第八十三話 灰燼圏
春が来なかった。
◇
本来なら。
雪は解け。
土が緩み。
芽吹きが始まる季節。
◇
だが。
今年の空は、
灰色のままだった。
◇
太陽が見えない。
薄暗い。
昼なのに寒い。
◇
風に乗って、
灰が降る。
◇
焼けた魔力残滓。
崩壊した結界粒子。
戦場で放出された、
大量の高濃度魔力。
◇
世界そのものが、
汚染され始めていた。
◇
レイン・ヴァルト
は、
北方農業地帯を歩いていた。
◇
畑。
だった場所。
◇
黒く焼けている。
土が死んでいた。
◇
作物は育たない。
水も濁っている。
◇
農夫が、
崩れるように座り込んでいた。
◇
「芽が出ねぇ……」
◇
「何植えても、
全部腐る……」
◇
レインは、
黙って土を触る。
◇
冷たい。
妙にざらつく。
◇
魔力汚染。
◇
戦争が長引きすぎた。
魔導兵器。
結界崩壊。
聖剣解放。
冥術爆撃。
◇
世界そのものが、
耐え切れなくなっている。
◇
ノア
が、
空を見上げる。
◇
「最近、
空ずっと灰色だな」
◇
事実だった。
◇
青空を、
もう長く見ていない。
◇
その時。
遠くで咳き込む声。
◇
避難民達が、
口元を布で覆っている。
◇
灰肺症。
新たな流行病だった。
◇
灰を吸い続けることで。
肺が壊れる。
◇
セラフィナ
ですら、
治療が追いつかない。
◇
「浄化薬、
足りない……」
◇
「患者数が増えすぎてる」
◇
診療所も限界。
◇
さらに。
気候まで狂い始める。
◇
夏なのに雪。
冬なのに豪雨。
干ばつ。
黒い霧。
◇
物流予測すら、
成立しなくなっていた。
◇
灰燕本部。
巨大地図の前。
各地報告が並ぶ。
◇
「南部穀倉地帯、
全滅」
「北部河川、
魔力汚染確認」
「食料自給率、
急落」
◇
誰も喋らない。
◇
戦争に勝つ。
負ける。
その前に。
世界そのものが壊れていた。
◇
レインは、
静かに理解する。
◇
これはもう。
“戦中”だけの問題じゃない。
◇
戦争後が、
既に死に始めている。
◇
農地は戻らない。
川も戻らない。
空も戻る保証が無い。
◇
仮に戦争が終わっても。
その後、
人は生きられるのか。
◇
誰も答えられなかった。
◇
夕方。
灰が降る街道を、
避難列車が走る。
◇
窓の外。
子供が、
指で空をなぞっていた。
◇
「ねぇ」
「昔の空って、
青かったの?」
◇
母親は、
答えられない。
◇
レインは、
その言葉に目を閉じた。
◇
世界はまだ滅んでいない。
だが。
確実に。
灰燼へ向かっていた。




