小森の覚醒
お茶の水の宇宙船対策本部は、宇宙局と改名され、諸外国からのメンバー招へいで、一気に国際的な組織に変化した。
ただ、肝心の覚醒者に接触できるのは、日本人スタッフで構成された特殊サポートチームだけだ。閉鎖的すぎると文句がでたが、人物特定されたら危険なため、調印が完了するまでは厳戒態勢を敷く。
こう言われて異を唱えられる者はいなかった。
この間、銀河連合交渉団も大人しくしてくれなかった。
寝る暇もないほどの激務で走り回っている日野に、とにかくファーストコンタクトの人物に会いたいとせっつく。
マナの懇願に負けた日野は、約束した二週間を待たず、会議を開くことを約束させられてしまった。
どちらも準備が整っていないので、これは少人数での顔合わせのような、こじんまりした会議になる。
だが、その会議の中継は天の川銀河中に配信されることになったし、銀河の重鎮、一番から三番までが通信で会議に参加することに決まった。
「これでも、頑張ったのです。一番と二番は絶対的に強いので文句は出ないけど、三番から八番までが戦争を始めそうになって、ギャンブルで三番を決めました。そうしたら四番までいいじゃないかとごねられて、私、久しぶりに切れました」
マナがそう言って愚痴った。特使特権を行使して撃退したそうだ。
「ご苦労、御察しします。こちらは一番から三番が険悪になって貿易戦争が始まりました。どこも一緒ですね」
二人はふっと優しく微笑み合った。
それをコントロールルームで見ていた高橋が、聞こえよがしに言う。
「俺は知らないですよ。通信データの加工はしませんからね」
◇
そんなドタバタした日々を過ごす中、山田は会社でパソコンに向き合い、コードを書いていた。
デバッグをしてロジックとコードの確認をする。そんないつもの仕事に精を出していた。
これが心のバランスを保ってくれる。
その合間に、ふと、ジェイとしての、『地球代表』という肩書を思い出す。
その肩書に、身がすくまない人がいるのだろうか? と考えて、いや、居るなと思う。
例えば国の首長。心が鋼でできているのだろう。
地球代表はその更に上だ。その地位を自ら望む人物に替わるべきなのだ。
「おい、山田。難しい顔して、どうした。行き詰まっているのか? 手伝おうか?」
松岡主任が声を掛けてくれる。面倒見はいい人なのだ。
「大丈夫です。順調に進んでいますよ。こうやってコツコツ進める仕事が、僕には一番向いています」
「お、何だ、別の仕事があるような口ぶりだな。離脱研では違う仕事でもしているのか?」
ドキッとした。その通りだ。
「あはは、まさか。僕はこの仕事が好きだから、一生これを続けますよ」
「なんか、決意表明みたいだね。なんかあったのか?」
墓穴を掘っている気分になった。
「ちょっと、疲れがたまっているのかもしれません。また飲みに行きませんか?」
「お、行くか。新人の愚痴を聞くのも上司の務めだ。また、焼き鳥屋でどうだ」
「いいですね」
仕事上がりに焼鳥屋のカウンターに腰掛け、焼鳥が焼きあがるのを待つ。
炭火と焼ける鶏肉の匂いに鼻をクンクンさせ、ビールのジョッキをグッと傾ける。
山田はこの生活を絶対に手放さないぞ、と心に誓った。
次の離脱研勤務の日、山田は一つの思いつきを佐伯に提案してみた。
「実験の環境を変えて見てはどうでしょう。僕は虫の音をトリガーとして離脱していますが、皆が同じかはわからないと思うのです」
「どういうことでしょう」
「トリガーが、人によって違うかもしれない、ということです」
山田は部屋の隅で鳴いているコオロギの方を手で示した。
「僕自身は虫の音ですが、例えば立花さんなら修行の火の揺らぎや、薪が爆ぜる音とか。小森さんは御経、水野さんはトランス状態に入ることとか。別のトリガーで試してみませんか?」
佐伯と松井、その日の被験者の小森も、はっとした表情で考え込んだ。
しばらくして小森が、小声で呟いた。
「そういえば私が離脱した時は、寺で一人、読経していたな……いつも、そうだったかも」
山田は、その言葉を後押しするために佐伯を説得した。
「会議の後は、交渉が本格的に始まり、目まぐるしい毎日になります。その前に、思いつく限りのことを試した方がいいのではないでしょうか」
佐伯が頷く。
「それは、試す価値がありそうですね。やってみましょう」
その日の実験は、読経しながらの瞑想に変更になり、山田仕様でセットされていた実験室の椅子と机、コオロギのケースは、実験室の外に出されている。
小森は薄暗い実験室に入り、マットの上で座禅を組む。
低く滑らかな読経の声が実験室から聞こえ始めた。
山田たちは、その様子をモニターで見守った。
今までの小森と様子が全く違う。
佇まいに無理がない。
山田が佐伯と松井に目を向けると、彼らも同じように感じているのが見て取れた。
お互いに頷き合い、再びモニターに目を戻す。
小森の読経の声をじっと聞いているうちに、山田は自分の意識が変化するのを感じた。低い声のリズムの中に巻き込まれるような、浮き上がるような気分になる。
ふと、本当に体が浮き上がったような気がした。
その時、佐伯が叫んだ。
「脳波に乱れ。異常な高振幅発生……鎮静方向に移行。フラットに近い?」
松井が脳波計をのぞき込む。
山田は小森の様子を確認した。
読経の声が止んでいる。数珠を握る手もそのまま止まっている。
ふと、体が揺れた。
小森がこっちを向く。
驚いたように目を見開いている。
小森は慌てて立ち上がろうとし、立ち損ねてマットに手をついた。
「もしかして、今離脱しました?」
山田は誰にともなく、そう叫んだ。
「もしかしたら、そうかもしれません」
バンッと実験室のドアが勢いよく開く。
実験室から小森が飛び出してきた。
「今、もしかして離脱したのかな。したような気がしたけど、どうかな」
主任研究員の坂田が、小森を手招いた。
「こちらへ。モニターの録画映像をお見せします。この一分間、明らかに脳波が変化しました」
録画が数分前に戻され、実験中の小森の様子が再生された。
小森自身も食い入るように映像を観ている。
「ここ、ここで急に自分の声の中に浮かぶような気分になった。この一節は私のお気に入りだよ」
その次の一節の途中で、声が途切れた。
「ここから脳波が緩やかになっています。アルファ波が強く出ています。深いリラックス状態にあるということです」
全員が小森を見詰めた。
「私は、あの、何も覚えていない……残念ながら」
「ああっ」と残念気な声が上がったが、皆、興奮したままで、てんでにしゃべりまくっている。
「次ですよ。次。きっかけは掴めたわけだし」
「これは、凄いぞ。水野さんと立花さんにも、この方法を試さないと」
喜んで話し合う佐伯と松井に向かって、山田は声を掛けた。
「あの、実は僕も、小森さんの声を聞いていたら、浮き上がるような変な気分を感じました。読経の声は、聞いている人間にも、そういう作用を起こしやすいのかもしれません」
松井が振り向いた。
「エッ、山田さんも? いつもと同じような感じですか?」
「いいえ、違いました。声に乗っかるというか溶け込んで、体が浮くような感じです」
「それで?」
「佐伯さんの声で、引き戻されました」
松井と小森が佐伯を睨んだが、これはどうしようもない。
「今度、小森さんと一緒に実験室に入ってみます。違った体験が出来るかもしれない」
「他の二人も試してみたいですね。小森さんの声が導火線になるってことか」
小森はなんとなく胸を張って、まんざらでもない表情を浮かべている。
口元がピクピクしていて、嬉しそうだ。
「まあ、日頃から声に関しては鍛えていますから。お勤めと、大学の講義で」
「さすがですね」
山田がそう言うと、小森はさらにそっくり返った。




