは変わらない。でも、現場の作業員たちとの距離が広がってる。田村さんの件以来、みんなどう接したらいいかわからなくなってる感じで」

「実習生同士は」

「田中と木下はすっかり仲良くなった。高坂は……今週に入ってから、三人でいる場面を一度も見てない」

俺は黙っていた。

「昨日の昼休み、一人で外のベンチにいたぞ。食堂にも来なかった」

「外で?」

「ああ。雨降りそうな空の下で、一人で飯食ってた」

松本はそこで少し間を置いた。

「まあ、残り一週間ちょっとだからな。本人が何とかするしかないとは思うけど」

「そうですね」

「でもまあ」

松本がぽつりと続けた。

「見てて、少しかわいそうだなとは思う。悪い子じゃないのはわかるから」

その言葉が、妙に引っかかった。

かわいそう、という言葉が合っているかどうかはわからない。真昼は同情を求めていない。求めていないのに、端から見るとそう見える。

それが、あいつの損なところだとずっと思っていた。

そして更衣室から真昼が出てきたので声を掛けに行った。

「高坂」

「……柴崎?」

真昼が目を細める。

「なんでこの時間にいるんですか。夜勤じゃないんですか」

「ちょっと用があってな。たまたまだ」

真昼は少し俺を見てから、また歩き出そうとした。

「待て」

「なんですか」

「顔色悪いぞ」

真昼の足が止まった。

「……そんなことないです」

「そうか」

「ないです」

強い言い方だった。でも、その目の下にうっすら隈があった。昨日も眠れなかったのかもしれない。

「外のベンチで昼飯食ってるって聞いた」

真昼の顔が少し固まった。

「誰から聞いたんですか」

「松本班長だ。高坂のこと心配していたぞ」

「……別に、外が好きなだけです」

「そうか」

「そうです」

引かない。昔からそうだった。弱みを認めない。

でも、一週間前より目が疲れていた。

高校の時も、こういう顔をすることがあった。テスト前の追い込みで睡眠を削っていた時。それでも「大丈夫」と言い張って、次の日もノートを広げていた。

あの頃は関係ない、と思って放っておいた。

今は少し違った。

「無理するな」

「無理してないです」

「そうか」

それ以上は言わなかった。

真昼も何も言わなかった。

しばらく廊下に沈黙が落ちた。

「……柴崎は」

真昼が少しだけ視線を落として、言った。

「なんで気にするんですか」

「さあ」

「さあって」

「俺にもわからん、けど放っておけない」

正直なところだった。

真昼は少しの間、俺の顔を見ていた。

何か言いかけて、やめた。

「……帰ってください。夜勤明けでしょう」

「ああ」

「ちゃんと寝てください」

「お前もな」

真昼が少しだけ目を逸らした。

それだけだった。

真昼はそのまま廊下を歩いていき、曲がり角の向こうに消える。

俺はしばらそこに立っていた。

目の下の隈。

食堂に来ない昼休み。

田中が振り返って、声をかけなかったあの一瞬。

全部が頭の中に残っていた。

来週から昼勤に戻る。

駐車場の車に乗り込んで、シートに背中を預けた。

空はもう完全に明るくなっていた。

エンジンをかけながら、ふと思う。

来週、昼勤に戻ったら何か言えるだろうか。

答えは出なかった。ただ、何かしなければならない気はしていた。

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