エピローグ
あの事件から一年が経った。本当に色々とありすぎた一年だった。
初夏の空は青く、薄い雲がゆっくりと流れていく。やわらかな陽光の差し込む窓辺のサイドテーブルに、その雲のようなベールがその上にそっとのせられている。アンジェはその日、花嫁衣装に身を包み、窓の外を見つめていた。そこにノックの音が響く。
「どうぞ」
「アンジェ……あらまあ、そんな顔をして」
顔を出したのはグレンダだった。喪の明けた彼女は薄い紫のドレスに身を包んでいる。
「あなたは花嫁なのよ?」
「……今になって怖くなってしまって。グレンダ未亡人」
「何が?」
「幸せで……ヘーリアでは……ユーリがどうなったのかもわからないのに、私ばかり……」
アンジェがそう答えると、グレンダは一瞬きょとんとした顔をしてその後笑い出した。
「何を考えているのかと思ったら……。あのね、これはあなたが勝ち取った幸福なのよ。もしかしてあなたはこの幸せがいつまで続くかこわいの?」
「ええ……夢だったらどうしようって」
「私もそうだったわ」
苦笑しながらそう言うグレンダに、アンジェは思わず聞き返した。
「あなたもですか?」
「ええ。遠いへーリアから愛する人だけを頼りにこの国に来たわ。思ったよりも短い時間だったけれど……」
「グレンダ……」
「アンジェ。でも私は幸せだったわ。なにも後悔はないの。それだけ彼を愛したから」
グレンダはそう言うと、サイドテーブルの上のベールを手に取った。
「さあ、あなたは今日、この国一番の幸せな花嫁よ」
「はい……」
母親を亡くしたアンジェにとって、今日はグレンダが母親代わり。彼女にベールを着けてもらい、その手を引かれて部屋の外に出た。
***
「よろしく、アンジェ」
「こちらこそ」
ブラッドリーがあんな事になったので、バージンロードを一緒に歩くのは母方の伯父のスモールウッド子爵だ。エインズワース領の美しい白い教会はもう目の前。
「お姉様、綺麗……」
「ルシアもかわいいわ。天使みたい」
「うふふふ」
厳かに教会の扉が開く。ルシアがバスケットいっぱいの花びらをまいて進む。招待客たちは、愛で結ばれた二人の婚姻を見届けようと待っている。その中には王太子殿下の姿もあった。
祭壇の前には礼服を着たルーカスが立っている。その目はこの上もなく愛おしいものを見つけた、というように細められた。
「アンジェを頼みます」
「はい……必ず幸せにします」
スモールウッド子爵からアンジェを引き渡されたルーカスはそう言って微笑む。祭壇の上の司祭は厳かに式を続けた。
「今日この日、二人が夫婦となることを認める」
「はい」
「それでは、署名を。そして指輪の交換を」
アンジェは結婚証明書に『アンジェ・エインズワース』と書いた。するとライナスがリングピローに指輪を載せてやってきた。
「ルーカスさん、姉様をよろしくね」
「ああ、ナイトの役割は今日で交代だ」
そしてアンジェの指に指輪がはまる。そしてアンジェは震えながらルーカスの指に指輪をはめた。
「では誓いのキスを……」
ふわり、とアンジェのベールが引き上げられる。
「アンジェ」
「ルーカス……」
少し切れ長の、優しいすみれ色の瞳がアンジェの目の前にある。アンジェはそっと目を閉じた。ルーカスはアンジェの手を握りしめたまま、その唇にキスを落とす。
「エインズワース伯爵夫妻、二人の婚姻は成されました」
その途端に拍手が起こった。グレンダは涙ぐんでハンカチを握りしめている。
「幸せだわ……」
アンジェがそう呟くと、ルーカスはその顔を覗きこんでくすりと笑った。
「これで終わりだと思ってる……?」
「えっ?」
「……俺達はもっと幸せになるんだよ。覚悟しておいてくれ」
「……ええ」
***
親愛なるユーリへ
盛大な結婚式と披露宴は人々の語りぐさとなりました。今は広々としたエインズワースの領地の屋敷で、ルーカスと双子達とゆったりと暮らしています。
私はヘーリアの本を見つけては買い込んでそれを翻訳するのを始めました。新政府によって失われてしまうかもしれない文化を少しでも残したい。それが私の第二の故郷に対する思いの表れです。
ルーカスは夫らしく領地経営に精を出しています。でも、体力が余っているのか時々馬に乗って随分遠くまで遠乗りに出ているようです。そんなルーカスを見てライナスとルシアも馬に乗りたがって、今度、ポニーを買ってもらう約束を取り付けて喜んでいます……。
「なあに、ハンナ?」
もう何通も書いた届く当てのない手紙を、アンジェはそっと隠しながらドアのノックの音に答えた。
「その……手紙が届いておりまして。カッセルのタウンハウスから転送されてきたのですが」
「……手紙?」
アンジェはそれを受け取った。宛名はただ、『アンジェへ』とだけある。アンジェはその文字を見て、慌てて封筒を開いた。
親愛なるアンジェへ
すまなかった。いつか、胸を張って君に会いたい。
愛をこめてユーリより
そこには短く、たったそれだけが書かれていた。
「……ユーリ、ユーリ!!」
それは間違いなくユーリからの手紙、どこから来たのか住所も何もない。だけど、ユーリはどこかで生きている。
「アンジェ? どうした!?」
「ああ、ルーカス!」
アンジェは涙を浮かべながらルーカスの胸の中に飛び込んだ。
「ユーリは生きているわ、ほら」
「……ああ。いつか会いに来てくれるかな」
「ええ、きっと来てくれるわ」
アンジェはルーカスの頬にキスをした。そして屋敷の庭の向こうに広がる田園を眺めた。この景色をいつか彼に見せてやりたいと。
~fin~
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