不思議な出来事
天の川銀河連合の使節団と顔合わせをした翌日。
山田は足取りも軽く会議室のドアを開けた。
先に来ていた日野と小森は、祝い酒で二日酔い気味なのか、げっそりしている。
山田の秘密を共有する、特殊サポートチームの五名も同様だ。
一緒に飲んでいたはずの水野は化粧のりが良く、いつにも増して艶やかだ。ザルだという噂は本当らしい。
頬がつやつやしている。
立花は。
さすがだ。いつも通りのすっきりした佇まい。爽やかな微笑みを浮かべ、山田に挨拶をしてくれた。
大仕事が終わり、会議は力の抜けた感じで始まった。そこで山田は、以前から言おうと考えていたことを議題に上げた。
「ジェイを辞める!?」
山田は小さく頷いた。
「誰かが覚醒したら、代表を交代してもらう約束でした。三人全員が覚醒した今、誰が替わってもいいはずです。交代したら僕はここを去ります」
会議室にいる誰もが、ピクリとも動かない。
じっと山田を見つめている。
ガタッと椅子が音を立てた。
立花が立ち上がり、山田に向かって腕を伸ばそうとした。
山田と視線が合うと、腕をゆっくり戻した。
「本気なんですね」
「そうです。そしてこの先、宇宙局の先頭に立つべきは、立花さん、あなただと思います。今までだって、実際に物事を仕切って来たのは立花さんです。それがあるべき姿だと思います」
皆の目が立花に移る。
「だが、ジェイが身を隠したとして、放っておいてもらえるとは思えません。きっと地球人も天の川銀河の人々も、君を探すと思いますよ」
「それでも、僕に気付くとは思えません。実際の僕はとても目立ちませんから。それに僕の素性を知っているのは、ここに居る十名だけです」
全員が考え込んだ。山田の変装は完璧で、変装を解いたら、目立たない平凡な山田に戻る。
山田がジェイだと知っているのは、離脱研の所長と三名の研究員、そしてKカルテットの立花、小森、水野の三人と日野外務大臣、それに通信主任の高橋のみ。
小森が珍しく深刻そうな表情を浮かべている。
「しかし、今までジェイとして君が交渉を重ねて来たんだ。それを急に交代して、トラブルにならないだろうか」
「連合への加盟交渉の、主な部分は終わりました。後は僕が調印を行い、その際に全身レベルでの生体認証を行うことになっています。それを終えれば、その後は僕でなくてもいいはずです」
山田の言葉に、小森はまだ納得しかねる様子だが、反論もできないようだ。
「まあ、ファーストコンタクトを行った人物の役割は、加盟の決定と調印だ。その先への縛りは無いな」
そう言って、椅子に背を預け力を抜いた。
外務大臣の日野が腕を組んで唸った。
「君、最近はジェイとしての活動に慣れてきていただろ。私としても、ようやく安心したところだったのだが」
「はい、確かにそうです。でもこれは最初からの約束です。誰かが覚醒したら交代すると」
山田はそのまま口をつぐんだ。
地球のお偉いさん達から、山田は既に学び始めていた。
押すべき時と、引くべき時と、石のように動かず、相手の動きを待つ時があることを。
立花が一番に動いた。
「私はそれで結構です」
「ありがとうございます」
山田は礼を述べると、他の人の反応を確かめずに、さっさと椅子に座った。良い返事をもらったら逃さない。
(僕は変わったみたいだ。皆の言うことは本当だったのか)
山田は自身の変化に気付き、驚いていた。
以前の山田なら、おどおどと周囲の意見を待っただろう。
今後、以前のようにただのサラリーマンに戻ったとして、地味で控えめな山田は、もうどこにもいないのかもしれない。
◇◇
始まりの始まりは、三年前の九月のある夜。
大学二年生だった山田太郎は、自宅で授業の予習をしていた。
その日は授業とクラブとバイトがフルで重なり、既にくたくただった。
だが明日の授業は、小テストに合格しないと履修登録すらできない、という鬼仕様だ。しかも必須科目。
更に間の悪い事に、部屋のエアコンが故障していた。
暑い。
昼間の熱気がこもった部屋は、ひたすら暑い。
せめて風で涼を取ろうと、窓を全開にしたが、風は少しも吹いていない。
うんざりしながら机に向かった山田は、いつの間にか、ぼーっと窓の外の暗がりを見つめていた。
耳には虫の音だけが響いている。
ある瞬間――
突然に虫の音が桁違いに大きくなった。自身が音源かのような、体中に響く音だ。
「......え、何?」
視界は真っ暗だ。
驚いて周囲を見ると、そこは部屋の中ではなかった。
山田は湿った土と草の根本を見ていた。茎には夜露らしき水滴が付いている。
それから、おかしなことに気付いた。
視点が妙に低い。
地面からほんの数センチ上あたりから、真直ぐ周囲を見ているようだ。
きょろきょろと周囲を見回しても、暗がりと茎の根本と土しか見えない。
ふと上を見上げると、そこには月が煌々と輝いていた。
次の瞬間、また違う場所に山田はいた。
どこなのかは全くわからない。
真っ黒の中に、カラフルな光のリボンがある。
白、紫、赤、黄色、茶色、青など。多数の色を網み込んだ光のリボンだ。
息をのむほど綺麗でゴージャスだった。
山田自身は、黒い空間の中に浮いている。ぐるっと首を回すと、光の帯のようにそれは流れて見える。
(もしかして、ここは宇宙空間なのか?)
途端に、山田の体に歓喜があふれた。
(すごい、どこまでいける?)
行ける所まで行ってみようと思った次の瞬間、そうしたら帰れないかもしれないと、怯えが出た。
その途端に山田は戻っていた。
そこはいつもの自分の部屋。立ち上がって周囲を見回す。
さっきまで、自分の右側に見えていた、カラフルなリボンも何もない。
虫の音が静かに聞こえている。
その後、もう一度あの場所に行こうと、目を瞑ってみたり、椅子に座って虫の音に耳を傾けたりしてみたが、もう何も起こらなかった。
山田がこの体験を思い出したのは、宇宙人の来訪という大ニュースが飛び込んできたせいだ。
宇宙船は三日前に、突然東京の新宿上空に現れた。そして今に至る。
襲来ではなく、来訪らしい。
今も目の前のTVで、空に浮かぶ円盤型の宇宙船が中継されている。
山田はそのニュースを、昼食の立ち食いそばを食べながら見ていた。
あの体験から三年が経っていた。
現在の山田は、サラリーマンをしている。
安月給だが、ローンもないし、大体が地味堅実な質で贅沢はしない。ランチはコンビニのおにぎりや牛丼、今日のように立ち食いそばあたりですます。
そういうささやかな暮らしに十分満足している。
いつもは世の中の騒ぎに無関心な山田でも、このニュースはまめにチェックしていた。
世界中のテレビもネットも、そのニュース一色だった。
「宇宙人は本当にいたのか」
各国の言語で、その見出しが飛び交った。誰もが驚き慌て、大騒動になっている。




