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第239話 逃げられない

指先に触れる紙の質感は極めて滑らかであり、辺境の粗悪な品とは明らかに異なる。


表面に記された文字の配列、インクの深い黒色、そして無駄のない筆致。


差出人の名も宛名も記載されていないその外観が、以前にあの古い屋敷で受け取った無言の圧力と完全に一致している。


心拍数が急激に上昇し、冷たい空気が肺を素早く出入りした。


封蝋を小刀で素早く切り裂き、折り畳まれた羊皮紙を開く。


ナミスが私の斜め後方に立ち、剣の柄に手を添えたまま室内の気配を探っている。


文字の羅列へ視線を落とした。


『リリス様。昨日、王都近郊の市場にて一銀貨一錠の価格で三ヶ月分の薬をご購入されたこと、誠に喜ばしく存じます』


一行目の記述が、私の眼球から脳髄へと直接突き刺さる。


『しかしながら、当方とリリス様との契約価格は一錠十金貨でございましたはず。つきましては、不足しております899金貨と10銀貨、それと先日1ヶ月分の300金貨を、一ヶ月以内にお支払いいただきたく存じます』


文面は極めて丁寧な敬語で統一されていた。


粗野な脅迫の言葉は一切存在しない。


ただ、冷徹な数字と事実の確認だけが整然と記されている。


両手が微かに震え、羊皮紙が細かい音を立てて揺れた。


昨日の夜、ナミスが王都近郊の裏市場で接触し、適正価格で取引を行ったという事実。


その極秘であるはずの行動が、すでにこの手紙の差出人に完全に捕捉されている。


思考が急速に回転を始める。


辺境のガーナー領近くに潜む小さな組織と、王都近郊の巨大な裏市場。


その二つの地点が、完全に同一の情報網で連結されているという明確な証明。


この手紙を書いた者は、ただの裏社会の売人ではない。


王都周辺の市場の動向を即座に把握し、公爵令嬢である私の動向を監視し、正確に伝達できるだけの広範な権力と情報網を持つ存在。


高い地位を持つ貴族、あるいはそれに匹敵する特権階級の者が、この組織の背後に君臨している。


私軍を動員し、ガーナー領近郊の小さな拠点を物理的に焼き払うという私の計画は、実行する前から完全に破綻していた。


例え一つの拠点を潰したとしても、私の正体と禁薬への深い依存という致命的な弱点は、すでに国内のあちこちの闇市場の管理者たちに共有されている。


手首の自傷痕が、激しい痛みを訴え始める。


胃の奥から冷たい感覚がせり上がり、私の四肢から急速に熱を奪っていった。


逃げ場はない。


私がどこへ逃げようとも、誰から薬を買おうとも、彼らは必ず私を見つけ出し、一錠十金貨という絶対的な負債を私に押し付ける。


私は独立した交渉相手ではなく、莫大な黄金を吸い上げるための完全に囲い込まれた獲物として、彼らの手の中に収まっているのだ。


手にした羊皮紙を卓の上に落とした。


紙が木板に当たる乾いた音が室内に響く。


ナミスが前に進み出た。


彼の視線が羊皮紙の文面を捉え、その栗色の瞳の奥で瞳孔が収縮する。


彼の厚い手が硬く握り締められ、革の手袋が軋む音を立てた。


「リリス様……」


ナミスの声は低く、ひどく掠れていた。


「私軍を動かす計画は、白紙に戻す」


世界が明滅するほど、めまいがする。


「辺境の拠点を一つ潰したところで、私の秘密はすでに広大な闇の中に拡散している。反撃に出れば、彼らは即座に私の依存の事実を王家と公爵家へ報告するでしょうね」


私は椅子に深く腰を下ろし、両手を膝の上で組み合わせた。


爪が手の甲の皮膚に食い込み、微かな痛みが現実を証明する。


武力による解決の道は完全に閉ざされた。


私に残された選択肢は、一ヶ月以内に約1200金貨という莫大な資金を工面し、大人しく彼らに差し出すことだけ。


「足りない分の金貨、一ヶ月以内に……支払うしかない」

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