03 放蕩皇子の目的
アリィの中で、ますますユオが何者なのか分からない、という結論になっていた。
(カナンは軍事力が世界トップクラスの国よ。それなのに、兵士たちを蹴散らすし、魔物は逃げるし、この空間はよく分からないし、一体何者なのかしら)
おかしいところを挙げるときりがないが、ただの放蕩皇子でないことは確かなのだ。
岩の中は、しばらく道が続いていた。
いくら大きな岩でも、せいぜい五人ほどの成人が並べる程度の奥行きくらいしかなかったはずだ。
それが空間に入った瞬間に、とても長い道のりを歩いているように感じる。
感触は砂の上とは違い、平たく、それでいて柔らかい道。
ヒールを折った靴でも、心地よく歩くことができた。
沈んでいた心も、少しだけ浮き上がってくる。
「顔が明るくなったね」
キラキラした空間を歩くアリィの表情は、不安よりも好奇心の方が勝っている。
ユオは彼女以上に、楽しそうに笑っていた。
「蒼星を出たら、宇宙があるの。星空が四方八方に広がっているのよ……ここはまさに宇宙みたいだわ」
アリィは楽しくなってきて、初めて会ったばかりの人にそんな話をする。
「宇宙に近いかも。ここは僕が魔法で作った道なのさ。言うならば、ワープみたいなものだね」
「出鶴でもワープなんて技術はないわ」
「これは僕の個人的な能力で、僕にしか出来ない発明なんだよ」
「すごい人なのね。どこに繋がっているの?」
「それはね……向こうに着いてからのお楽しみだよ」
すぐに全てを教えないが、ユオは威張っているわけでもない。
アリィは少しワクワクしていた。
そんな自分がいたことに気付き、生きていることを実感する。
(こんなのは何年ぶりかしら。人間として扱われているみたい……)
一面に広がる星空の中、壁が見えてくる。
ユオは立ち止まって、また先程の呪文を唱えた。
すると――星空の空間に亀裂が入り、眩しい朝の光が視界を覆う。
それと共に、小さな集落を小高い砂の丘から見下ろしていたのだ。
後ろを振り返ると、大きな岩が静かにそびえ立っている。
割れている様子もなく、触ってもあの宇宙空間は出てこなかった。
「ユオシェム殿下!」
男たちの声がする。
丘の下に人々が集まってきていて、ユオを敬愛するように呼んでいるのだ。
そこには小川が流れている。
畑も広がり、家畜までいるようだった。
まるでひとつの生活区域のようになっている。
(谷底なのかしら)
両脇は絶壁になっており、遠くにある空を見て、アリィは推測した。
ここに辿り着くことは、あの岩の中の宇宙空間を歩かないと、到底不可能なのだろう。
「少しずつ造った集落なんだ。特別な結界もあって、魔物や他の外敵に見つかることはない。十年かけて完成した、避難所だね」
放蕩皇子の名に似合わず、地下に集落を造り、そこの人々に慕われている姿。
彼が小高い砂丘から手を振ると、人々は嬉しそうに手を振り返す。
アリィはこの光景に、彼の真意を見出す他になかった。
「やっぱり、放蕩皇子なんて嘘なのね。ここに自分の味方を住まわせている。おおよそ、彼らは皇太子や皇后の政敵として、処理されそうになった人々ではないかしら」
想像でしかなかったが、ユオの本当の能力を鑑みれば不自然ではない。
アリィは彼を見上げ、核心を問う。
彼は孔雀色の瞳を優しく細めて、見つめ返した。
「長い年月をかけて、世界中を騙してきた。僕自身が皇帝になるために」
緑を帯びた青色の瞳に、眩しい空を映す。
それが答えだった。
(本当に、すごい人なのね……)
アリィはその表情が忘れられず、不思議な感覚でじっと見入ってしまった。
本を読むしかなかったアリィにとって、この行動力には尊敬の念しかない。
口先だけでなく、地に足をつけた行いだ。
本気で皇帝の座を狙っているのが窺えた。
「兄様!」
はしゃぐような子どもたちの声が近付いてくる。
同じ顔をした三人の男の子たちが、走って砂丘の上にやってきたのだ。
七歳くらいの彼らは、褐色の肌に黒曜石のような髪と瞳の色をしていた。
(ユオシェム様の弟君かしら。陛下ともあまり似ていないけど…今の皇帝陛下は確か、四人までしか皇子様がいなかったと思うけど)
カナンの皇帝は複数の妃を持つので、似ていなくても不自然ではないが――公式情報と違うので、アリィは首を捻った。
子どもたちはユオに抱きつき、アリィを不思議そうな顔で見つめる。
「このきれいな人はだれ? 兄様のお嫁さん?」
純粋な目で問いかける。
「そうだよ、彼女は僕のお嫁さんなんだ」
アリィが否定するよりも先に、からかい半分のユオに押し通されてしまう。
「ま、まだ結婚はしていないわ」
「どちらにしろ結婚するんだから、お嫁さんだよ?」
改めて否定するも、笑顔で押し切る。
ユオは婚約者ということに、とてもこだわっている様子だ。
アリィにはまだその実感はないが、それでも駆け落ちしたのは事実。
何より、それが嫌ではなかった。
「じゃあ、この人も姉様だね!」
子どもたちが無邪気に笑うので、アリィはもう否定する気がなくなってしまう。
「それでいいわ。よろしくね」
どちらにしろ、婚約は婚約だ。
政治的に関係を結ぶ契約だから、血相を変えて否定するものでもない。
それに、嬉しそうに「姉様」と呼ぶ彼らを失望させたくはなかったのだ。
そんな中、子どもたちの後ろから女性が歩いてくる。
「お帰りなさい」
ここにいる人たちとは、全く違う民族だった。
カナンの人は褐色肌なのが基本だが、その女性は白い肌に金髪だ。
淡い金髪のユオと少し違うのは、影を落とす部分が少しピンクがかって見える、ストロベリーブロンドだということだ。
見た目は二十代の若々しさだが、どこか落ち着いている。
その後ろには十五歳くらいの小柄な少年が、少し照れた様子でアリィを見つめていた。
女性と同じ色の髪をしていて、目の色はユオより少しくすんだ色をしている。
(誰かしら。あの子はユオシェム様に似ているわね。そして、あの女性にも。ということは……)
アリィはすぐに予想をつけた。
ここが避難所ならば、その人たちは間違いなく――ユオの家族なのだ。
「僕の母上と、実弟のティファだよ。皇后に殺されたふりをして、ここに匿ってるんだ。この三つ子は叔父上の子どもたちなんだけど、継承権を持ってたばかりに、皇后に目を付けられてね……」
ユオに軽く紹介され、アリィは彼らに頭を下げる。
(やっぱりそうなのね。まだ花嫁衣装なのが恥ずかしいわ)
自身の衣装が異質であることに、アリィは少し気が引けた。
しかも砂漠を越えてきたから、裾はボロボロで砂まみれなのだ。
「初めまして。ユオシェムとラティーファの母、第二皇妃のラニ・シャムスと申します」
ユオの母親のラニは、何の含みもなく快活で丁寧な自己紹介をした。
皇妃というのは側室のようなもので、要は正妻ではない。
アリィはその名前を聞いて戸惑ってしまう。
(ラニ・シャムス様……名前だけ聞いたことがあるわ。ネシア王国の元王女様じゃない。王女様なのに、進んで皇妃になられたとか……)
ユオと宇宙のような空間を歩いて、少し顔色は良くなっていたのに――また急に青ざめ、憔悴したような顔をしたのだ。
「ラニ皇妃様、よろしくお願いします。私は出鶴ノ宮有明と申します……このような者が来訪し、ご不快になられたら申し訳ございません」
アリィは許してもらえるまで謝ろうと、頭を下げようとした。
ネシアという国は、百年前の世界戦争で、世界政府から守るために出鶴が保護占領した国のひとつだ。
戦後は友好国だったが、十年前に政権が代わり、不当な占領だったと主張を変えた。
“姫様は馬鹿だからご存知ないでしょうが、出鶴の王族は嫌われているんですよ。ネシアや玄域の人に会ったら、まずは謝らなければなりません”
喜代古の六年間の洗脳によって、アリィは謝ること以外に考えられなくなる。
(昔は友好的だったというけれど、今は出鶴に虐殺されたと言い出したのよ。本当はネシアの人たちも、出鶴に対して不快感を持っているのかも……)
すると、ユオがアリィの肩をそっと叩いた。
「君は何も悪いことをしてないんだから、頭を下げないで。母上は出鶴にも、君にも友好的だよ」
彼の誘導で、恐る恐る顔を上げる。
確かにラニは橙色の目を細め、アリィを歓迎するように見つめていた。
「不快なんかじゃないですよ。ネシアは出鶴と共にあります」
ラニはさっぱりとそう言うと、アリィに手を差し出す。
友好の証だった。
「ありがとうございます、ラニ様」
アリィは迷いながらもその言葉を信じることにし、手を重ねて握手をした。
「有明姫様は、サラとそっくりですね」
アリィのような若い女性相手でも、母親のラニは丁寧だった。
それと同時に、ラニがサラ――母の愛称を呼んだので、アリィは思わずそちらに集中してしまった。
「確かに、私は簓王妃の娘です。私が来るのを知っておられたのですか?」
「えぇ、ユオから聞いていました。差し支えなければ、アリィ様とお呼びしても?」
「ぜ、ぜひ、そのようにお呼びください。その、母のお友達のようですし、私は年下なので、敬語も必要ありません」
手を離し、アリィは少し照れながら言った。
嫌われていると思っていたが、好意的に接してもらって嬉しかったし、ラニを母親と重ねたからだ。
出鶴の人の名前は少し長いので、家族や親しい人とは愛称で呼び合うことが多い。
アリィはラニなら大丈夫そうだと感じて、その提案を呑んだ上で付け加えた。
「じゃあ、アリィちゃんと呼ぼうかしら。ここまで来て疲れたでしょう。着替えてお茶をしましょう? こんなに可愛いし、きっと何を着ても似合うわ」
淑やかなようで溌剌としたラニは、そう言ってアリィの手を引き、住んでいる家まで引っ張っていく。
(可愛いだなんて……きっとお世辞だと思うけど、暖かい人なのね)
まだ喜代古からの言葉の呪いは抜けきっていない。
色々と考えながらも、アリィはラニにも興味を持った。
これまで目の前で侍女が死のうが無関心だったのに、今はここにいる色んな人への興味がたくさん出てくる。
「ユオ、あの人はどう?」
歩きながら、ラニは前を向いたまま、顔を見せずに息子に話しかける。
(誰のことかしら)
アリィはピンとこずに、親子の話を静かに聞く。
「相変わらずだよ。ずっと虚ろなんだ」
「そう……病気じゃないならいいわ」
「皇后と皇太子を失脚させたら、また家族で暮らせるよ。お姫様も加わるから、賑やかになるね」
「いつの未来を語ってるのよ。アリィちゃん、ユオの妄想に巻き込んでごめんね?」
「ひどいなぁ、母上は。僕は有言実行する気なのに」
ユオとラニは少し重い雰囲気だったが、次第に軽口で明るくなる。
ラニはアリィを振り向いて、おどけたように微笑んだ。
(皇帝陛下のことなのね。まだ愛しておられるんだわ。陛下も、きっと……)
素敵だと思いつつ、アリィは同時に切なくなってくる。
ラニがちゃんと愛されていた証拠は、ユオとティファという息子の存在が証明だ。
(身分が高いほど、魔力も高い。高魔力保持者同士は、子どもが生まれにくいわ。その条件で二人以上の子がいる夫婦は、仲のいい証拠だから……)
王女のラニと皇帝の間には、本来なら子どもが生まれにくい。
たくさん触れ合い、魔力を融合させなければならないからだ。
その知識を持っていたアリィは、ラニがここに来た理由をそれとなく察するのだった。
「ティファも頑張ったね。前に僕が出した問題は解けたかな?」
「はい、兄上。千問いただいて、あと十三問ほど残っています……兄上の頭脳には敵いません」
「僕は年季があるだけさ。ゆくゆくはティファに政務を任せたいからね。しっかり勉強するんだよ」
「はい!」
「しかし、食べるものにはとりあえず困らないけど、外界と接触できないのはつらいよね」
「それは仕方ありません。こうして生きていられるだけで、僕らは幸せですから」
ラニの後ろでもじもじとアリィを見ていたのは、ラニのもう一人の息子のティファだ。
兄であるユオの帰還をとても喜んでいて、兄弟で和やかに話していた。
(弟のラティーファ様は、ユオシェム様をとても慕っているのね。私も、お兄様が大好きだった。今も恨みきれないくらいに……)
アリィは兄弟のやり取りを見て、大好きだった兄のことを思い出す。
会いに来てくれなかったことの理由を知りたかった。
小さな谷底の集落を行く間も、ユオはここに住む人たちに尊敬されているのが伝わってくる。
谷底で情報は遮断されていると言え、食べるものも自給自足で困っていない。
ここは政治的な論争もない、平和な場所なのだ。
(皆も怖い思いをしてきたんだわ。外の世界から遮断されて、何とか生きてる。それに比べたら私の絶望なんて、小さなことだったのかも……)
アリィは自身の結婚の話がちっぽけに思えてきて、命を絶とうとしていたことが恥ずかしくなってきた。




