19 二人だけの秘密
二人が出会った頃の話を聞き、アリィとララネはそれぞれ思いを馳せる。
(お兄様には、幸せになってもらいたいわ。これ以上、私のために人生を費さなくていいように)
アリィとシノの関係は、ただ健全な兄弟愛でしかない。
変に束縛をすることも互いになく、家族として大事にしているだけだ。
だからこそ、アリィは兄の幸せを改めて願う。
(家族は存命でも、王太子としては孤独だったのですね。頼れる人がいないのは、とても辛いですから)
ララネはただ、過去の自分と重ねて胸を痛めた。
一行はナヒドの家に上がらせてもらい、部屋に通された。
そこは二台のベッドが置かれている子ども部屋で、四人で何とか眠れそうなくらいの広さは確保されている。
「お子さんは遠くへ行かれたのですか?」
何の気なしにララネが問いかけると、ナヒドの表情は曇る。
「実は……二年前、娘たちは宮殿に憧れて奉公に出たんだ。俺らは反対したんだがな……それから一年後に、訃報が届いた。病気で死んだと。感染症だからって、遺体も返してもらえなかったんだ」
気さくなナヒドも、その話をする時は拳を握りしめ、悔しそうに口を歪める。
「ごめんなさい、軽々しく聞いてしまいましたね」
申し訳なくなってきて、ララネは頭を下げた。
「いや、気を遣わせてすまねぇな。仕方ねぇんだ、こればっかりは……まぁ、ゆっくりしてくれよ。夕飯は家内が腕を振るうぞ!」
空元気のように笑うと、ナヒドは部屋を後にする。
しばし重い空気が流れるが、彼が去った後にユオが口を開いた。
「感染症なんて、本当はなかったんだよ。皇后はそう言って、去年くらいに気に入らない人たちを一気に粛清した。何人かは助けたけど、全員は救えなかったんだ。その子たちも、きっと巻き込まれたんだろうね」
内情を知る彼は、悔しそうに語る。
その傍で、アリィは部屋に飾ってある写真を見つけた。
既視感のある女の子たちの顔に、思わず立ち上がる。
「ねぇ、その子たち……生きてるわ!」
家族四人で並んだ写真。
あの谷底で出会った、シャロとロナが写っているのだ。
今より少し幼いが、顔立ちがどう見ても本人たちだった。
「あ、シャロとロナじゃないか。ここの家の子だったんだね。でも、生存者は家族にも内密にしてるからなぁ……」
「こっそり教えてあげることはできないかしら? 場所は言わなくても、せめて生きてるってだけでも……」
「仕方ないね。ここを出る前に伝えてあげようか」
普段のユオなら、気付いても当事者には言わないことだ。
あの場で生き延びて暮らす人たちは、外が安全になるまで――ユオが皇位につくまで、家族とも会えないという暗黙の掟がある。
(まぁ、それとなく伝えるならいいかな)
それでもアリィが悲しそうにするので、ユオは柔軟性を見せた。
「私の叔父一家もなかなかのゲスですが、そこまで使用人を殺しはしませんよ。マザー・エイプリルとも言われた皇后なのに、悪評が立つことを心配しないのでしょうか」
「ネシアとは人口規模も違う……言い方は悪いけど、皇后にとって人は駒でしかないからね。皇后は世界政府や教団が全面的に支えてるから、隠蔽工作も上手い。宮殿内部の情報は漏れないんだ。それでも漏洩する懸念を潰すために、たまにそうやって粛清してる」
「もどかしいですね。罪のない人たちが酷い目に遭わされて……」
ララネは当然のようにベッドを占領し、そこに寝転がる。
金の髪が、蜂蜜のようにシーツいっぱいに広がった。
世界のことは、考えるだけでパンクしそうだし、怒りばかりが湧いてくるのだ。
「それでも、人々の小さな違和感や不安は少しずつ募る。いつかはそれらが大きなうねりになると思うよ。そのための旅なんだしさ」
床に腰を落としたユオは、じっと子どもたちの写真を眺めた。
今でこそ、写真と同じく無邪気に笑う姉妹だが――皇后に殺されかけた時は、しばらく口が聞けなかった。
(シャロとロナも、救い出した時はすごく怯えてたな。食事すら受け付けなかった。まだあんな子どもなのに)
ユオはシャロとロナのことを思い出しながら、皇后に対する憎悪を隠した。
☾
それから美味しい夕食を食べ、久し振りに入浴した後、アリィは交換日記を広げて書いていた。
「合流してからずっと思っていたが、それは何なんだ?」
シノが交換日記に興味を持ち、アリィに問いかける。
妹が男と文を交わしている――というところにまでシノは至らず、ただ二人で何かを書いているという現状だけを受け止めていた。
「交換日記なの」
アリィは嬉しそうに、今日はシャロとロナの両親と会えたことを書き綴っていた。
(これ、アリィはまた東雲丸さんを誘うのでは? そして、この天然男が受け入れたら……アリィの恋の邪魔になるのでは!?)
アリィはララネと出会った時も、何の気なしに交換日記を勧めたことがあるのだ。
状況を察したララネは断ったものの、シノは空気を読める人ではない。
思わず、彼女はぱっと立ち上がった。
「そうでした! ちょっと、東雲丸さん! 刀を見せていただけませんか? 私、刀に興味があるんです。ぜひ色々と教えてください! さぁさぁ!」
「刀は侍の持ち物なので、持っていません。王家は古来から剣を……」
「なら、剣でいいですから! 外で教えてくださいね!」
かと思うと、急に大声でシノを呼び、彼の手を無理やり引いて外に行ってしまった。
ぎこちない関係だったのに、ララネはアリィのためなら、苦手な人を誘うことも厭わなかったのだ。
「ララァ、そんなに武器に興味があるのね。はしゃいでいて可愛かったわ」
ララネが強制的にシノを連れ出した後、残されたアリィは日記を閉じてぽつりと言った。
ララネが加わってから、もうかれこれ半月が経っている。
とても楽しい旅だったが、ユオと二人きりになるのは久し振りなのだ。
交換日記の中では二人きりの世界なのに、いざ現実でそうなると、どこか照れくさくなってくる。
「ララネちゃんは活発だからね」
床に腰掛けるユオは、窓の外からララネとシノを見守っていた。
とはいえ、真っ暗なのでほとんど見えないのだが。
アリィも同じものが見たくなって、静かに隣に歩み寄り、腰を下ろす。
「お兄様は女性を嫌がっていたのに、ララァのことは嫌じゃないみたいなの。王族だから、敬意を払っているのかしらね」
ユオの傍で膝をつき、アリィは外にいる二人の影を眺めて言った。
よそよそしいが、妹から見ても兄がララネを嫌っているようには見えないのだ。
すると、ユオは声を出して笑った。
何がおかしいのかアリィには分からず、きょとんとした顔で見上げる。
ただ、横顔を見たかっただけだったのに――孔雀色の瞳と視線がかち合う。
瞬間、アリィは自分の顔が熱くなってくるのを感じた。
「君は本当に……天然だね」
ユオにしては、少し意地悪な返答だ。
それでも優しい微笑みはいつもと変わらず、アリィは心地よくなってくる。
彼の傍にいることが、もう当たり前になってきているのだ。
「私、天然じゃないわ」
「シノもそう言うんだ。本物ほど否定するよね」
「お兄様は天然よ。私は違うもの」
少しむっとしてしまうアリィだが、からかわれることすら嫌ではない。
(もう、きっとわざと言ってるんだわ)
自分のことは天然だと思っていないので、本気でそう考えていた。
(どっちもそうなんだけどなぁ……)
ユオは頬を膨らませるようなアリィの反応に、思わずまた笑っていた。
「谷底の人たちと交流して、ララァと友達になって、お兄様とも再会して……ユオシェム様に会ってから、毎日がとても楽しいの」
無邪気にアリィは感謝を伝え、今度は満面の笑顔で彼を見上げる。
いつも余裕そうなユオだが、今回ばかりは余裕もなさそうに、その笑顔を見つめるのだった。
「僕も楽しいよ。ずっと、君に会いたかったからね」
ユオは理性が揺らぎ、少し切なげに本音を吐露する。
そんな弱さを見せるような彼の姿を、アリィは困惑しながらも受け止めようとした。
「私、まだ半信半疑なの。自分が女神様の生まれ変わりだなんて。だけど、嬉しいのよ。この力でたくさんの人を救えるかもしれないでしょう?」
ペンダントになり、豊満な胸の上に乗っている神秘の器に触れ、アリィは穏やかに語る。
ユオは思わず視線を彼女の手に向けたが、慌ててすぐに逸らした。
「それは無闇に使わないでね。君を守るためなんだ」
少し恥ずかしそうにしながらも、忠告するようにユオは言った。
「そうよね。私が倒れたら、迷惑をかけてしまうもの」
アリィはまだ、自虐思考から完全には抜けきれていない。
自身の安全そのものよりも、周りへの影響ばかりを考えてしまっていた。
それも、当たり前であるかのように。
「違う。君を失いたくないからなんだよ。このままだと、また……」
ユオは俯き、何かを思い出しながら震えた。
「ユオシェム様……?」
完全無欠のようだと思っていた人が、目の前の人を失う恐怖に怯えている。
少なくとも、アリィにはそう見えた。
(やっぱり、この人は……強いばかりではないのね)
いくら恋愛未経験でも、さすがに分かる。
最初からとてつもなく深く、ユオがアリィに愛を注いでいることが。
まだうまく答えを返せていないのは、アリィ自身が伝説と現実を結びきれていないからだ。
それでも、アリィにはユオが辛そうに見えたから――彼の手にそっと触れた。
気が付くと、自分からそうしていたのだ。
すると、彼も優しく握り返す。
「ごめん……君にはもっと、自分を大切にして欲しいんだ。僕のことよりもまず、自分を愛してあげて。初めて会った時の君は、消えてしまいそうなくらい儚くて……本当はすごく怖かった」
落ち着いたユオは真剣にそう言うと、取り乱してしまったことを反省して、そっと手を離した。
そして、照れくさそうに弱い心情を吐露する。
そればかりは軽口でないというのも、アリィは理解していた。
同時に、そこまで大切にされてきたことに、胸が高鳴ってくる。
自然と見つめ合い、名残惜しさから彼の手を指で追ってしまっていた。
無意識な欲求に気付いて、手を引っ込める。
(もっと触れていたかった……なんて、はしたないわよね)
みるみるうちに顔が真っ赤になり、アリィは目をそらした。
体温がまだ、残っているような気がしてくる。
「あの時、軽率に死にたいだなんて言ってごめんなさい。今は生きていたいわ。だ、だから……手を握ったことは、内緒にしておいてね」
それをララネやシノに知られるのは、まだ少し恥ずかしかった。
「あ……」
必死だったユオもつい先ほどの触れ合いを思い返し、悪戯っぽい笑顔に戻る。
「砂漠で親切心から手を差し出した時は、はしたないって言われたのになぁ。まさか自分から握ってくるなんて……」
「あ、あの時は、初対面だったからよ」
「じゃあ、初対面じゃなかったら……男の手を握るのかい?」
ペースを取り戻したユオの尋問は、甘く、そして意地悪だった。
「ち、違うわ! そんなこと、絶対に嫌よ。ユオシェム様だから、きっと……よかったの」
もじもじと目を泳がせながら弁明するが、アリィは自分でも明確な理由を言えなかった。
「そっか。二人だけの秘密が増えたね」
彼はまたわざと彼女の小さな鼻をつつくと、その白い肌を赤くさせて面白がっていた。
ちょうどそんな時に、慌てるようにしてシノとララネが帰ってくる。
ララネはイチャイチャしていた痕跡に気付いて、はっとした顔をした。
微笑ましげにしながらも、タイミングを間違えたことを内省したのだ。
「宮殿の兵士らしき集団が、村に入ってきたようだ」
戻るなり、シノはぶっきらぼうに言った。
ララネに何かを吹き込まれたのだが、具体的に何を話したかは、ユオやアリィに知る由もない。
それよりも、シノは外の状況を伝えることに集中していた。
窓の外にぼんやりと灯りが映り、それが増えていく。
人影が光に照らされて揺れる景色からも、それなりの数の集団がいるのだと窺えた。
都心部では魔法で制御されたランプが使われるが、農村ではまずそんなことはない。
ここでは魔法道具は庶民が持つには高価なものなので、夜は松明を持って出かけるのがほとんどだ。
対し、彼らが持っているのは、手提げランプの魔法道具。
それを持っている時点で、村人ではないのも明白だ。
「慌てて逃げてきましたが、怪しまれるでしょうか」
ララネが不安げに言った。
アリィのために外に出たとは言え、自身の軽率さに嫌気が差す。
「大丈夫さ。恐らく皇太子が宮殿で当たり散らしてるから、見かねた皇后が僕らを探させてるんだろう」
通常、逃げるとなると国境を目指すものだ。
現にこの一行も、目標を外国に定めている。
追手たちもそう分析するのは自然なので、追いかけてくるのは時間の問題だった。
ユオは遠くに灯る明かりを睨みつつも、既に乗り切る方法を考えていた。




