第202話 闇組織の面会要請
ガーナー領の中央広場に面した市場は、活気に満ちた人々の熱気に包まれていた。
頭上には色鮮やかな天幕が張られ、石畳の上には様々な品を積んだ荷車が行き交う。
私は、タロシア家の私兵の装束を纏ったカシリア殿下と共に、店舗の視察を続けていた。
殿下は少し後方を歩き、私の背中と領民たちのやり取りを静かに見つめている。
胃の底に沈む金色の薬が、私の視界を圧倒的な色彩で満たし、全ての言葉を滑らかに紡ぎ出させていた。
織物商との税率の交渉を終え、次の店舗へ向かおうとした時、背後からナミスが音もなく近づいてきた。
彼は私の斜め後ろに立ち、体をわずかに傾け、口元を私の耳元へ寄せた。
「リリス様」
周囲の喧騒に掻き消されるほどの低い声。
「先日の医者が、面会を求めてきております。緊急の報告があるとのことです」
ナミスの吐息が耳にかかり、声の硬さから事態の異常性が伝わってくる。
私の呼吸が僅かに止まる。
医者。
私に禁忌の薬を与えた、あの闇組織の男。
もし彼が今ここで接触してくれば、私の全てが崩壊する。
薬への完全な依存、幻聴と絶望に塗れた真の姿が、カシリア殿下の前に晒されることになる。
私は視線を前に向けたまま、顔の筋肉を一切動かさず、完璧な微笑みを維持した。
心臓の鼓動が速くなるのを感じたが、薬の力が即座にその恐怖を甘美な刺激へと変換していく。
私は足を止めず、わずかに首を傾げてナミスにだけ聞こえる声で答えた。
「断りなさい。今は対応できません」
言葉は冷たく、一切の感情を排した命令として紡がれた。
「殿下がおられます。ここで接触を持てば、全ての計画が水泡に帰します。彼には、七日後の夜、例の屋敷で待つように伝えなさい。それ以外の接触は一切許可しませんわ」
私は視界の端で、数歩後ろを歩くカシリア殿下の革靴の動きを確認する。
殿下と私の距離は保たれている。
ナミスは微かに頷き、姿勢を正した。
「畏まりました。すぐに手配いたします」
彼は足音を立てずに後退し、人混みの中へと消えていった。
私は再び前を向き、次の店舗に立つ香辛料の商人へ向けて、完璧な慈愛の表情を作った。
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カシリアは、数歩後ろからリリスの背中を見つめていた。
側近のナミスが近づき、耳元で何事かを囁いた直後。
彼女は足を止めることなく、表情一つ変えずに短い指示を与えた。
その横顔には、王都の貴族たちが持つような甘えや躊躇いは一切存在しない。
冷徹なまでの判断力と、即座に状況を支配する圧倒的な指導者の顔。
彼の目には、その一連の動作が、領地の緊急事態に対する的確な対応として映っていた。
自分という王太子の前であっても、一切の動揺を見せず、完全に領地を掌握している。
彼女の放つ絶対的な魅力が、カシリアの思考を強く縛り付けていく。
かつて王宮で見た、ただ美しく従順なだけの令嬢ではない。
泥と汗でできたこの辺境の地で、自らの意志で民を導く真の王妃の姿がそこにあった。
カシリアは革手袋越しに拳を握り込む。
彼女への執着が、彼の胸の奥で熱を持った塊となって膨張し続けていた。




