楔山の怪談
気まずい空気に押しつぶされながら歩き、神崎君の家の前に到着する。神崎君の家は、住宅街に佇む一軒家だった。近所の家々に比べて明らかに古く、小さく、薄汚い。容姿が完璧な神崎君とはおよそ不釣り合いな住居だ。
「いつ見ても薄汚いなぁ」と菅原君がズケズケ言う。
「借家なんだからしょーがねーだろ」と神崎君。
どうやら神崎君の家計は貧しいらしい。天は二物を与えず、という言葉が頭に浮かんだ。
神崎君が玄関の引戸を開ける。三人で中に入ると、「あっ、お兄ちゃんだ」という男の子の声が聞こえた。奥の部屋からドタドタと足音を立て、男の子と女の子が走ってくる。
神崎君の弟と妹のようだ。小学生くらいの子供なのだが、二人とも神崎君に似て目が切れ長で鋭く、美形の悪役幹部のような顔をしている。それはもう、びっくりするほど可愛くない。僕は思わず笑いそうになり、太ももをつねって必死で堪えた。
「あっ、すーさん」と、弟くんが菅原君を見て言う。
「こーちゃん、久しぶりだね」と菅原君。
「ねー、なんかちょーだい」
「コラッ、すぐ物をねだるなって言ってるだろ」と、神崎君が叱りつける。
「ねー、ちょーだいちょーだい」
弟くんは菅原君の右腕を掴んで揺さぶった。
「わたしにもー」と、妹ちゃんも左腕を引っ張って言う。
「ごめんね。今日は何も持ってないんだ。今度またあげるから」
そう言って菅原君は二人の頭を撫でた。
「じゃあ次は絶対ね」と弟くん。
「絶対だよ」と妹ちゃん。
神崎君が二人を手で追い払う仕草をして言う。
「ほら、分かったらさっさと部屋に戻って宿題でもしてろ」
「うるせークソアニキ」と弟くん。
「そうだそうだ。うるせーぞ貧乏人」と妹ちゃん。
二人は悪態をついて奥の部屋に戻っていった。
「騒がしくて悪いな。さっさと俺の部屋に行こう」
神崎君はそう言って、玄関前の階段をのぼった。僕と菅原君も後に続き、二階にある神崎君の部屋に入った。
中は質素で、特に変わった物は置かれていない。ただ目を引いたのは、壁に飾られた四枚の賞状だった。武道の段位を証明する賞状で、それぞれ空手、柔道、剣道、合気道で三段を授与すると書かれている。
さすが不良。武道の腕は超一流らしい。僕なんて五秒もあれば殺せるだろうと思い、ごくりと唾を飲む。
「さてと、じゃあさっそく、この間あったことを話すか」
神崎君は部屋に一つだけある椅子に座って言った。僕は菅原君と床に腰を降ろす。
「一昨日の土曜日にな、俺と菅原は二人で楔山に行ったんだ。楔山は知ってるよな?」
「うん」と、頷く。
楔山は町外れにある山のことだ。行ったことはないが、名前くらいは聞いたことがある。たしか、高校から5キロほど離れた場所にあったはずだ。
「そこに行ってきたんだよ。こいつに誘われてな」
神崎君は顎を菅原君に向けてしゃくった。
「オレはオカルトマニアでね」と菅原君。「最近、楔山が心霊スポットになったっていうから、いてもたってもいられなくて、神崎と二人で見に行ったんだよ」
「最近?」と僕は首をかしげた。
最近、楔山が心霊スポットになるような事件でも起こったのだろうか。そんな話は聞いていないが。
菅原君が事情を説明する。
「そう、最近。昔から、じゃなくてね。これはネット情報なんだけど、最近、楔山近辺で、首無しの幽霊を目撃した人がいるっていうんだよ。こんな目撃情報は前まで無かった。しかも、目撃情報がこの一ヶ月で立て続けに増えてるんだ。だけど、楔山で死人が出るような事件は発生してない。どうしてこんなことが起こるのか気になるよねぇ? だから行って確かめようとしたんだ」
僕は能天気な二人に少々呆れた。自分だったら危ないから絶対に行かない。度胸があるというかバカというか……。
「俺は嫌だったけどな」と神崎君。
「神崎は喧嘩が強いから、用心棒として来てもらったんだよ。心霊スポットは霊だけじゃなくて、そこに屯してるかもしれないチンピラも危険だからねぇ。で、一緒に行ったんだけど、そこでは何もなかった。首無しの幽霊なんかいないし、他におかしなところも見当たらない。オレ達はがっかりして帰ったんだ」
「オレ達じゃなくてお前だけな、がっかりしてたのは」と、神崎君がツッコむ。
菅原君は意に介さず続けた。
「ま、そんなこんなで、最初はネットの情報がデマだったんだと思ってた。でも問題が起きたんだ。神崎に」
「そ。帰ってる途中から妙に肩が重くなってな。誰かにおぶさられてるみたいに。俺は幽霊なんか信じてなかったから、気のせいだと思ってた。でも、学校に行ったらお前が俺の肩を見て驚くし、しかも首無しの幽霊が憑いてるなんて言うから、こうなると信じるしかなくなった。幽霊の存在を」
「嬉しいな。幽霊が本当にいるって分かって」
菅原君が子供のような笑顔を見せる。
僕は菅原君の気持ちがまるで分からなかった。サンタクロースじゃあるまいし、実在すると分かってどうしてこんなに喜ぶのか。こっちからすれば、いないと分かった方がよっぽど嬉しい。幽霊は幻覚や幻聴の類いで、自分は霊感があるのではなく、頭がおかしいだけだと分かった方が、よっぽど……。
「ん、どうかした?」
菅原君が心配そうに尋ねてくる。
「あ、いや、なんでもないよ。ちょっと考え事をしてただけで」
「そっか、でね、ここからが本題なんだけど、なんとか菊池君の力で、楔山の真相を解明できないかな?」
「僕の力で?」
「おい、ちょっと待て」神崎君が話を遮る。「真相解明なんてどうでもいいんだよ。そんなことより俺に取り憑いた幽霊をどうにかするのが先だ」
「まぁまぁ」と菅原君。「それは真相解明の後でいいじゃない」
「良くねーよ! お前は他人事だからそんな事が言えるんだ。菊池お前、除霊はできるのか?」
「う、ううん。できない」
「じゃあ俺はどうすればいい?」
「お祓いとか受けたらいいんじゃないかな」
「よし、じゃあ、菊池には本物の霊能力者を探すのに協力してもらおう。偽物に騙されるのはごめんだからな」
菅原君が慌てて言う。
「待って待って。そうするにしたって時間がかかるだろ? だいたい、お金はどうするの?」
「……除霊っていったいいくらかかるんだ?」
「分からない」と僕は首を振る。
「そりゃあ、霊能力者によって変わるだろうね」と菅原君。「運良く無料でやってくれる人が見つかるかもしれないけど、十万、いや百万くらい要求する人もいるかもしれない」
「百万! そんなにぼったくるのか?」
「別に不思議なことじゃないよ。相手が本物の霊能力者なら、それくらいの対価は要求してしかるべきだ。なんせ、医者よりもよっぽど希少な人材だからね」
「チッ」
神崎君が舌打ちし、菅原君はニコニコしながら言った。
「だぁかぁら、真相解明を急ぐ必要があるんだよ。除霊の基本は霊が現世に留まる理由を調べることだ。そうすれば、その理由を取り除いて成仏させられる。それには霊の境遇を知ることが不可欠。そして、菊池君を味方につけた今のオレ達なら、それが可能なんだよ」
「でもよぉ、霊には首が無いせいで、菊池でも意思疎通できないんだぜ? 真相解明なんて無理じゃねーか?」
神崎君がそう言い終えると、突然、背中にしがみついていた霊が、その腕を解いて歩き出した。そして、僕の前で立ち止まる。
僕は心臓が止まりそうになるほど恐怖した。神崎君の怖さにかき消されて忘れていたが、同等、いやそれ以上に恐ろしい存在が身近にいたのだった。
「あ……あっ」
二人に伝えようとするが、声が上手く出せない。それを察して、菅原君が声をかけてくれた。
「菊池君、どうしたの? 顔色悪いけど」
僕は自分の前を指さした。菅原君が訊く。
「ここに何かいるの?」
僕は頷いて意思表示をした。
その時、神崎君の怒声が響き渡った。
「ならそう言えや! 黙んな!」
僕は黙るのも怖くなって、早口で捲し立てた。
「ヒィィ、ごめんなさい。いますいます、めっちゃ幽霊います。ここに立ってます」
「それって当然俺の肩にいた奴だよな」
「はい、そうです。それが突然立って僕の目の前に」
「敬語やめろ!」
「ごめんなさい!」
「いちいち謝んな!」
「うん!」
神崎君との問答が終わると、幽霊がすっと僕の方に手を出してきた。怖くて避けたかったが、霊を怒らせると思うとそれもできない。
霊の両手は僕の右手に伸び、優しく包み込んだ。温かい感触が伝わる。生きた人間に握られているのと同じだ。
今まで霊に触れられたことは何度かあったが、どれもひやりと冷たい感触だったし、霊感がある者をからかおうとする悪意も感じられた。
しかし、今回はその逆だった。こちらを落ち着かせるような暖かさで、悪意は一切感じられない。この幽霊も、今朝見た幽霊と同じで、怖がられるのを避けたがっているのかもしれない。そう思うと幾分か恐怖は和らいだ。
幽霊が僕の手を放す。結局、手を握る以外何もされなかった。やはり幽霊はこちらに敵意がないことを伝えたいらしい。
僕は今朝、あの幽霊に言ってあげたかったことを、代わりに目の前の彼女に言った。
「怖がってごめんなさい。僕、極度の怖がりなもので」
すると、彼女は右の手の平をこちらに向け、左右に振ってみせた。「大丈夫、気にしないで」という意味だろう。
菅原君が興味津々な様子で訊いてくる。
「ねえ、菊池君。今、霊と何か話してるの?」
「いや、話してはない。ジェスチャーで何となくやりとりしてるだけ」
「充分だよ。ジェスチャーだけで何か聞き出せない?」
「えっと……」
そう言われても難しい。何を質問すればジェスチェーだけで答えられるだろうか。
腕を組んで悩んでいると、幽霊さんの方から何かを伝えてきた。人差し指で首から上をさし、円を描くように指を回している。
「頭、ってことですか?」
僕が言うと、幽霊さんは両手を上げて丸をつくった。正解ということらしい。
すると、幽霊さんは人差し指で、今度は部屋の隅の方をさした。そこにはハンガーで神崎君のTシャツがかかっている。
「Tシャツ、ってことですか?」
そう言うと、幽霊さんは両手でバッテンをつくった。今度は不正解らしい。シャツそのものではないとすると、そこにプリントされた柄のことだろうか。シャツには『喧嘩中等 殺戮上等』という筆文字がプリントされている。
「喧嘩中等、殺戮上等、ってことですか?」
そう尋ねると、幽霊さんは突如としてこちらの胸ぐらを掴み、ピンク色した首の断面を顔に押しつけてきた。堪らず怖くて叫ぶ。
「グロいグロいグロい! 夢に出るからやめてください!」
幽霊さんは胸ぐらを放し、また両手でバッテンをつくった。どうやらまったく答えが違ったため、腹を立てて嫌がらせをしてきたらしい。友好的な幽霊でも油断ならない。
「さっきから何やってんだ」
神崎君が呆れながら言った。菅原君にも尋ねられる。
「ねえ菊池君、幽霊はいったい何をジェスチャーで伝えてるの?」
「あの、首から上を指さした後、あそこをさしてるんです」
僕は幽霊の代わりに部屋の隅を指さした。
ぶるっと震えて神崎君が言う。
「おいおい、不気味なこと言うんじゃねーよ。まさか、そこに幽霊の首があるんじゃねーだろうな?」
「ううん、そんなものは見えないよ。だから別の意味だと思うんだけど」
「いや、神崎の言う通りだ」菅原君が確信に満ちた様子で言った。「幽霊が指さしてるのは楔山がある方角だ。おそらく楔山に自分の首がある。そう言いたいんじゃないのかな?」
神崎君がそう言うと、幽霊さんは両手を上げ、丸をつくった。
「正解だって。すごいね菅原君」
「これは面白いことになってきたね」と、菅原君が笑顔で言う。
僕は嫌な予感がした。なんだか自分にとってまずい方向に事態が進んでいるような気がする。
「やることは決まったな」と、神崎君。「とりあえずまた楔山に行って、幽霊の首を探すぞ。そうすれば幽霊とスムーズに会話できるようになるはずだ」
「そうだね。じゃあ、次の週末なんてどうかな?」
「ちょっと待って」僕は慌てて二人を制した。「それ、僕も行かなきゃいけないの?」
「えええええ!?」菅原君が驚いて言う。「まさか、菊池君行きたくないの? どうして?」
神崎君が冷静にツッコむ。
「いや、それは分かるだろ。こんだけビビりなら行くの嫌がって当然だ。ま、無理やりにでも連れて行くけどな。菊池がいれば幽霊に案内させて、首の在処が分かる」
「そ、そんな……」
「安心しろ。次は夜じゃなくて昼間に行くから」
「ええええええ!?」また菅原君が驚く。「わざわざ昼に行くの? 丑三つ時じゃなくて?」
「お前はビビりたいだけだろ! ホラー趣味もいい加減にしろ!」
「そんなぁ。でも仕方ないか。菊池君に合わせた方がいいもんね」
合わせてくれるなら行かないという選択肢をくれ、と心底思ったものの、こうなれば二人に付き合うしかない。幸い幽霊さんも悪い霊ではないと分かっているし、危ないことは起こらないだろう。たぶん。
僕は無理に自分を納得させ、二人に協力することにした。その後、楔山に行く日取りを決め、今週の土曜日の午前10時に、神崎家の前に集合することとなった。