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第197話 理解者

木製の椅子に背を預けたオレの言葉を受け、リリスは手元の硝子の杯を静かにテーブルへ置いた。


彼女の桜色の髪が、丘を吹き抜ける風に揺れる。


その澄んだ瞳がオレの顔を真っ直ぐに捉え、柔らかく、しかし確かな意志を持った声が響いた。


「殿下。私は、殿下の抱えられている葛藤を理解しておりますわ」


オレは微かに眉を寄せ、彼女の次の言葉を待つ。


リリスは膝の上で両手を重ね、静かに息を吸い込んだ。


「王太子として生を享けた殿下は、これまでずっと、周囲から『王としてあるべき姿』を求められ続けてこられました。現王陛下の手法を手本とし、それに従うことだけを期待される日々。その重圧の中で、ご自身の本心や考えを深く抑え込んでこられたのではございませんか」


彼女の指摘は、オレが長年覆い隠してきた核の部分を正確に突いていた。


「そうだな……」


誰も口にすることのなかった事実。


貴族たちも、親衛隊の者たちも、父である国王でさえ、オレに求めるのは王国の安定を担う完璧な後継者としての振る舞いのみ。


個人の意思など、最初から存在しないものとして扱われてきた。


「しかし、私はこう考えます」


リリスは言葉を区切り、さらに一歩踏み込むように上体をわずかに前へ傾けた。


「殿下は、そこまでご自身の気持ちを隠す必要はないのです。王とは、ただ玉座を継ぎ、先代のやり方を模倣して統治するだけの存在ではございません」


「ご自身の意思で王となり、この国をより良く変えていこうとすること。それこそが、殿下が真に望んでおられることではないでしょうか」


オレは膝の上に置いた拳を固く握りしめた。


革手袋の奥で、指の関節が軋む。


自分の意思で、国を変える。


その言葉は、オレの思考の底に沈殿していた熱を急激に引き上げた。


リリスは視線を丘の下、活気を取り戻しつつあるガーナー領の街並みへ向けた。


「その一例が、この領地の状況に表れております。殿下は、命を懸けて国を守り抜いた騎士たちに、戦いの後は憂いなく余生を過ごしてほしいと願っておいでのはず。だからこそ、今までここに支援金を送られました」


彼女は再びオレへ視線を戻す。


「ガロス子爵は、決して経営の才に長けた方ではありません。ですが、人柄は実直であり、私利私欲に走るような真似は決してなさいません。支援金の管理を任せる人物としては、最も適しておりますわ」


オレは静かに頷いた。


ガロス子爵の無能さは理解していたが、その清廉さを買って配置した。


だが、同時に突きつけられる現実もある。


「……だが、王家の内庫から送れる資金にも限界がある。国内の税を上げれば、今度は別の領民が苦しむことになる」


オレが為政者としての手詰まりを口にすると、リリスはふっと、微笑を浮かべた。


「ええ。国内の富を再分配するだけでは、いずれ限界が訪れます。自国民からこれ以上搾り取るわけには参りません」


彼女の澄んだ瞳の奥に、暗く知性の炎が灯る。


「ですから、殿下。視点を『外』へ向けるのです」


「外、だと?」


「守るべきは“この国の民”のみ。他国の富を奪い、この国へ流し込むこと。それもまた、王の責務でございます」


オレは息を呑んだ。


「な!?」


「他国が貧しくなれば、その分だけ我が国は豊かになります。これは悪ではなく、“均衡の取り方”に過ぎません」


リリスの声は、春の風のように優しく、同時に氷のように冷酷だった。


ただの美しい公爵令嬢ではない。


国家という巨大な獣を食わせるためなら、他国を贄にすることも厭わない。


血と鉄の論理を完全に理解し、操る為政者の顔だ。


「国内を理想で縛り付け、自国民に我慢を強いる必要などないのです。外から奪い、内を潤す。そうすれば、ガロス子爵のような不器用な忠臣も、名もなき民たちも、等しく豊かな明日を迎えることができますわ」


反論の余地はなかった。


オレの抱える「民への優しさ」を完遂するためには、彼女の言う通り「他国への非情さ」が不可欠なのだ。


リリスは言葉を終えると、再び年相応の可憐な令嬢の顔へと戻った。


「殿下は、誰よりもこの国の民を思いやる優しさを持ったお方です。その心と決断がある限り、殿下は必ず、素晴らしい王になれます」


「そしていつか、この国の人々『だけ』が、永遠に幸せそうに笑い合える未来が訪れる。私は、そう信じておりますの」


リリスの言葉が途切れ、丘の上には風の音だけが残った。


オレは目を大きく見開き、彼女の桜色の髪と、眩いほどの微笑みを凝視した。


心臓が肋骨を狂ったように叩く。


血液が急激に全身を駆け巡り、耳の奥で自らの鼓動が鐘のように響き始めた。


驚愕、そして――抗いがたい興奮。


これまで、オレを取り囲むすべての人間が「王太子としての義務」と「道徳的な理想」だけを説いてきた。


誰もが、オレという個人を清廉な玉座の部品としてしか見ていなかった。


だが、眼の前の彼女だけは違った。


彼女は、オレの孤独と葛藤を完全に理解した上で、『救済者の皮を被った覇王になれ』と、はっきりと肯定したのだ。


その言葉の重みと、彼女が向ける混じりけのない狂気じみた信頼の眼差し。


オレは口をわずかに開いたが、返す言葉が見つからない。


ただ、視界の中心にいるリリスの姿が、鮮烈な光を放ってオレの目に焼き付いていく。


彼女の美しさ、その底知れぬ知性、そしてオレを肯定する優しさ。


そのすべてが、オレの魂を根底から作り変えるほどの力で、強烈に惹きつけていた。



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