ご対面
森の中に入り、10分ほど舗装された道を歩いていると、声は道を逸れた場所から聞こえるようになった。
僕はその方向を指さして言った。
「声はこの方角から聞こえる。ここから先は道を逸れないといけないみたい」
「おいおい、遭難したらどうするんだ?」と神崎君。
菅原君がうずうずした様子で言う。
「大丈夫だって。スマホ持ってるんだから。今時、電波が届かなくなる場所なんてそう無いよ」
「……それもそうだな。じゃ、進んでくれ菊池」
「ええ!? 僕が先頭なの?」
「当たり前だろ。お前にしか声が聞こえないんだから」
「うう……」
僕は涙目になりながら、鬱蒼と草木が茂る森の奥を見た。ここから先は枝に日光が遮られ、昼間でも薄暗くなっている。暗い場所は無条件で恐ろしい。
進むのを躊躇していると、幽霊さんの声が遠くから聞こえた。
「臆病者おおおおおお。早く来なさいよおおおお」
「ヒィッ、すみません」
僕は即謝罪し、仕方なく前に進んだ。二人も後に続く。
雑草や木の根を踏み越え、獣道ですらないような場所を歩いていく。声は徐々に近づき、よりはっきりと聞こえるようになった。
「キクっちゃあああああん。まぁだぁあああああ」
馴れ馴れしくあだ名で呼ばれている。だんだんと恐怖心よりも苛立ちの方が勝ってきた頃、霊の声が頭上から聞こえることに気づいた。
立ち止まり、空を見上げる。木の枝が毛細血管のように広がり、空を覆っていた。
その中に、一際目立つ物があった。木の先端あたりに、人の首が引っかかっていたのだ。その首と目が合う。首の口元が動き、声が聞こえた。
「そうそう、こっちこっち。やっと見つかった」
どうやら、あれで間違いないようだ。
「見つけたよ。あそこに幽霊さんの首がある」
僕は首がある位置を指さした。
神崎君が目を凝らしてそこを見る。
「おい、マジかよ……」
神崎君の声は妙に沈み、顔には不快感がにじみ出ていた。
「えっ、神崎君にもあれが見えるの?」
僕の問いに答える前に、菅原君もそこを見て言った。
「おおお、さすが本物の霊能力者。お見事」
そう言って首を見つめたまま拍手をする。
「ねえ、二人には何が見えてるの? 僕には普通の首にしか見えないんだけど……」
菅原君は視線を首からこちらに向けて言った。
「そうか、霊感があるか無いかで、あれの見え方が違うんだね。これは興味深い。オレと神崎にはね、あれが腐敗した人間の首に見えるよ」
「ええっ!?」
僕はもう一度首を見た。僕の目にはいたって普通の女性の首にしか見えない。もちろん、首から下が無いのは異様ではあるが、幽霊さんの首だと分かっているのであまり怖くはない。
だが、腐った首となれば話は別だ。そんなグロテスクな物を見れば、恐怖に体が竦んでしまうだろう。
幽霊さんの胴体が実体を持たない霊体なので、てっきり首の方もそうだろうと思っていた。だが、首には肉体があり、そこに霊体が宿っている状態らしい。そして、僕には霊体だけが優先して見え、霊感が無い二人には肉体だけが見えているのだろう。
上から幽霊さんの声がする。
「やっとまともに話せるねー、キクっちゃーん。仕事増やして悪いんだけど、私の首、下に降ろしてくんなーい。それから胴体にくっつけてほしいんだけどー」
「あの、えっと、分かりましたー」
とりあえず返事をする。
「ん? なんて言われたの?」と菅原君。
「あの、首を降ろしてくれって」
神崎君が綺麗な顔を歪めて言う。
「うへぇ。俺、絶対嫌だからな。あれに触るの」
幽霊さんの声を降り注ぐ。
「ひどーい。神崎君が私を降ろして。じゃないと一生取り憑いてやるから」
僕じゃなくて良かった、と思いつつ、神崎君に伝える。
「神崎君が降ろさないと一生取り憑くって言ってるよ」
すると、神崎君に胸ぐらを掴まれた。
「テメェ、本当だろうな! 自分がやりたくねーからって嘘ついてんだろ!」
「う、嘘なんか言ってないよ。僕に神崎君を騙す(だま)す度胸があると思う?」
「それもそうだな」
神崎君は即答し、あっさり胸ぐらを放した。
「あやまれー」
菅原君がヤジを飛ばす。
「すまん、菊池」
「い、いいよ別に」
「しょーがねー。じゃ、俺が行くか」
そう言うと、幽霊さんが神崎君の背中から離れた。首が来るのを下で待つつもりらしい。
神崎君は木の幹に手足をかけ、するすると登っていった。あっという間にてっぺんに着く。
「うわ、くっせー」
神崎君が臭いに顔を歪めると、幽霊さんの首が文句を言った。
「失礼ね! お風呂入ってないんだから当たり前でしょ!」
もはやそういう問題ではないと思うが、文句が聞こえない神崎君は、構わず木の枝に結ばれている幽霊さんの髪を解いた。
それが終わると、髪を掴んでいた手を離し、首を地面に落とした。
「ぎゃああああああああああ」
幽霊さんの絶叫が響く。下で待機していた胴体が急いで落下点に駆け寄った。ぎりぎりのタイミングで首をキャッチすると、手には霊体の首だけが残り、肉体はベチャリと音をたてて地面に衝突した。
実に乱暴なやり方だ。幽霊さんが怒らなければいいが。
僕は心配しながら幽霊さんの首を覗き込んだ。首が叫ぶ。
「もう、乱暴しないでよ! 女の顔に傷がついたらどうすんのよ!」
幽霊に傷もクソもないし、肉体に至っては既に腐って傷どころではない。冗談を言っているところを見ると、どうやらそれほど怒っていないようだ。
ほっとしたのも束の間、強烈な腐臭がして、思わず鼻を押さえた。しかも、霊体を纏わなくなった首は、自分の目にも腐敗した首として見えた。皮膚は赤黒く変色し、所々が破け、崩れている。
「オゥエッ、オエッ」
僕は吐き気を催して首から目を背けた。
「よっと」
降りてきた神崎君が、かけ声と共に木から地面へと飛ぶ。
「大丈夫? 菊池君」
菅原君が心配そうに僕の顔を覗き込む。
「う、うん。大丈夫。首を見てびっくりしちゃって。見なきゃいいだけだから」
「見なきゃいいって何よ。それが人の顔に対して言うセリフ?」
突然、かがんで地面を見ていた僕の眼前に、女性の顔が突きつけられた。
「うわぁっ」
驚いて尻餅をつく。前には霊体の首を両手で持った幽霊さんが立っていた。
「昔こんな手品あったよね。マジシャンの首が突然下に落ちるやつ」
そう言って幽霊さんは自分の首を肩の高さに持っていき、腰ところまでがくんと下げた。
「驚かせないでくださいよ。早く胴体にくっつけてください。怖いんで」
「自分の首を持つなんてなかなかできない体験でしょ? すぐにドッキングしたらもったいないじゃない」
「ドッキングって……」
「まあ、いいわ。泣き虫なキクっちゃんのためにドッキングしてあげる」
そう言うと、幽霊さんは首と胴体の切断面同士をくっつけた。首はすぐに繋がった。
「いーねー、ぴったり。久しぶりだわ、この高さから景色見るの」
首がくっついた幽霊さんは、辺りをきょろきょろと見た。
首無しではなくなった幽霊さんは、見た目の怖さがぐっと抑えられ、恐怖感はほとんど無くなった。すると、冷静に幽霊さんの顔を見られるようになり、その容姿が美しいことに気づいた。目がぱっちりと大きく、鼻筋がまっすぐ通っている。歳は若く、二十代前半くらいに見える。
「菊池君、幽霊はどうなったの?」
菅原君に言われ、はっとして答える。
「ああ、えっと、今、幽霊さんの首が胴体とくっついたんだ」
「その幽霊さんってのもう止めてよ」と幽霊さん。「私の名前は村井薰。薰ちゃんって呼んでね」
「幽霊の名前は村井薰で、薰ちゃんって呼んでほしいって」
菅原君が腕を組んで言う。
「ふむ。じゃあ、薰ちゃんにどうして首が切断されたのか教えてもらおうか」
「お、よくぞ訊いてくれました白髪ちゃん。それはね――」