第1話 ステージ裏で深呼吸
二次審査の控室に入った瞬間、空気が変わった。
一次審査のときよりも、ずっと静かで、ずっと重い。
誰も無駄話をしない。
呼吸の音すら聞こえそうなほど、張りつめている。
「……ひよりさん……」
優ちゃんが、私の袖をそっと掴んだ。
その手は冷たくて、震えている。
「大丈夫。深呼吸しよ」
「……すー……はー……」
「もう一回」
「すー……はー……」
優ちゃんの肩が少しだけ下がった。
(よし、落ち着いてきた)
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ステージ裏の廊下には、候補生たちが並んでいた。
みんな真剣な顔で、前を見つめている。
その中に――
黒瀬瑠歌の姿があった。
壁にもたれ、静かに目を閉じている。
誰とも話さず、ただ呼吸を整えているだけなのに、
その存在感は圧倒的だった。
(……綺麗)
胸がぎゅっとなる。
ステージの上でも、控室でも、歩いていても、
どの瞬間も絵になる。
(……なんでこんなに気になるんだろ)
自分でもわからない。
でも、視線が勝手に吸い寄せられる。
「白石優さん、前へどうぞ」
スタッフの声が響いた。
「……っ」
優ちゃんの肩が跳ねる。
「大丈夫。優ちゃんはできるよ」
「……うん……!」
優ちゃんは震える足で前に進んだ。
その背中を見送りながら、私は胸に手を当てた。
(……緊張してるの、私もだ)
付き添いなのに、なんでこんなに心臓が痛いの。
そのとき。
瑠歌がゆっくりと目を開けた。
黒い瞳が、まっすぐ前を見つめる。
その視線は鋭いのに、どこか静かで、揺らぎがない。
(……呼吸してるだけでオーラあるって何)
心臓が跳ねる。
瑠歌は深く息を吸い、ゆっくり吐いた。
その一連の動作が、まるで舞台の一部みたいに美しかった。
(……やばい)
胸が熱くなる。
(……これが“推し”ってやつ……?)
自分でもよくわからないまま、
私は瑠歌の姿を目で追い続けていた。
「天野さん、付き添いの方はこちらでお待ちください」
「あ、はい!」
スタッフに案内され、私はステージ裏の待機スペースへ移動した。
優ちゃんの声は聞こえない。
瑠歌の姿も見えない。
でも――
胸の奥はずっとざわざわしていた。
(……優ちゃん、頑張れ)
(……瑠歌ちゃん、どうしてるかな)
応援したい気持ちと、推したい気持ちが混ざって、
胸が忙しい。
私は深呼吸した。
「……よし」
優ちゃんのためにも。
瑠歌のためにも。
そして、自分のためにも。
(……私も、覚悟決めよ)
ステージ裏で深呼吸しながら、
私は静かに“この世界に関わる覚悟”を固めた。




