山田、引退宣言
次の日、山田が突然ジェイの引退について切り出した。
山田自身にとって、それは単純なお願いらしく、とても軽い感じで。
その時、日野と小森は、祝い酒で二日酔いして、げっそりしていた。
佐伯、松井も同様だが、一緒に飲んでいたはずの水野は化粧のりが良く、いつにも増して艶やかだ。ザルだという噂は本当らしい。
頬がつやつやしている。
立花は別格だな。いつも通りのすっきりした佇まい。爽やかな微笑みを浮かべ、山田に挨拶をしている。
大仕事が終わり、会議は力の抜けた感じで始まった。昨日の決定事項を確認するだけで、軽く済む予定だった。皆そう思っていたはずだ。
「ジェイを辞める?」
山田は小さく頷いた。
「誰かが覚醒したら、代表を交代してもらう約束でした。三人全員が覚醒した今、誰が替わってもいいはずです。交代したら僕はここを去ります」
会議室にいる誰もが、ピクリとも動かない。
じっと山田を見つめている。
ガタッと椅子が音を立てた。
立花が立ち上がり、山田に向かって腕を伸ばそうとした。
山田と視線が合うと、腕をゆっくり戻した。
「本気なのですね」
「そうです。そしてこの先、宇宙局の先頭に立つべきは、立花さん、あなただと思います。今までだって、実際に物事を仕切って来たのは立花さんです。それがあるべき姿だと思います」
皆の目が立花に移ったが、立花はじっと山田の目を見つめたまま、視線を外さない。引き結んでいた唇がゆっくりと開いた。
「だが、ジェイが身を隠したとして、放っておいてもらえるとは思えません。きっと地球人も天の川銀河の人々も、君を探すと思いますよ」
「それでも、僕に気付くとは思えません。実際の僕はとても目立ちませんから。それに僕の素性を知っているのは、ここに居る数名だけです」
全員が考え込んだ。山田の変装は完璧で、変装を解いたら、目立たない平凡な山田に戻る。
山田は礼を述べると、他の人の反応を確かめずに椅子に座った。
以前の山田なら、おどおどと周囲の意見を待っただろう。そして多分、丸め込まれることになる。でも 今の彼には、違う対処法が身についているようだ。
話が簡単に決まってしまい、日野は一気にパニックになった。その場の山田以外全員が同じだろう。
結局、山田の意思が通った。
通ってしまった。
なにせ、最初に約束していたことだし、引き留める理由が有りそうでいて、無いのだ。
そして引退のタイミングの相談になった。
「調印までは山田君でないとだめだよ。ファーストコンタクトの人物が、地球の代表として調印しないと無効だからね」
日野は仏頂面のまま言った。それに関しては山田も理解しているので、黙ったまま頷く。
「調印式はアルファケンタウリAか。二カ月の猶予があるけど、それでも大変だよ、山田君。宇宙局の体制作りは揉めること必至、しかもジェイが降りる事が前提なんてさ」
小森は仏教教団の高僧なので、教団運営と照らして、この先のゴタゴタが見えているようだ。
「その前に、宇宙局とKカルテットのお披露目があります。まずは、そこに注力しましょう」
立花はいつも通り、柔らかい口調で山田に話しかける。山田に向ける眼差しは優しい。
山田は寂しそうな顔付きだ。
その後の立花には山田と付き合う暇など、無いに決まっている。
高橋や研究職員の佐伯たちは、こういった話に口を挟まない。ブレインは日野とKカルテットの四名だった。
日頃文句の多い綾乃は、めんどくさいと言ってKカルテットの活動に関しては口を挟まずにきた。
だが今回は口を開いた。
「お披露目はこの宇宙局から中継で行なうのでしょ。私たち、それまでどうしていたらいいの? 私はイタコの仕事をだいぶ休んでいるのよ。もう戻ってもいいかしら」
小森が、「私もだな」と同意した。
二人共このところ、本業を休んでいる。
日野が渋々認めた。
「離脱研や宇宙局のことは絶対に秘密。全員、しばらくはボディガードを付けさせて貰うから、よろしく」
この先は、宇宙局特使の仕事と、今までの仕事を掛け持ちすることになる。
宇宙局には、Kカルテット宛に多方面から依頼が舞い込んでいるが、それを厳選していかなければならない。
Kカルテットをサポートするための事務局が、確実に必要になる。
元の仕事をする余裕が残るか心もとないが、綾乃と小森なら、きっちりと自分の時間をもぎ取るだろう。
立花は何も言わない。
だが、師匠から依頼がたくさん入っていると聞いている。
立花に祈祷を頼んだ者は、リピート率が高いらしい。彼に惹かれる人間は、どこでもとても多いのだ。
「山田さん。ジェイを辞めても、山田さんとしてここの仕事を続ける気はありませんか。例えば僕の付き人の一人とか」
その立花が思いがけない提案をした。
皆がバッと振り向く。
「それいいわね。どっちにしても、山田さん自身、離脱研改め宇宙局への出向職員じゃない」
「あ、そうか。綾乃君、いい所に気がついたね。そうだよ、今のままでいいじゃないか。変えないほうが疑われないよ」
綾乃と小森の話の流れに、日野は急いで乗っかった。
「そうだな、そうしよう、山田くん。週三でいいからさ。どうだ」
山田は久しぶりに口ごもっている。
困ったようでいて、嬉しそうな複雑な表情で、瞳を揺らしている。
立花にニコっと笑いかけられたあたりで、負けたようだ。
「週二でお願いします」
「うーん、まあいいか。それで行こう」
日野は即決した。とにかく山田を身近に置いておけることになり、ほっとした。
日野はパンパンと手を叩き、皆の注意を集めた。
「じゃあ、今後のスケジュールに移ろう。ジェイの引退宣言は、調印式が終わった後だ。先にしたら、どうなるか想像もできないからな。皆どうだ?」
賛成の声が揃った。
「通信室が仕事できなくなりますからね。ジェイの引退発表前に、別回線を用意した方がいいだろうな。多分、それまで使用していた回線はパンクして使えないでしょう」
高橋が応答例として、
『◆ ジェイの引退は事実です。銀河機密に抵触するため、質問にはお答えいたしかねます ◆』
というのはどうかと言い出す。
「そうだな。その後の大騒ぎが収まるまでの対策も立てないと。それも進めていこう」
研究所長の佐伯が手を上げた。
「私たちは研究結果を周囲に共有していかないといけません。調印まではそれを極秘にするが、その後は公開すると公にしていただけませんか。やっかみや文句が凄くて、苦労しています」
「わかった。とにかく現在の体制は調印式が節目だ。そう周囲に公言する」
調印式までは、今の体制を保てる。二か月間という短い期間だから、ごり押しで通せるのだ。
本番はその後、という雰囲気があるから。
「今後、私は日本政府代表兼宇宙局特別顧問になる。その位置付けが、どのあたりに落ち着くかは、まだわからない。だが新しい組織から、日本とKカルテットを外すことは不可能だ。まあ、あるべき位置に落ち着くと思う」
日野は一拍置いて言った。
「Kカルテットの四名は全員、調印を結ぶまで、宇宙局の組織に加わることになるから、そのつもりでいてくれ。ジェイは首席交渉官として、他三名はジェイの下で交渉官として動いてもらう。」
もしジェイが望めば、というより望まなくとも、ジェイは本来、宇宙局のトップに近い地位に収まるはずだ。
だが、ジェイが自ら退くと言えば、それを引き留める術は無いのだった。




