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第215話 応じれない思い

荒野の風が吹き抜ける中、リリスは芝生の上に座り込み、ナミスの大きな掌を自分の両手で包み込んでいた。


彼の皮膚から伝わる確かな熱量が、冷え切った彼女の指先から腕へと、静かに、しかし確実に広がっていく。


薬を半錠に減らしたことで生じた精神の空洞が、過酷な乗馬による肉体の痛みと、目の前にいる彼という確固たる存在によって埋め合わされていく。


リリスは絡めた指にさらに力を込め、無意識のうちに上半身を前方へ傾けた。


彼女の額が、ナミスの硬い胸当ての装束に触れる。


布越しに伝わる彼の体温と、一定のリズムを刻む鼓動。


「ナミス……」


その声はひどく甘く、彼女自身でも驚くほど熱を帯びていた。


彼の首に腕を回し、自らの身体を完全に彼へと預け、深く抱きつく。


桜色の髪が彼の肩に零れ落ち、吐息が彼の首筋に直接触れる。


限界まで酷使した体は熱を持ち、汗の匂いと微かな甘い香りが周囲の空気に溶け出していた。


リリスは顔を彼の胸に擦り寄せ、さらに強く彼を抱きしめる。


ナミスは膝をついたまま、完全に動きを止めた。


腕の中に飛び込んできたリリスの身体は、驚くほど細く、そして熱い。


薄いドレス越しに伝わる柔らかな感触と、首筋を掠める甘い吐息。


彼女の全幅の信頼と庇護を求める仕草が、ナミスの理性を激しく揺さぶる。


心臓が肋骨の裏側で激しく警鐘を鳴らし、呼吸が浅くなる。


腕を回し、彼女の細い背中を抱きしめ返したいという衝動が全身を支配しかけた。


だがナミスは、握り締めた両拳を膝の上に固定し、その衝動を力任せに押さえ込む。


彼女のこの愛情も依存も、決して健全な精神から生まれたものではない。


半錠の薬による離脱症状の反動、極度の不安感、そして過酷な乗馬による精神の一時的な麻痺。


それらが複雑に絡み合い、彼女を極端な依存状態へと追い込んでいる。


これは真実の愛ではなく、薬と恐怖が作り出した錯覚かもしれない。


彼女はあの方に裏切られが、それでも、彼女は“あの方のもの”として扱われる立場にある。


ナミスの想いがどれほど本物であろうと、その事実を覆すことはできない。


彼女を救いたいという感情と、彼女を奪ってはならないという理性が、同時に存在している。


抱きしめれば壊してしまう。


拒めば、彼女をさらに孤独に追い込む。


そのどちらも選べないまま、ナミスはただゆっくりと呼吸を整える。


両手をリリスの細い肩に置き、わずかに力を込めて彼女の身体を胸から静かに引き離した。


「……リリス様」


その声は意図的に低く、平坦に抑えられている。


リリスは押し戻され、潤んだ瞳で彼を見上げた。


「少し、汗をかきすぎましたね。冷たい風に当たり続けると、お体に障ります」


ナミスは彼女の視線を正面から受け止めながら言葉を紡ぐ。


手を伸ばせば届く距離にいながら、決して踏み越えてはならない一線が、確かにそこにあった。


「そろそろ屋敷へ戻る準備をいたしましょう。午後の政務について、ザロが報告を待っているはずです」


「……政務、など」


リリスは指を握っていた手を力なく離し、視線を落とした。


「今は、もう少しだけこのままでいたいの。貴方の熱が、私を落ち着かせてくれるから」


その声には、拒絶への微かな失望と、強い懇願が滲んでいる。


「いけません。お体はすでに限界を超えています。明朝の視察に支障を来すわけにはいきません」


ナミスは立ち上がり、彼女から距離を取った。


右手を差し出し、立ち上がるよう促す。


リリスは差し出された手と、その奥にある感情を押し殺した表情とを交互に見つめた。


彼女の身体の熱は、冷たい風によって急速に奪われていく。


彼が自分を救い、支えていることは疑いない。


だが同時に、それ以上の関係を決して許さないこともまた、明白な事実だった。


「……ええ、わかったわ」


リリスは小さく息を吐き、差し出された手に自らの手を重ね、ゆっくりと立ち上がった。

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